加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

ミニ凧材料の準備

2014年06月21日 | 金沢市学童保育との凧揚げ大会

平成26年6月20日 学童保育のミニ凧の材料準備が整った。
ビニールは袋状のロールから1枚づつ型紙に合わせて切り取るため100枚切り取るのに2日間かかった。ピアノ線は1mm、竹ひごは1.8mmを寸法に合わせて準備した。
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ビニールの切取り

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ピアノ線の切断


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準備が出来たミニ凧の材料

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講習会凧用の試作凧

2014年06月16日 | 金沢市学童保育との凧揚げ大会

平成26年6月15日 アンパンマン1号の紙は山梨県の金長特殊製紙株の「和凧用メッシュ強力和紙」のロールタイプを使用したので凧の重さは85gと意外に重くなっていた。
軽くするために四国のウィンドラブさんの7匁の機械漉き和紙を2枚張り合わせたアンパンマン2号を試作しました。
重さも65gと軽いものが出来上がり試し揚げを行いました。
風の向きが変わった時に凧の糸目がアンパンマンのマントの下の部分に入り紙が破れてしまった。
凧は軽くなったのですがアンパンマン凧の大きさでは紙が弱く子供たちの凧揚げには不安要素があります。
今回はタフトップを使用したいと思いアンパンマン3号を試作した。
製作した凧の重さは94gで1号より重くなってしまった.

1号、2号とも彩色には染料を使用したそのためアンパンマンの顔の色が出せなくて苦労しました。
3号は絵具を使用したので顔の色については何とか満足できる顔色になったが、他の色については絵具ゆえの塗むらが出たが揚がってしまえば・・・・である。
アンパンマン凧については1~3号とも骨組みを若干変えて試作してあり、今度の試し揚げで骨組みを確定したいと思っている。

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アンパンマン凧 (左より1号~3号)

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アンパンマン凧裏面(左より1号~3号)

ピカチュウ凧1号は天骨3か所プラス」縦糸目2か所の5点糸目であったが、2号は縦糸目3か所だけに変更し試作した。
1号は手すき和紙の7匁相当であったが、2号機はタフトップ紙を使用した。
骨組みに関しては変更しなかった。
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ピカチュウ凧(左より1号~2号)

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ピカチュウ凧裏面(左より1号~2号)

ドラえもん凧1号は最下部の竹ひごを弓形にし斜め骨に沿わせる配置としたのですが、最下部の骨組みを上部の割竹と同じく平行に配置し、そり糸で反りを付けるように骨組みを変更し2号を試作した。
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ドラえもん凧(左より1号~2号)

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ドラえもん凧裏面(左より1号~2号)

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金沢市史の中の凧について

2014年06月15日 | 金澤郷土の凧資料

石川県立図書館で図書館の方より「金沢市史」を教えて頂き新たな発見に繋がりました。
今度は「金沢市史」(昭和48年発行)より金沢の凧を探ってみました。
金沢市史では元禄の頃の凧あげとなっていますが、「元禄時代」を調べてみると、
「5代将軍・徳川綱吉が在職していた天和・貞享・元禄・宝永の時代(1680~1709年)をさしますが、文化史的には江戸時代前半の文化を総称して元禄文化の時代と言う場合もあるそうです。」

金澤市史の原文を掲載します。

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講習会用凧の型紙作り

2014年06月09日 | 金沢市学童保育との凧揚げ大会

平成26年6月8日 キャラクター凧の制作をするために厚紙で凧の型紙を作ることにしました。
型紙に使う厚紙ボール紙がなかったので、以前購入した白山市内の紙屋さんから購入することが出来た。
厚紙は凧の寸法より小さかったが厚紙を張り合わせて使うことで三つのキャラクター凧の型紙が出来たあがった。

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アンパンマン凧型紙

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アンパンマン凧型紙

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ピカチュウ凧 型紙

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ピカチュウ凧型紙


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ドラえもん凧型紙
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ドラえもん凧型紙

子供たちが作りやすくするために紙質と骨組みを変えて試作しなければ・・・・




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「図説 石川県の歴史」の本より

2014年06月08日 | 金澤郷土の凧資料

 平成6年に石川県立博物館の学芸員の方から「図説 石川県の歴史」(河出書房新社発刊)の「凧あげ」図を教えて頂きました。
成巽閣を訪問し写真を借用することができましたので、絵図を参考にして「婦くら雀凧」「扇子凧」を再現することができました。
大橋栄二先生の著書「やさしい和凧」でも金沢の凧として紹介して頂きました。

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河出書房新社刊「図説 石川県の歴史」

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凧あげ図」が中段中程に記載されています

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凧(いか)あげの図を拡大しました

「図説 石川県の歴史」より「金沢のにぎわい」の中に凧揚げの絵があります。
ページ末巻に「金沢繁盛記」の説明があります

「金沢繁盛記」:全体は折帖(屏風のように折りたたみ、裏打ち、表装)となり、題箋(だいせん)(表紙の上部に貼られた短冊形の紙)に「時代の面影金沢繁盛記」とある。

金沢城下町を中心とした年中行事、民俗17をとりあげているが、北陸大学名誉教授の小林輝冶氏が発見、金沢市教育委員会編『金沢の口頭伝承、補遺編』に、凧あげ、田舎の盆踊り、秋祭りの3図を紹介している。

「凧(いか)あげ」原文を現代文にすると下記になります。
「奴凧あげは文久年間では 実に盛大なもので御座いました
追々時勢に伴いましてすたれて参りました
扇子凧、婦くら雀凧などは御国名物にて他にはなきように存じます
又、出し物と申して傘に仕込みまして図のごとく、凧の糸に通し
風に際びて上へと進めるのでひも下糸に止めがつけて有り枡故
其所にてとめると同時にさきの出し物が風に翻って
落下するので御座います」

「凧あげ」の絵の説明

 参勤交代により藩士の江戸での生活が定着し、江戸の文化、風習が金沢に取り入れられるようになってきました。

凧はお正月の遊びとして羽根付き、こま回しと同じく年中行事だったのでしょう。したがって、玩具屋にはその季節には店先を賑わしたものでした。

・凧には「いか」とルビがふられていることからこの時代には「いか」と呼称されていたことが分かります。

・絵では、武士と子供が凧を揚げている様子が描かれています。

・凧は一般的に揚げられていたのでしょう。文久年間では盛大であったが、年々衰退していったと書かれています。

・この絵の中では扇子凧、婦くら雀を揚げています。これらの凧は、金澤名物で他所には無いものであると書いてあります。

・凧の揚げに傘のような物が通してあり、達磨、鯛、筆の様な紙片が傘の中から飛散したように書かれています。この紙片が「出し物」と表現したものでしょう。

   私が「凧揚げの図」を成巽閣より入手する時、また「日本の凧の会 会報」に投稿する時も成巽閣に「凧揚げの図」使用の許可願いを提出しました。

  成巽閣側より資料が一人歩きをしないよう、写真の返却も言われましたが成巽閣の資料を大切にしている証拠でしょうか。先日、成巽閣を訪問する機会があり館長さんに「凧揚げの図」の写真について聞いたのですが、東京の「前田育徳会」で管理しているとのことで、以前のようには簡単には許可が出ないので、「河出書房新社」の図鑑での掲載としてあります。

 

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