11/11 イタリア旅行3日目12:40頃、イタリア中部の町「シエナ」へ到着しました。

今回の主要スポット、「カンポ広場」の風景です。
シエナの町の中央にある「カンポ広場」は、半円形の広場で、一面にレンガが敷かれ、美しい建物に囲まれていました。
やはり「世界で最も美しい広場」と称賛される美しさでした。

バスがシエナに到着、丘の上に広がる町が見えはじめたところです。
窓から見える町の上にはひと際高くドゥオーモの鐘楼がそびえています。
丘の上に城壁で囲まれた町を造ったのは、防衛上の理由と思われます。
ヴェネツィアでは広い浅瀬に囲まれた砂州を埋め立てた島が自然の要塞となって、城壁の無い町でしたが、やはり大陸の町ではこのような形態になるようです。

シエナの町の西側に観光客用と思われる入口がありました。
建物の中には丘の上に上っていく数本の長いエスカレーターが接続し、上の町に入ることができます。

シエナの町は、古いレンガ造りの建物が続き、中世にタイムスリップしたようです。
斜面に造られた町の街路は、アップダウンが続き、「中世の坂の町」といった感じです。
壁や、石畳などは、この地方で産出する赤褐色の土が原料で、焼成レンガの色「バーントシェンナ」は、シエナの名に由来した色の一般名称になっています。

街路を曲がると、「カンポ広場」が見えてきました。
ゴシック建築の「市庁舎(プッリブリコ宮)」の横に「マンジャの塔」がそびえ、感動の瞬間でした。
塔の上部や、窓の上の飾りが白い石で造られ、レンガ色の建物に気品のある美しさを醸し出しているようです。
まだ11月中旬というのに、左右の建物をつなぐクリスマスの飾りが早々と飾られていました。

「カンポ広場」の市庁舎の向かい当りの風景です。
半円形の「カンポ広場」は、円の中心が市庁舎で、こちらは向かい側になります。
広場の外周道の脇に地下水の湧き出る「ガイア(歓喜)の泉」がありました。

美しい彫刻が飾られた「ガイアの泉」です。
丘の上に広がるシエナの町は、水の確保に苦労した歴史があり、1348年、地下水を導く工事を完成させた式典で、集まった人々が歓喜の声を上げ、この名称の由来とされています。
(その後、初期ルネッサンスの彫刻家により現在の様な施設が完成したのは15世紀だったようです。)
シエナの町の地下には中世に造られたおびただしい数の地下水路(ボッティーノ)が延べ25Kmにも及び、地下水脈を掘り当て、地下水路を通し、泉や、井戸から利用する高度な技術があったようです。
ラグーナに築かれた天然の要塞「ヴェネツィア」も水の確保に苦労し、雨水を地下に貯める井戸の技術を考えだしたことと通じるものがあるようです。

レンガで舗装されたカンポ広場に「市庁舎(プッリブリコ宮)」から放射線状に出たグレーの石のラインがありました。
広場の外周道路の内側をラインで扇型に仕切り、放射線状のラインで九つに分割されています。
カンポ広場の概要が建設された時期が、13世紀後半から14世紀前半の九人の執政官体制の頃で、これが九つに分割された理由のようです。

シエナを案内して頂いた日本人ガイドさんが、カンポ広場の説明をしている場面です。
手に持っているのはこの広場で年2回行われる祭り「パリオ」の資料(新聞?)で、裏面の広場全体の説明しているところです。
こちらの面にも「パリオ」の写真が掲載され、勇壮な競馬の風景が見られます。
「パリオ」は、裸馬に乗り、広場の外周を三周する競馬で、シエナを構成する17の地区組織(コントラーダ)の内、交代・抽選で10チームが出場するようです。

シエナの町にある17の地区組織(コントラーダ)と、主要街路を記した地図です。
(「シエナ 夢見るゴシック都市」池上俊一著 中央公論新社発行の地図を参考)
シエナは、三つの丘に広がり、それが三分区(テルツォ)の行政区域になっています。(三色区分)
三分区(テルツォ)は、更に街区(コントラーダ)に分割された合計17の地区組織となっています。
街角の壁には動物をかたどった街区(コントラーダ)のシンボルマークが掲げられ、「パリオ」の応援旗でも使われているようです。
カンポ広場は、三つの丘の間の谷間に造られ、三分区(テルツォ)の主要街路が集まっています。
ローマ門からカモッリーア門へ抜ける道は、かつてローマから北ヨーロッパを結ぶ「フランチジェーナ街道」で、シエナは宿場町として栄えることとなったようです。

昼食で入ったシエナのレストランの入口上に飾られた看板です。
カラフルな衣装を着てさっそうと裸馬で走る「パリオ」の絵がありました。
毎年、7月2日、8月16日、の祭りには町中が熱気にあふれ、違う街区(コントラーダ)の夫婦は出身のコントラーダへ帰り、対抗意識を燃やすまで熱狂するようです。

昼食で頂いたシエナ名物の手打ちパスタ「pici(ピチ)」です。
「さぬきうどん」にケチャップを掛けたようにも見えます。
パスタは、中国の麺が伝わったとされていますが、この麺も一本ずつ手延べするようです。
大勢のツアーのためか、麺がのびていたり、固ゆでだったりで、好評ではなかったようですが、イタリアの個性的な地方料理を知ることができました。
シエナの参考資料です
「シエナ 夢見るゴシック都市」池上俊一著 中央公論新社発行

