加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

2016年北海道旅行(13)

2016年08月31日 | 旅行
平成28年7月27日 三笠の道の駅は平日でもあり車中泊の車は思ったより少なかった。
昨夜、妻が38度位発熱したが、抗生剤と痛み止めが効いていたせいもあり、ゆっくり眠れたそうで朝は元気に目覚めました。
道の駅の青果店を覗いたのですが、先日お話していたお兄さんがいなかったので道の駅隣のイオン三笠店に行き、朝食のパンと三笠のメロンをお土産に買いました。

苫小牧東港に行く途中で札幌の六花亭に行きたかったので出発しました。
三笠では曇り空でしたが、岩見沢を過ぎるころから雨模様になりました。
札幌市内に入りましたがさすが北海道の大都会、今日は雨が降っているせいか道路は交通渋滞が激しく町の中の駐車場も満杯状態です。

(札幌駅)

(テレビ塔)

六花亭は見つかったのですが、駐車場の都合で行くことをあきらめ、以前から気になっていた場所に行き先を変更しました。
札幌市中央区南12条西6丁目に目的の場所があります。車のナビに導かれその場所に着きました。
昔は坂本木材株式会社の本社兼自宅で料亭鴨川のあった場所ですが、現在はエリエールスクエアー札幌の「渡辺淳一文学館」が建っていました。
エリエールはティシューペーパーやトイレットペーパで有名な大王製紙株式会社です。

(渡邊淳一文学館)

入館料を払い、館内を見学する事にしました。
渡辺淳一と聞くと「失楽園」を思い出すほど不倫ドラマの作家としか認識していなかったのですが、館内の説明を見ていくとその人と生き様が見え、今までの見方が一変してきました。

渡辺淳一は昭和9年に北海道空知郡砂川町に生まれ、中学校の時に文学に目覚めたとありました。
札幌医科大学の医学部に入学し、勉学のかたわら分筆活動もしていたようで、新潮同人雑誌賞を受賞しました。
医師の国家資格もあり、札幌医科大学整形外科教室の講師として活躍していましたが、当時心臓移植手術の和田寿郎教授を批判していた事から医学界を止め、東京で執筆活動に専念する様になったそうです。
彼の文学の根底にあったのは人間本来の姿を追い求める作風だったのではないでしょうか。

(文学館展示)

(文学館展示)
渡辺淳一の生誕から幼少期、青年期、そして医局時代から作家への転身。
テレビや映画の俳優の写真が数多く展示してありました。
それと、将棋が得意で六段、五段の免許状などもあり、多才な一面もあった様です。
平成 26年80歳で永眠されるまで執筆活動していました。
北海道生まれな気宇な文学者の一面に触れることができました。

建物の前の道路を隔てて中島公園があり、公園の中には札幌コンサートホールや国立文学館があり静かな文教地区というイメージがある所でした。。

(建物前道路)

坂本竹次郎の居宅跡地を後にしましたが、雨足は一向に弱くなりません。
札幌市内へと戻り、札幌北ICから道央自動車道に乗り千歳に向かいます。
雨が降っているので観光どころではなく、道の駅のスタンプラリーをしてフェリー乗船までの時間つぶしをしました。

苫小牧のイオンモール苫小牧では頼まれていた六花亭のお菓子を買うことが出来ました。
夕食、そして明日の船内での弁当なども買いました。

苫小牧東港に着くと沢山の車両が止まっています。


(フェリースズラン)

(乗船を待つ車両)
フェリーの到着が遅れたのでしょうか、トラックやコンテナがひっきりなしに下船していきます。
定刻になっても乗用車の乗込みが始まりません。乗れることが分かっていても乗込みの時間が遅れると皆イライラしています。
雨風が強い中でバイクのライダーたちはただ乗船を待っているだけで雨に濡れてかわいそうです。
23時30分に乗船開始となりました。

乗船すると館内放送で港外は荒れているので、乗り物酔いの薬の販売とエチケット袋の配布をするとの放送がありました。
今日一日雨の中を走ったせいかとても疲れていたので、ワンカップ酒を飲み干し身体を横たえると、船の心地よい振動が身体伝わりそのまま眠りにつきました。

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