加賀の旅人

郷土の凧と歴史の狭間に埋もれた凧の歴史を尋ねる旅人です。

2016年北海道旅行(2)

2016年08月01日 | 旅行
平成28年7月16日 今年もやってきました。

昨年に引続き「樺太との電気通信ゆかりの地」を訪れました。
中頓別から国道238号線を猿払方面に北上し浜猿払を海側に右折し、海側に沿って少し中頓別方向へ戻るように走ると「猿払電話中継所跡」があります。

(中継所跡の碑)

今年も青い空に青い海が一段と紺碧の色に染まっています。
お昼時間だったので向かいの会社のお母さんが休んでいました。
そのお母さんから貴重なお話を聞くことが出来ました。
中継所の建物は向かいにある会社であるとのことで、鉄筋コンクリート造りの部分がそうで、道路をつけるために一部分を壊し、会社とするために増築して使っているとのことでした。

(旧中継所は現在海王食品株式会社が現在所有しています)
この建物のことは、他の方からも同様な話を聞きました。

5条の海底ケーブルが記念碑のように立ち並んでいるのを見ると、戦後70年の経過を感じさせるものです。
この海底ケーブルは北海道博物館に保存されているそうですが、猿払村の郷土資料館にも同様な物が保存されているようですが、一般公開はされていません。

(海底ケーブル)

(海底ケーブルを収めたマンホール)


そして碑文にはこのように書かれています。
皆さん
これが最後です
さようなら
さようなら

昭和20年8月15日終戦、それから5日後の昭和20年8月20日
ソ連軍が樺太(サハリン)真岡上陸を開始しようとした。
そのとき突如日本軍との間に戦いが始まった。
この日の電話交換手である九人の乙女達は窓越しに見る砲弾の炸裂、
戦火と化した真岡の街、刻々と迫る身の危険、もうこれまでと決断、死
の交換台に向かい「皆さん これが最後です さよなら さよなら」
の言葉を残し夢多き尊い花の命を絶ち職に殉じた、この思いを繋い
のが当時電気通信の拠点として重要な役割を果たしていた「猿払電話
中継所」なのです。

私達は猿払ライオンズクラブ設立20周年記念に当り、殉職した
9人の乙女の霊を慰め、また電気通信ゆかりの地に電気通信の功績を
顕彰すると共に世界の恒久平和を祈り、この碑を建立する。
平成18年12月10日
猿払ライオンズクラブ   二十一代会長 鳥谷部 徹雄
寄 贈   猿払ライオンズクラブ

今年もこちらに立ち寄ることが出来ました。
殉職された方々に平和を感謝し、敬意をこめて合掌!
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