昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

イタリア旅行No.11 シエナ大聖堂

2010年12月29日 | 海外旅行
11/11 イタリア旅行3日目15:00頃、シエナの「カンポ広場」から大聖堂(ドゥオーモ)を見に行きました。



「シエナ大聖堂」の全景です。

建物正面(ファサード)が、コシック建築、全体後世はロマネスク建築様式だそうです。

華麗で、荘厳なファサードに感動です。

右手にそびえる鐘楼の白と黒の横縞模様にエジプトのツタンカーメンのマスクを連想してしまいます。



美しい絵が描かれた建物正面(ファサード)の上部です。

てっぺんにヤリを持った天使が立ち、左右の塔の壁に白い狼の彫刻がたくさん取り付けられてました。



「シエナ大聖堂」の正面に向かって左の建物「」の前にシエナのシンボル「雌狼」の像がありました。

シエナの町の各所にも同様の像が見られ、カンポ広場の「ガイアの泉」の水の出口にも狼の像が使われていました。

■雌狼のお腹の下には乳を飲む人間の双子が見られ、これには伝説がありました。
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ローマ建国の伝説によると、雌オオカミに育てられた双子「ロムルス」と「レムス」が争い、勝った「ロムルス」の名にちなむローマを建国したそうです。
これが双子に授乳する雌オオカミの像を紋章としたローマの伝説ですが、負けた「レムス」には二人の息子があり、この地にのがれてシエナを建国、これが同じ紋章を使っている理由のようです。
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大聖堂の中央付近の天井です。

とてつもない壮大さに圧倒されました。

冒頭の外観写真で、鐘楼の左手にそびえているドームを中から見上げたもので、中央には六角形の塔が更に高く伸びています。



長椅子が並び、その奥に祭壇がありました。

数名の人が座り、祭壇を見つめています。

ここにもドームを支えていると思われる白・黒の横縞模様の柱が高い天井まで伸びています。



長椅子に座って見た祭壇です。

キリスト教の信者でなくても強い神聖さを感じさせられます。

祭壇の周りや、アーチ型の壁の彫刻にたくさんの天使の像が舞い、天国の素晴らしさを教えられるようです。



横に伸びた通路にも白・黒の横縞模様の柱が立ち並んでいました。

床には素晴らしい大理石の模様が描かれています。



豪華な大理石の床の装飾です。

広い大聖堂の床に延々と続く床の装飾は、繁栄して勢いのある時代のシエナを感じされられます。

幾何学的な模様や、古代ローマ時代を感じる女性像など素晴らしい床の装飾でした。



奥の祭壇に続く両側の壁面には多くの像や、絵が飾られ、何の絵か分かりませんが、この絵もその一つです。

うす暗い建物内部ではフラッシュ無しの撮影が許されていましたが、失敗した写真が多く、悔やまれます。



大聖堂を出てファサードに向かって右手に建築を中断した建物がありました。

かつてシエナ大聖堂の大規模増築計画があり、断念された姿が残されているものです。

シエナでは1346年に市庁舎と、カンポ広場が完成、1348年にはマンジャの塔を完成させ、この頃がシエナの最盛期だったようですが、大聖堂の大規模増築計画案は、その前の1339年に決議されていました。

1348年、ペストが大流行し、シエナで80%の人口が失われた結果、急速に弱体化してしまい、遂に1555年のシエナ戦争でメディチ軍に敗れてしまいました。

その結果、シエナはトスカーナ公国に併合され、大聖堂の大規模増築計画も無くなったようです。



町の北西「サン・ドメニコ教会」付近からシエナ大聖堂の丘を見た風景です。

シエナ大聖堂の鐘楼と、ドームが重なって見え、右手にファサードがそびえています。

丘の上に続く街並みが、傾きはじめた夕方を浴びて輝きはじめていました。



1465年に造られたゴシック様式の「サン・ドメニコ教会」です。

大聖堂からほど近い場所から見えた風景で、古い家並みが続く道の向こうに素朴な教会が見えていました。

この「サン・ドメニコ教会」の前を通り、城門を出て約3時間の中世の町「シエナ」の観光が終わりました。


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