古文書 『織田信長朱印状』 折紙
山城国冨森内
拾五石事 為新
地宛行了 全
可直納之状 如件
天正参
十一月七日 (朱印)「天下布武」
上御蔵
立入左京入道
【読み下し文】
山城国冨森の内拾五石事
新地として宛行(あてが)いおわんぬ
全く直納(じきのう)すべきの状
件の如し
天正参(年)
十一月七日 (朱印)「天下布武」
上御蔵
立入左京入道(宗継)
【立入宗継(たちいり むねつぐ)】
正親町(おおぎまち)天皇に織田信長への助力を進言し、困窮していた朝廷の財政の建て直しに、自らその交渉に当たったといわれる人物。(資料「道家祖看記」)
京都御所の東にある清浄華院(しょうじょうけいん)に立入家歴代の墓があり、記念碑が建っている。
史料:綸旨御奉書下知状/写真:織田信長朱印「天下布武」
山城国冨森内
拾五石事 為新
地宛行了 全
可直納之状 如件
天正参
十一月七日 (朱印)「天下布武」
上御蔵
立入左京入道
【読み下し文】
山城国冨森の内拾五石事
新地として宛行(あてが)いおわんぬ
全く直納(じきのう)すべきの状
件の如し
天正参(年)
十一月七日 (朱印)「天下布武」
上御蔵
立入左京入道(宗継)
【立入宗継(たちいり むねつぐ)】
正親町(おおぎまち)天皇に織田信長への助力を進言し、困窮していた朝廷の財政の建て直しに、自らその交渉に当たったといわれる人物。(資料「道家祖看記」)
京都御所の東にある清浄華院(しょうじょうけいん)に立入家歴代の墓があり、記念碑が建っている。
史料:綸旨御奉書下知状/写真:織田信長朱印「天下布武」