瀬崎祐の本棚

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詩集「忘れられるためのメソッド」 小川三郎 (2023/11) 七月堂

2023-12-01 17:12:05 | 詩集
第7詩集か。121頁に29編を収める。

モノローグの作品での言葉は平明で、具体的なものごとを指し示し、具体的な出来事を語る。しかし、簡潔に述べられたそれらがひとつの風景を形作ると、そこには確かに詩としか呼べない感覚が生まれている。

たとえば「ベンチ」では、私は子供たちの歓声を聞きながら眠ってしまおうとするのである。すると、

   みんな私が
   もう死んでいると言った。
   みんな私のことを
   ちゃんと理解していると言った。

   私は服を脱いでしまいたい。
   服をぜんぶ脱いでしまいたい。

私は、死んでいるのと同じ存在の者だとみんなに理解されていたのだ。それならば、もう私が身につけているものも不要なわけだ。服を脱いだ私は、透明人間のようにみんなの目には映らない者になってしまうのかもしれない。最終連は「今年の夏/私はたくさん/笑いすらしたのだ。」決して負け惜しみではなく、ただ自分に言い聞かせているようなこの3行が作品世界の私の哀しみをより深めている。

前詩集「あかむらさき」の感想で私(瀬崎)は、作者は自分を取りまく事柄に違和感を感じており、それはやがて自分自身への違和感となっていくのだろう、という意のことを書いた。本詩集の作品は、その違和感を諦めと共に受け入れているように感じられる。

「日課」という作品では、私は「幸福という字を/電信柱に/貼りつけて回」るのである。それはのんびりとした雰囲気の日で、私は「なにもかもを知らぬふりだ」とうそぶく。そして、「幸福がなにかということを/たぶん私は知っている。」と最後に呟くのである。このような脱力したやりきれなさがこの詩集の根底には流れている。

「午後」では、私は縁側に座って庭を眺めるあなたの背中を見ている。すると、

   跳び越せてしまいそうな
   小さな庭には
   なにかの気配が確かにあって
   家のなかを伺っていた
   話し声もすこし聞こえた

最終連は「私もあなたも/別れを言わなければならない人は/もういないのだった。」なにか大きな物語が背後にはあるようだが、作品の表面にあらわれるのはぎりぎりまで黙っていようとする自己抑制の端からこぼれでたものだけである。それゆえの張りつめた感情があった。

「春の電車」、「樹上」については詩誌発表時に簡単な紹介記事を書いている。
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