加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

「図説 石川県の歴史」の本より

2014年06月08日 | 金澤郷土の凧資料

 平成6年に石川県立博物館の学芸員の方から「図説 石川県の歴史」(河出書房新社発刊)の「凧あげ」図を教えて頂きました。
成巽閣を訪問し写真を借用することができましたので、絵図を参考にして「婦くら雀凧」「扇子凧」を再現することができました。
大橋栄二先生の著書「やさしい和凧」でも金沢の凧として紹介して頂きました。

Dscf6685  
河出書房新社刊「図説 石川県の歴史」

Dscf6688
凧あげ図」が中段中程に記載されています

Photo_3
凧(いか)あげの図を拡大しました

「図説 石川県の歴史」より「金沢のにぎわい」の中に凧揚げの絵があります。
ページ末巻に「金沢繁盛記」の説明があります

「金沢繁盛記」:全体は折帖(屏風のように折りたたみ、裏打ち、表装)となり、題箋(だいせん)(表紙の上部に貼られた短冊形の紙)に「時代の面影金沢繁盛記」とある。

金沢城下町を中心とした年中行事、民俗17をとりあげているが、北陸大学名誉教授の小林輝冶氏が発見、金沢市教育委員会編『金沢の口頭伝承、補遺編』に、凧あげ、田舎の盆踊り、秋祭りの3図を紹介している。

「凧(いか)あげ」原文を現代文にすると下記になります。
「奴凧あげは文久年間では 実に盛大なもので御座いました
追々時勢に伴いましてすたれて参りました
扇子凧、婦くら雀凧などは御国名物にて他にはなきように存じます
又、出し物と申して傘に仕込みまして図のごとく、凧の糸に通し
風に際びて上へと進めるのでひも下糸に止めがつけて有り枡故
其所にてとめると同時にさきの出し物が風に翻って
落下するので御座います」

「凧あげ」の絵の説明

 参勤交代により藩士の江戸での生活が定着し、江戸の文化、風習が金沢に取り入れられるようになってきました。

凧はお正月の遊びとして羽根付き、こま回しと同じく年中行事だったのでしょう。したがって、玩具屋にはその季節には店先を賑わしたものでした。

・凧には「いか」とルビがふられていることからこの時代には「いか」と呼称されていたことが分かります。

・絵では、武士と子供が凧を揚げている様子が描かれています。

・凧は一般的に揚げられていたのでしょう。文久年間では盛大であったが、年々衰退していったと書かれています。

・この絵の中では扇子凧、婦くら雀を揚げています。これらの凧は、金澤名物で他所には無いものであると書いてあります。

・凧の揚げに傘のような物が通してあり、達磨、鯛、筆の様な紙片が傘の中から飛散したように書かれています。この紙片が「出し物」と表現したものでしょう。

   私が「凧揚げの図」を成巽閣より入手する時、また「日本の凧の会 会報」に投稿する時も成巽閣に「凧揚げの図」使用の許可願いを提出しました。

  成巽閣側より資料が一人歩きをしないよう、写真の返却も言われましたが成巽閣の資料を大切にしている証拠でしょうか。先日、成巽閣を訪問する機会があり館長さんに「凧揚げの図」の写真について聞いたのですが、東京の「前田育徳会」で管理しているとのことで、以前のようには簡単には許可が出ないので、「河出書房新社」の図鑑での掲載としてあります。

 

コメント    この記事についてブログを書く
« 学童保育クラブより凧数量の連絡 | トップ | 講習会用凧の型紙作り »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。