加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

猿払の凧揚げに参加しました(2)

2015年08月07日 | 各地の凧揚げに参加しました

平成27年7月19日(日)晴れ
昨夜は前夜祭で沢山飲食したのですが、目覚めると外は青空が広がって心も気力もルンルンです。
過去、3回猿払の凧揚げに参加していますが全て天気が悪いものでした。
最初は2000年7月、この時は小雨で牧草が雨で濡れていたのに運動靴。ズボンが濡れたままで剣淵まで運転して風邪をひいた思い出があります。
2回目の7月では、早朝でしたが宗谷岬で7度と寒く、凧揚げ当日も曇り空で風が強く早々に凧揚げを切りあげた記憶があります。
3回目の凧揚げ当日は、雨風嵐の状態でホテルのロビーで開会式と閉会式を同時に行う異常な大会でした。
その時から「内地から雨を持ってきた」といわれたものでしたが、翌年は参加していなかったのに、雨で中止になったそうで、私のせいではなかったことになりました。

ただ、徳島県から参加して頂いたYさんは、家を出た時には台風12号の影響で、雨風が激しかったそうでしたが、フェリーの速度の方が早く台風も追随をあきらめたようで、日本海で温帯低気圧になったそうでした。

朝から沢山の方が「猿払祭り」に来ています。
ホタテの販売では購入のため長蛇の列になっており、一人で沢山の箱を購入していました。

凧揚げ会場に入ると、猿払のホタテの連凧が4本、5本と揚がっていきます。
100枚の連凧の引張強さをバネバカリで計測すると、柔らかい作りの連凧は5.5kg、他の連凧は8㎏超えの強さで手ごたえはしっかりあります。(バネバカリは8㎏までの計測)

ここでの凧揚げは鉄杭は残った場合、草刈機の刃が損傷するので使用禁止です。その代り木杭を打込むためのカケヤが用意されています。

連凧も含めて、自分の凧は思い思いの場所で木杭で縛り飛揚したままで放置しておきます。
つまり、広い場所なので他の凧と干渉しなければ放置したままで、他の凧も揚げることができるので、気楽な凧揚げ会場でもあります。
雀の連凧も開会式の前に揚げて、大会終了間際まで空に泳がせたままでした。

午前9時45分に開会式が始まりました。
凧の会の会長、村長の挨拶があり各々の凧揚げ開始です


開会式


参加者達


雀の連凧


雀の連凧

私の制作した30枚度の六角凧を揚げると、猿払の風を受けて高く飛揚し、横振れもなく静止していました。


六角凧

午後3時ごろ自由解散となり、道内組の方は帰路につきました。

Yさんはホタテと猿払のキャラクターの「さるっぷ」を連凧にして揚げていました。


Yさんの連凧

横連凧


横連凧


横連凧


全景

徳島県のYさん夫婦も縦の連凧や横連凧と持参した凧全てを猿払の空に飛揚させていました。
「場所が広く、他の凧を心配しなくて凧揚げを楽しみました」と喜んでくれました。
Yさんは明日、富良野の方を観光するそうで、凧を降納し次の目的地へ向けて出発していきました。
帰りはきっとハンドルも軽く心穏やかに運転できるでしょう。

私達も片付けてOさん宅へ帰りました。
その晩は天気が良く、凧も揚がったので乾杯!でした。








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さるふつ凧揚げ大会に参加しました(1)

2015年08月06日 | 各地の凧揚げに参加しました
平成27年7月18日(土) 北海道宗谷郡といえば日本の最北端です。
そこから約30㎞オホーツク海に沿って南下したところに猿払村があります。
広大な村営牧場があり、その牧場での凧揚げとなります。


駐車場と牧場


凧揚げ会場

18日の夜半と19日の日中、猿払村最大のイベント「さるふつ観光まつり」が開催されます。
猿払凧揚げフェステバルもホテル裏側の牧場での凧揚げとなりますが、天候が心配です。

午後になると凧の会の仲間や美唄、旭川、稚内から駆けつけた仲間達が各々の凧の調整兼ねて凧揚げが始まります。
風は北西風です。

猿払の凧の会の会員が各々製作したホタテの連凧100枚が次々揚がり始めます。
道内の凧の会の方々は荷解きをしたのですが、いまいち風が弱く揚がりきれません。


雀のパラフォイル凧


ホタテの連凧


ホタテの連凧

私の作った「ホタテの簡単凧」も猿払の風を受けて飛揚しました。


ホタテの簡単凧

午後3時を回ると風も寒くなり雨を持ったような風に変わったので早々に凧を降納した。

前夜祭

ホテルの宴会会場には凧の会の仲間や道内からの参加者、徳島県からはYさんご夫婦が参加されている。
ホタテのポリシートで凧作りをお願いしたYさんでしたが、連凧や横連凧、1枚凧の3種類を製作して頂きました。
それらの凧は会場に展示してもらったので、北海道の凧の仲間には好評でした。
そして2年前に製作し、送った六角凧も展示されています。


