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詩集「呼」 山村由紀 (2021/02) 人間社

2021-04-01 18:59:19 | 詩集
 8年ぶりの第4詩集。89頁に19編を収める。
 詩作品「呼」は、誰もいないはずの浴室でシャワーの音がしている作品。扉を開けるとシャワーは止まっていて、鏡の中には「何かを一心にしゃべっている少女が」いる。少女の顔は見えないのだが、すわっているのは「子どものころ何度も昇り降りした叔母の家の」階段だったのだ。

   石鹸の香りをふくんだ生ぬるい空気が流れてくる 水
   滴が浴槽に落ちる
   そっと曇り扉をしめて浴室から離れると またシャ
   ワーの音が聞こえはじめます。

 「あとがき」には、「実際に会うことがなくても、人は人を呼び、人に呼ばれている。この世を去った人にも、見知らぬ人にも。」とあった。作者は、作者を支えてきた何者かに語りかけ、またそんな何者かに語りかけられた言葉を集めた作品を書いているのだろう。それは時間も空間も跳びこえたところへ運ばれていく言葉なのだ。

 「うらにまわる」では、文字通りにおもての世界とうらの世界の境界が曖昧になっていく。四人姉妹の中の一人は誰にも見られたことがなく、「三人で笑ったあと 時々 すこし遅れて(略)空気がゆれる」のだ。

   ある日 妹に言われました。Tシャツ ウラガエシ。
   あわててシャツを脱いで 着終えるとそれきり妹たち
   はいなくなっていました。

 それからは話者はひとりでいるのだが、それは「巻貝のなかにいるみたい」なのだ。そして「時々 空気がゆれる」のだ。妹たちは何故いなくなったのだろうか。見えない場所に行って何をしているのだろうか。そして、果たして自分は今どちらの世界にいるのだろうか。そんな眩暈をおぼえる作品だった。

 「湿気」でも話者の時空は歪んでは揺れる。湿気が多くて書庫になりそこねた部屋に私はずっといる。そんな部屋には、柩に添えた白い花の思い出とともにお客がやって来るのだ。前詩集で逝ってしまった叔母さんもいる。

   いたずらか、何かの記念日か。足もとに半分地面に埋
   まった貝殻が覗いている。見上げると部屋の古いカー
   テンの陰から叔母がちいさく手をふっている。

前詩集「青の棕櫚」では、言葉で捉えてしまうことにいくらかのためらいがあったようなのだが、本詩集ではそれは払拭されて潔いものとなっている。そのことによって、言葉は今の世界ともうひとつの異世界を自由に往来するものとなっている。どこかがわずかに傾いだような世界が印象的に構築されている詩集だった。
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