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詩集「さんぽさんぽ」 坂田瑩子 (2019/07) 思潮社

2019-08-16 17:18:13 | 詩集
 第6詩集。92頁に22編を収める。
 人間の行動は、他者の視線で捉えられてみれば、滑稽で、それでいてどこか哀れなことが少なくない。この詩集の作品は、そんな行動を取ってしまう自分を他者からの視線に晒すように捉えている。居直ってしまった自分を楽しんでいるようでもある。

「なつやすみ」では、あたしは図鑑の誰も居ない大昔の風景にネコと自分を書き足した。でも、なつやすみなので「だれもみつけにきてくれない」のだ。ここには、あたしは淋しいのだろうかと自問している雰囲気も感じられる。

   そのうち
   学校はがらんどうになり
   図書室もがらんどうになり

   ネコとあたしは火山にむかってあるいている
   だれも助けになんかいかないよ

 自分以外のみんなはどこかにいて、自分だけがここに取りのこされている。他者から疎外されている話者がいるのだが、最終行の「だれも助けになんかいかないよ」には見栄を張りながらの強さがある。

 「穴」。ちいさな妹と二人で、畑にあいていた穴に落っこちてしまう。せまい入り口の中は広間のようにひろくて、妹はどんどんおおきくなって母親のようにあたしを叱る。そして、

   妹はおおきくなりすぎて穴からでられない
   あたしは知らんふりして家にかえる
   昼ご飯たべて 夜ご飯になって
   妹はいないけど
   誰もさわがない いないよとといったら
   探しておいでといわれた

 そこで穴をのぞくと、懐中電灯に照らしだされたのは「欠けた茶碗だけだった」のだ。とても意地悪なあたしがいるのだが、しかし、妹なんてはじめからいたのだろうかという気にもさせられる。それとも、あたしは妹がいなくなることをどこかで望んでいたのだろうか。

 詩集表題作の「さんぽさんぽ」は、拙個人誌「風都市」に寄稿してもらった作品。感謝。
 老いを抱えての生活はどこか頼りないし、傍目からはおそらく滑稽に見えることもあるのだろう。当事者にとっては精一杯のことであり、しかし作者はそんなことも他人事のように受け入れる強さを持っている。
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