舞台で凧の展示


横連凧の展示


前夜祭の開始

前夜祭のテーブルには海の幸が沢山並べられています。
聞くところでは、ホテルの料理の他、猿払凧の会の会からも毛蟹やホタテの刺身等も特別に出してもらっているようで、会員の皆様にはありがとうございます。


料理の一部


前夜祭風景

北海道の凧の仲間達は中々内地の方には出向く機会もなく、特に徳島のYさんのような凧は眼にする機会もありません。
大会当日は自分の凧で精一杯で、人の凧まで見ることもないのです。
それでYさんには前夜祭で珍しい凧を展示して頂くよう事前にお願いしてありましたので、凧の仲間はお酒を飲むのも忘れたようで、珍しい凧の勉強会になったような状況でした。


凧の勉強会


凧の勉強会

時間も大幅に超過した午後9時頃に盛り上がっていた前夜祭も閉会となりました。
外は雨が降っていたようなのですが、明日は晴れますように。



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北海道を旅しました(6)

2015年08月05日 | 旅行
平成27年7月18日(土)曇り
猿払村ははホタテ貝で有名な所です。
今年の冬、大しけの影響でホタテ貝が波の影響で海底の泥に埋もれて死滅したようで、今年のホタテ貝漁は不漁であるといわれている。
毎年恒例の「さるふつ観光まつり」が今日と明日開催されますが、楽しみにして訪れている客に売るホタテ貝は大丈夫なのだろうか?



今朝、目覚めて車中泊のしている車の多さに驚いた。
駐車場の一角にはキャンピングカーが非常に多いのである。さながらオートキャンプ場のようでもある。
このイベントの為にキャンパーが集まっているのでキャンパー同士が知古の友人のように歓談している。


キャンピングカー


キャンピングカー

今日のイベントの為に今日から駐車場規制をするとの看板が設置されている。

駐車場を規制する看板


さるふつ公園を散策すると色々な施設や祈念碑が設置されている。

風雪の塔


農業資料館


乳牛感謝の碑

さるふつ公園の道路を挟んだ海側にインディギルカ号遭難者慰霊碑があります。
この慰霊碑は、昭和14年12月、浜鬼志別沖の荒れ狂う吹雪の中で、旧ソ連の貨客船「インディギルカ号」が座礁転覆した際に失われた700名以上の貴い命を悼み、昭和46年に建立されました。(猿払村HPより転記しました)


インディギルカ号遭難者慰霊碑

遭難の碑


猿払の緯度経度

大きな岩のようなものがあります。
これは中頓別の鍾乳洞付近で発見された約4000万年前ホのタテの化石で、重さは約40トンだそうです。

ホタテ貝の化石


ホタテの貝の形がくっきり

色々な祈念碑がある中で特別目立つ一枚石が林立するモニュメントのような石碑があります。
これは猿払村の漁業はかつて、資源枯渇による苦難の時代を経験しました。
しかし、漁場造成や孵化・放流・育成事業など、漁業者と村が一体となって資源管理型漁業への転換に力を注ぎ、豊かなオホーツクの漁業を再び取り戻しました。
猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び、建てられたのが「いさりの碑」です。(猿払村HPより転記しました)


いさりの碑


碑文

このあと午後から道の駅の南側の牧草地で凧揚げを行います。
今晩は前夜祭、明日は凧揚げフェステバルが行われます。
私達は今日から3日間は凧の知人宅でお世話になり、7月21日から再び旅が始まります。

凧揚げフェステバルは別稿をご覧ください。
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北海道を旅しました(5)

2015年08月04日 | 旅行
平成27年7月17日(金)晴れ
今朝は寒くて目覚めました。外はもう明るいのですがまだ午前4時です。
石川県では日の出の時間は午前5時前後位でしょうか?ちなみに調べて見ると北海道稚内の日の出の時間は午前4時前後で石川県金沢の日の出時間は午前4時47分でした。

朝食を済ませ今日の行程を考えると、稚内のコインランドリーで洗濯し猿払に入るだけなのです。
昨日は奈井江町と小平町で宿題が残ったままですっきりしない1日を過しました。
このまま行程進めると帰ってからきっと後悔が残ると思ったので、昨日訪ねた時不在であった小平町の図書館の学芸員を訪ねることにしました。

