昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

岡山県新庄村の「がいせん桜並木」

2007年04月17日 | 山陽地方の旅
 
4/14 桜見物の3番目です。
岩井畝から国道181号線を通り、鳥取県との県境の宿場町「新庄村」へ行きました。
道の駅が満車で、付近の国道沿いまでも車が駐車して「がいせん桜並木」見物の人出はかなりなものでした。

写真上段は、新庄村の出雲街道の「がいせん桜並木」の風景です。
翌日の4/15に「凱旋桜まつり」が予定されていましたが、前日でこの賑わいです。
古木の桜並木、古い町並み、人の賑わいで、昔にかえったような楽しい散策でした。

写真2段目は、新庄宿の本陣だった家だそうです。
はす向かいに脇本陣もあり、古い建物と、樹齢約100年の古木が歴史を感じさせてくれます。

写真3段目は、江戸時代に造られた石積みの水路で、生活用水で利用されているようです。
そのせせらぎの清涼感のある音で「日本の音風景百選」の一つになっているそうですが、溝が塞がれているところが多く、残念に思いました。

写真4段目も、通りの風景で、露天がたくさん出店しています。
名物ヒメノモチ、地酒、たい焼き等の他、熊本名物「いきなり団子」の店までありました。

江戸時代、物資の運搬は安来(島根県)と勝山(新庄村の南東)を陸送、勝山から岡山は旭川を高瀬舟で運んでいたようです。
ここから鳥取県への道は、四十曲峠トンネルがありますが、昔は名前の通り険しい峠道を往来していたようです。
四十曲峠を越えると日野町根雨(ねう)で、ここも本陣などがある宿場町で、古い町並みが残っています。

■通りのあちこちに案内板があり、転記します。
-がいせん桜並木-
明治38年(1905年)12月の村会(村議会)で、戦勝の永き記憶、地方風致を保ち、衛生上も利するとして、桜の植樹が議決された。
御幸橋より町尻まで、200間(360m)の長さ、3間(5.4m)間隔に、137本の桜が植えられ、がいせん桜とよんで、みんなで守ってきているのです。
がいせん桜並木は、春らんまんと花が咲き、夏の緑に秋の紅葉、冬は雪の花となり、四季折々に風情を変えて、旧出雲街道新庄宿の町並みを、美しく引き立てているのです。

-出雲街道 新庄宿-
国境い山地の宿場
ここは出雲街道一の難所である四十曲峠をひかえた宿場町でした。
江戸初期より家が建ち始め、元禄二年(1689年)には47軒、江戸末期には100軒ばかりの町並みとなり、その頃の宿場町はこのようでした。(以下省略)

-出雲街道-
陰陽を結ぶ道
古代はヤマトとイズモを結ぶ道でした。奈良時代は運脚の道であり、出雲国造の神賀詞奏上の道でした。慶長九年(1604年)には、出雲街道に一里塚がつくられ、慶安元年(1646年)には、播州境いの万能乢まで整備されて、このを道通る人々は増えていったのです。松江藩主の参勤交代や、公儀諸役人や公家息女の輿入れの道でした。また、東参り(伊勢参宮)西参り(出雲大社)への旅人も通り、江戸と松江を結ぶ「七里飛脚」の通る回数も多かったのです。(以下省略)

次回は、蒜山を望む「茅部神社」と、「日本一の石鳥居」の参道約1kmに続く樹齢約70年の桜並木を掲載します。