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<概要>
平安時代(794~1185年頃)の中期、藤原純友の乱(936~941年)の頃の物語です。
主人公の藤原倫実(ともざね)が、朱雀天皇の詔で、乱の平定に向かい、最初の戦いで敗れました。
その戦いで殺されかかった時、身に着けていた薬師如来像(約3.65cm)に願を掛け、九死に一生を得て逃げ延びることができました。
再度の戦いで、乱を平定し、本願に報いるために「楽音寺」を建立するに至ったことが漢文の詞書6章と、大和絵6図で描かれています。
(まさに、「苦しい時の神頼み」を絵に描いた物語ですね)
鎌倉時代の作といわれる原本は、江戸時代に広島藩主浅野光晟に召し上げられ、代替の模写を下付されたものとされています。
模写の絵師は、狩野派宗家探幽の実弟、狩野安信で、詞書は、浅野家家臣杉岡六太夫とされています。
<第一場面>
藤原純友が備前国釜島で年貢を略奪しているところです。
「藤原純友の乱」の勃発です。
ほぼ同時期に「平将門の乱」も勃発し、総称して「承平・天慶の乱」といいます。
釜島は、瀬戸大橋を下津井から渡り始めた辺りから東南に見える島の一つで、その手前に見える松島には「純友神社」もあります。
史実では、藤原純友は、愛媛県宇和島市の西にある日振島を本拠地としており、釜島は、東の重要拠点だったと推察しています。
平安時代(794~1185年頃)の中期、藤原純友の乱(936~941年)の頃の物語です。
主人公の藤原倫実(ともざね)が、朱雀天皇の詔で、乱の平定に向かい、最初の戦いで敗れました。
その戦いで殺されかかった時、身に着けていた薬師如来像(約3.65cm)に願を掛け、九死に一生を得て逃げ延びることができました。
再度の戦いで、乱を平定し、本願に報いるために「楽音寺」を建立するに至ったことが漢文の詞書6章と、大和絵6図で描かれています。
(まさに、「苦しい時の神頼み」を絵に描いた物語ですね)
鎌倉時代の作といわれる原本は、江戸時代に広島藩主浅野光晟に召し上げられ、代替の模写を下付されたものとされています。
模写の絵師は、狩野派宗家探幽の実弟、狩野安信で、詞書は、浅野家家臣杉岡六太夫とされています。
<第一場面>
藤原純友が備前国釜島で年貢を略奪しているところです。
「藤原純友の乱」の勃発です。
ほぼ同時期に「平将門の乱」も勃発し、総称して「承平・天慶の乱」といいます。
釜島は、瀬戸大橋を下津井から渡り始めた辺りから東南に見える島の一つで、その手前に見える松島には「純友神社」もあります。
史実では、藤原純友は、愛媛県宇和島市の西にある日振島を本拠地としており、釜島は、東の重要拠点だったと推察しています。