道の駅天塩から小平町まで約100㎞、時間にして約2時間程戻ることになります。

昨日、日没前に通った道ですが今日は快晴で空も海も青く快適なドライブ日和です。


国労232号線

小平町の図書館で学芸員の長澤さんと会い、大椴の開拓者について尋ねたのですが、自分は福島県から就職したので町史に書いてある事以上に詳しいことは分からないとのことでした。
どうも古代の遺物や化石類が展示した博物館的な場所になっているのでそちらの関係の学芸員だったのを早とちりした自分が恥ずかしくなりました。

気を取りなおして大椴地区をもう一度訪ねることにしました。
国道232号線から右折し道道958を東進すると小さな橋があります。
1号橋、2号橋で次は3号橋と思いきや豊年橋となった。次は観世音橋となり、左側に集会場があります。








大椴川とはどのような川かと覗いてみるとどこにでもありそうな小川で圃場整備されていない田畑を見るとやはり吉野谷の一部分と重なり合う風景だと思うのは私だけだろうか。

大椴川


大椴の田園風景

大椴の田園風景


大椴集会場

集会場前の自販機に地元の方がいらっしゃったので話を聞くと、吉野谷出身で4代目だという林さん。
この地区の歴史に詳しい岩倉さんを紹介して頂くことが出来ました。
岩倉さんは3代目で以前吉野谷村を訪問したことがあるとのことでした。
沢山貴重なお話を伺うことが出来、今回の旅で一番の収穫となりました。
大椴地区は開拓移住者がそのまま残っている貴重な場所であることも教えて頂きました。
そして大椴地区のお米は何度も品評会で賞を取っており、美味しい有名なお米だそうです。
ご夫婦に別れを告げ一路天塩へ。

道の駅天塩に戻ったのは午後2時を回った頃でした。
道の駅天塩で以前食べたラーメンは豚骨味でニンニク臭が次の日まで残る強烈な味の思い出があります。
天塩に来る時間は営業時間外が多く、再び食べる機会が無かったのですが、今回久しぶりにラーメンを食べることにワクワクししていますが・・・目的のラーメンがありません。
チャーシュウ麺を注文し、食べるとチャシュウが厚いのです。それと1枚、2枚・・・結局大きなチャーシュウが5枚も麺の上に乗っていました。
これが名物なのでしょうか、チャーシュウと麺で満腹に。味の方は・・・?
今回、道の駅天塩でラーメンを食べることが目的の一つでしたが、道の駅天塩でまた良い思い出ができました。

天塩を出てオロロン街道を北上します。
風力発電の風車が沢山並んでいます。2000年に同じ場所を通った時の風景が鮮明に記憶としてあり、風車を見るたびに折角の大自然の風景を満喫できる場所なのに残念だとの思いです。

サロベツの風力発電


オロロン街道を北上すると左側に利尻島が、その島の利尻富士が見えます。

利尻富士

なお北上すると稚内温泉「童夢」につきました。


稚内温泉「童夢}

入湯証明書に今日の日付印を押してもらいました。

温泉の露天風呂から今回初めて利尻島が見えました。今まで雨降りか曇りで今回見えたことでとても感激しました。

稚内市内のコインランドリーで洗濯です。
こちらに来ているときは毎回この店を利用しています。
洗濯している間に夕食です。

日本の最北端の宗谷岬に到着しました。
夕陽が沈むのを見ていたのですが、雲がありきれいな夕陽ではありません。
時刻は午後7時で気温19度です。

以前来た時は早朝でしたが気温8度で随分寒い思いをした記憶がよみがえってきます。


宗谷岬の表示


宗谷岬の夕暮れ

そこから30㎞程走行するとオホーツク海に面して道の駅猿払があります。
今晩は道の駅猿払で車中泊することにしました。

道の駅さるふつに到着したのは午後8時を回っていましたが、広い駐車場は車、車、車でほぼ満車状態で駐車場の一角には50台以上のキャンピングカーが展示場のように駐車しています。
今まで通過してきた道の駅には何台かキャンピングカーが駐車していたのですが、宗谷岬の駐車場には車中泊の車がいなかったので不思議に思っていました。
類は友を呼ぶではないのですが皆、猿払の道の駅に集まったのでしょうか。
この道の駅には日帰り入浴できるホテルも駐車場に併設されいるので車中泊をするのには利便性が良いのでしょう。

私達は稚内で入浴も夕食も済ませてきたのでこのまま就寝です。
今日は長い1日だったのですが、大椴の方と懇談出来たことで有意義な1日でした。




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北海道を旅しました(4)

2015年08月03日 | 旅行
平成27年7月16日(木) 天候:晴れ
道の駅しんしのつで目覚めました外は明るいのですが時間はまだ5時です。今日も暑くなるのでしょうか。

