瀬崎祐の本棚

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詩誌「Zero」 16号 (2021/05)  東京

2021-05-01 20:19:25 | ローマ字で始まる詩誌
8人が集まり18頁。

北川朱実「ロードランナーとザトウクジラ」
北アメリカの砂漠地帯を疾走するロードランナーが、国境の鉄条網に行く手を遮られる。そして鳥羽湾には迷い込んだザトウクジラがいる。広々とした自然の中をどこまでも走り、また深く泳ぐはずのものが、制約された生に陥っている。ザトウクジラは尾ヒレで海面を叩き、小さな虹が立つ。

   何を割ったのだろう

   陸地を縁取りながら 円周が
   遠くへとひらいて

作者はそれ以上のことは語らない。語らないことによって、作者が切りとって描いた情景から読み手に向かって放たれるものがある。

新井啓子「さっちゃん」
さっちゃんはごはんを食べるのが遅いうえに文句ばっかり言う。さっちゃんは呆けちょうて、かっこ悪いのだ。そんなさっちゃんは、わたしが帰るときにはいつまでも家の前の石段で見送ってくれる。

   いちど
   曲がってから ひょっこり後戻ってみたら
   さっちゃんはまだ石段に立っていた
   私に気がついたけど
   何も言わなかった
   わたしも何も言わなかった
   小さく(こまあ)なったなぁ さっちゃんは

最後になってさっちゃんが母親であることが判る。「難儀な(あばかん)女です」と言うけれども、母に対する愛情が浸みとおっている。泣けるほどに好い作品です。

長嶋南子「東花畑一丁目」
町名に反して花の畑はなく、家の前のどぶ川では子どもが流されたりする。新築の家には「ふるさとから切り取られた男と女が住んでい」る。ふるさとに帰れない夫も「風呂敷に包まれて押入のなかにい」る。そんな町内では盆踊りがひらかれ東京音頭を踊っている。ふるさとではないから、今はこの町で”東京音頭”を踊るしかないのだ。

   踊りの輪のなかに透き通ったからだの夫がただよっ
   ています 帰るところがないからです 迷子になっ
   て家に帰れなくなる息子の手を夫がひいています 
   息子のからだが透き通ってきました わたしもただ
   よいながら透き通ってきました

ふるさとから拒まれたようにしてこの街に暮らす人は、いつまでもこの場所で仮の暮らしを続けるのだろう。最終部分では、暗渠のなかをここはふるさとだといいながら子どもが流されていく。背中の方から薄ら寒くなるようなブラック・ユーモア感も流れている作品だった。
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