毎号楽しみにしている北川朱実の個人誌。20頁。
今号の寄稿作品は福間健二「きのうの雲」。
話者は最近の日記は言葉三つだけだという。たとえばある日は「晩年/ウクライナ/からし菜」である。この言葉がその人が生きたその日を担っているのだろう。そしてそれらの言葉からの想念が話者をどこかへ連れ去ろうとしているようだ。昼の夢には若い女性もあらわれる。最終連は、
いや、ちがう。何も言わずに炎を踏み消して
どこかに行ってしまったが
煙が目にしみる。
きのうの雲が隠しきれなかったものを
これから見るのだ。
私(瀬崎)の感じ取り方としては、日記の言葉には常に肉体がつきまとっている。しかし詩の言葉はそれとは異なり、作者の肉体から生じながらも作品となった時点で肉体を消し去る。どうだろうか?
北川は3編の詩を載せている。その中から「偏西風」。
下校時には側溝の金網の上やマンホールのふたの上を歩き、喉が渇く。端的に作者が選び取った光景だけで構成される世界は、その外側にあるものを読む者に提供してくれる。数行で区切られた連の間隙が大変に効果的なのだ。文房具店の店先にあった地球儀を「力まかせに回す」と「日付変更線をまたぎ/青い軌道を越え」て「偏西風は/世界を一周」する。作者の意識も今の世界情勢に及んでいるのだろう。最終連は、
土手下の
水たまりに落ちた飛行機を
川ごと
ランドセルに引き込んで
溺れながら歩く
下校していた話者と世界が絡みあう。言葉は華麗に跳んで、作品世界はこの後もどこまでもひろがっていくようだ。
今号の寄稿作品は福間健二「きのうの雲」。
話者は最近の日記は言葉三つだけだという。たとえばある日は「晩年/ウクライナ/からし菜」である。この言葉がその人が生きたその日を担っているのだろう。そしてそれらの言葉からの想念が話者をどこかへ連れ去ろうとしているようだ。昼の夢には若い女性もあらわれる。最終連は、
いや、ちがう。何も言わずに炎を踏み消して
どこかに行ってしまったが
煙が目にしみる。
きのうの雲が隠しきれなかったものを
これから見るのだ。
私(瀬崎)の感じ取り方としては、日記の言葉には常に肉体がつきまとっている。しかし詩の言葉はそれとは異なり、作者の肉体から生じながらも作品となった時点で肉体を消し去る。どうだろうか?
北川は3編の詩を載せている。その中から「偏西風」。
下校時には側溝の金網の上やマンホールのふたの上を歩き、喉が渇く。端的に作者が選び取った光景だけで構成される世界は、その外側にあるものを読む者に提供してくれる。数行で区切られた連の間隙が大変に効果的なのだ。文房具店の店先にあった地球儀を「力まかせに回す」と「日付変更線をまたぎ/青い軌道を越え」て「偏西風は/世界を一周」する。作者の意識も今の世界情勢に及んでいるのだろう。最終連は、
土手下の
水たまりに落ちた飛行機を
川ごと
ランドセルに引き込んで
溺れながら歩く
下校していた話者と世界が絡みあう。言葉は華麗に跳んで、作品世界はこの後もどこまでもひろがっていくようだ。
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