新篠津には開拓当時に平安農場という農場があり明治29年に石川県から32戸の小作人を入植させた記録がありましたが、新篠津村役場に問合せしたのですが入植者の氏名、出身地は不明でした。

目覚めて公園付近を散策すると中にはキャンプ場や石狩川の彎曲部を活用した池などもありました。
駐車場にはキャンピングカーが5台と車中泊の車が20台くらい止まっていました。



公園


公園の池

次の目的地へ向かって駐車場を出発すると石狩川にかかる長い橋梁を渡り川の中州に堤防がありました。
早朝なので人も、車もいません。この場所で凧を揚げることにしました。
手軽なビニール製をあげることにしました。風もあり凧揚げを楽しんでいたのですが、そのうち風も弱くなったので凧を降納しました。
石狩川の堤防の脇は草刈が行われており、河川が広いのがよくわかりました。


石狩川にかかる橋梁


揚がる凧


揚がる凧

堤防の砂利道を走ると車の後方が白い煙幕をはったようになってしまいました。

三笠の道の駅では果物が沢山並べられています。そこで夕張メロンを購入し日時指定で発送をお願いしました。

三笠の道の駅横に「イオン三笠店」がありウインドショッピングで時間調整します。
ガソリンスタンで北海道に来て初めて給油と砂利道で汚れた車の洗車をしました。

最初の目的地は奈井江役場です。国道12号線を北上すると「直線道路日本一」という立て看板があります。
この国道の砂川で痛ましい交通事故があり、まだ記憶に新しいのですが今回はその場所は通りません。


国道12号線看板

奈井江町役場では白山地区について聞き取りしたいので立ち寄りました。
応対して頂いたのはご本人が白山地区出身の女性職員の方で、白山地区在住の方を紹介して頂けるということで電話連絡したのですがつながりませんでした。
白山神社の場所をお聴きし、国道12号線を右折し道道114号線を東進すると、左側に「白山開拓百年記念碑」がありました。


白山開拓百年記念の碑

それからさらに進むと道路の左側奥に鳥居が見えました。その道路は電撃防止線で行く手を阻むように張られています。
遠くからですが撮影し、その場を後にしました。


白山神社遠景

その方とお会いで来たら色々お聞きしたいことがあったので、もう少し残るかどうか心の葛藤がありましたが次の目的地に向かうことにしました。

奈井江砂川ICから道央道に入り砂川ハイウエーオアシスで昼食を取り、留萌に向かいます。
市立留萌図書館で「留萌町史」を閲覧したのですが開拓移民に関しての記述はなかったので、小平図書館へと向かいます。

小平図書館は小平町文化交流センターの中にあり、1階には小平町の看板にある恐竜の骨格模型が展示されています。

図書室で石川県からの移住について聞くと、詳しい学芸員が本日不在とのことで小平町史を閲覧し必要個所のコピーをお願いすると1枚20円とのことで、この町ではそのように価格設定しているようです。
結局建物横のローソンでコピーすることになりました。ここは1枚10円也。

小平町役場を訪問し石川県からの移住者について問い合わせをすると、対応して頂いた総務課長は「しばらく待って」と2階に行き20分位戻ってこなかった。
戻った時には資料のコピーを3枚ほど手にして大椴地区に関して調べて頂いたものでした。その資料を頂き役場を後にしました。

国道232号線を海岸にそって北上すると道路標識があり右側に大椴(おおとど)と書かれている。


道路標識

右折すると「寧楽方面には通り抜けできません」と書かれています。つまりこの道路は大椴だけに行く道路を示しています。

通行止め看板

道路を進むとどこか懐かしさを覚える感じの風景が広がります。


ほどなく大椴の集会場があり、左手奥に赤い鳥居が見えます。
この神社が大椴神社で開拓記念碑が建立されていました


大椴神社


開拓記念の碑


小林乙吉の碑

今晩の宿泊場所はこの近くの望洋台キャンプ場の予定であったがまだ時間もあるので先に進むことにしました。

道の駅 「ロマン街道しょさんべつ」を今晩の宿泊場所に設定し道の駅に着いた。
道の駅にはしょさんべつ温泉とホテルが併設されています。
温泉は入湯料が500円と手ごろな温泉で窓越しに日本海の展望が眺められる温泉でした。
道の駅には「車中泊は駐車場でお願いします」と大書されていましたので駐車場に行くと、トイレと思われる入口は塞がれて利用できない状態でした。
それで、道の駅天塩まで走行し、今晩はここで車中泊をすることにしました。
夜は星空がとてもきれいでした。
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