武産通信

東山三十六峰 月を賞で 雪を楽しみ 花に酔う

植芝盛平伝(6)

2013年07月16日 | Weblog
☆植芝盛平語録

 各地の武術道場へ参りまして見ますのに、神様のお祀りしてある道場は甚だ少ない。とくに学校等で殆んど全てが神様をお祀りしていないのであります。現代の人々はただ身体を動かすことによって武道を体得し、武術を修練することができると思っているようであります。かかる精神によって指導されて、汗を流して一生懸命に武術の稽古をしている人々を見ます時に、私は一種いうことのできない哀愁と重大なる責任を感ずるのであります。
 道場とは読んで字の如く道の修業場であります。今日の道場はむしろ工場といった方が適当のように思われます。
 人は刀によって切られる前に先ず切尖より迸る殺気によって切られるのであります。
 例えば少し剣道に達してくると刀を振り下ろして来る敵の意志相念は時間空間を超越してこちらへ直感できるものであります。また私が両三度経験したことは、ピストルの弾丸等も実弾が発射する前に約一寸位の白色の想念の弾丸がシュツと音をは発して飛んでくるのであります。
 しかし真の武道からいいますと敵の行動を単に予見するのはまだ至らざるものでありまして、敵を自分の意志の通りに働かす力、即ち一切を自己の内に抱含する力量が備わってきてこそ誠の神の道を宣揚することができるのであります。
 これは武道に関する霊的体験の一端でありますが、今日の武術家にして神を敬い、霊体一致の修業を必要とする点に覚醒されたならば、その心境は自ら驚嘆されるものがあろうと思うのであります。 (植芝守高(盛平)『武道』武道宣揚会版)

 最初は産屋として茨城県岩間に道場をつくりました。小さいが世界にひびく道場である。これは神示によって建てられたのである。小さな社しか建てられなかったが、禊の神のご神示によって天降ったのである。その社には五柱の神(猿田毘古大神、速武産大神、須佐之男大神、建御雷大神、経津主大神)を奉祭してある。猿田毘古大神のご指示によって創ったのであって、私の作ったものでない。私を通してはいるが、私は、大神のままに動いているだけである。 (植芝盛平先生口述『武産合気』高橋英雄編 昭和33年~36年講話)


☆合気神社駒札『合気神社由来記』

 合気神社は世界でただ一つの合気道に関わる神社であり、合気道開祖植芝盛平翁が建立、昭和十八年晩秋に完成しました。須佐之男大神、武甕槌大神、経津主大神をはじめ、開祖植芝盛平翁の守護神、猿田彦大神、国津竜王、九頭竜大権現、手力男命、天叢雲九鬼沙牟波羅竜王、家津美御子大神、稚産霊命の他、竜王、大権現、大天狗、大菩薩等、四十三柱の大神様が祀られており、年一度の例大祭は四月二十九日に執り行われ、日本国内は勿論、海外からも多数の合気道修行者が訪れ、開祖及び吉祥丸二代道主を偲び、合気道の発展、道場の安全、技術の向上と共に、世界の平和を祈願します。
 
                        【道歌碑】     美しき此の天地の御姿は主の作りし一家なりけり     盛平
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