今回の主要スポット、「カンポ広場」の風景です。
シエナの町の中央にある「カンポ広場」は、半円形の広場で、一面にレンガが敷かれ、美しい建物に囲まれていました。
やはり「世界で最も美しい広場」と称賛される美しさでした。

バスがシエナに到着、丘の上に広がる町が見えはじめたところです。
窓から見える町の上にはひと際高くドゥオーモの鐘楼がそびえています。
丘の上に城壁で囲まれた町を造ったのは、防衛上の理由と思われます。
ヴェネツィアでは広い浅瀬に囲まれた砂州を埋め立てた島が自然の要塞となって、城壁の無い町でしたが、やはり大陸の町ではこのような形態になるようです。

シエナの町の西側に観光客用と思われる入口がありました。
建物の中には丘の上に上っていく数本の長いエスカレーターが接続し、上の町に入ることができます。

シエナの町は、古いレンガ造りの建物が続き、中世にタイムスリップしたようです。
斜面に造られた町の街路は、アップダウンが続き、「中世の坂の町」といった感じです。
壁や、石畳などは、この地方で産出する赤褐色の土が原料で、焼成レンガの色「バーントシェンナ」は、シエナの名に由来した色の一般名称になっています。

街路を曲がると、「カンポ広場」が見えてきました。
ゴシック建築の「市庁舎(プッリブリコ宮)」の横に「マンジャの塔」がそびえ、感動の瞬間でした。
塔の上部や、窓の上の飾りが白い石で造られ、レンガ色の建物に気品のある美しさを醸し出しているようです。
まだ11月中旬というのに、左右の建物をつなぐクリスマスの飾りが早々と飾られていました。

「カンポ広場」の市庁舎の向かい当りの風景です。
半円形の「カンポ広場」は、円の中心が市庁舎で、こちらは向かい側になります。
広場の外周道の脇に地下水の湧き出る「ガイア(歓喜)の泉」がありました。

美しい彫刻が飾られた「ガイアの泉」です。
丘の上に広がるシエナの町は、水の確保に苦労した歴史があり、1348年、地下水を導く工事を完成させた式典で、集まった人々が歓喜の声を上げ、この名称の由来とされています。
(その後、初期ルネッサンスの彫刻家により現在の様な施設が完成したのは15世紀だったようです。)
シエナの町の地下には中世に造られたおびただしい数の地下水路(ボッティーノ)が延べ25Kmにも及び、地下水脈を掘り当て、地下水路を通し、泉や、井戸から利用する高度な技術があったようです。
ラグーナに築かれた天然の要塞「ヴェネツィア」も水の確保に苦労し、雨水を地下に貯める井戸の技術を考えだしたことと通じるものがあるようです。

レンガで舗装されたカンポ広場に「市庁舎(プッリブリコ宮)」から放射線状に出たグレーの石のラインがありました。
広場の外周道路の内側をラインで扇型に仕切り、放射線状のラインで九つに分割されています。
カンポ広場の概要が建設された時期が、13世紀後半から14世紀前半の九人の執政官体制の頃で、これが九つに分割された理由のようです。

シエナを案内して頂いた日本人ガイドさんが、カンポ広場の説明をしている場面です。
手に持っているのはこの広場で年2回行われる祭り「パリオ」の資料(新聞?)で、裏面の広場全体の説明しているところです。
こちらの面にも「パリオ」の写真が掲載され、勇壮な競馬の風景が見られます。
「パリオ」は、裸馬に乗り、広場の外周を三周する競馬で、シエナを構成する17の地区組織(コントラーダ)の内、交代・抽選で10チームが出場するようです。

シエナの町にある17の地区組織(コントラーダ)と、主要街路を記した地図です。
(「シエナ 夢見るゴシック都市」池上俊一著 中央公論新社発行の地図を参考)
シエナは、三つの丘に広がり、それが三分区(テルツォ)の行政区域になっています。(三色区分)
三分区(テルツォ)は、更に街区(コントラーダ)に分割された合計17の地区組織となっています。
街角の壁には動物をかたどった街区(コントラーダ)のシンボルマークが掲げられ、「パリオ」の応援旗でも使われているようです。
カンポ広場は、三つの丘の間の谷間に造られ、三分区(テルツォ)の主要街路が集まっています。
ローマ門からカモッリーア門へ抜ける道は、かつてローマから北ヨーロッパを結ぶ「フランチジェーナ街道」で、シエナは宿場町として栄えることとなったようです。

昼食で入ったシエナのレストランの入口上に飾られた看板です。
カラフルな衣装を着てさっそうと裸馬で走る「パリオ」の絵がありました。
毎年、7月2日、8月16日、の祭りには町中が熱気にあふれ、違う街区(コントラーダ)の夫婦は出身のコントラーダへ帰り、対抗意識を燃やすまで熱狂するようです。

昼食で頂いたシエナ名物の手打ちパスタ「pici(ピチ)」です。
「さぬきうどん」にケチャップを掛けたようにも見えます。
パスタは、中国の麺が伝わったとされていますが、この麺も一本ずつ手延べするようです。
大勢のツアーのためか、麺がのびていたり、固ゆでだったりで、好評ではなかったようですが、イタリアの個性的な地方料理を知ることができました。
シエナの参考資料です
「シエナ 夢見るゴシック都市」池上俊一著 中央公論新社発行