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詩集「さらば、夏の光よ」 坂井信夫 (2021/01) ワーズアウト

2021-04-06 17:39:17 | 詩集
番号だけがふられた散文詩42編(1編のみ行分け詩)にプロローグとエピローグが付いている。全体でひとつの物語となっており、小説だといって差し出されればそのように受けとることもできるだろう。奥付には「詩集 さらば、夏の光よ」となっている。

 プロローグで、男は女の遺体を〈墓〉によこたえている。そしてその半年後を描いたエピローグでは、男は女の遺体と共に自らを焼いてしまおうとしている。42編の本編がその間をつないでいる。
 物語の時間軸は入り乱れる。岬で暮らす男の前に女があらわれるのだが、女があらわれる以前の男の様子や、岬を訪れる前の女の様子も断片的に語られる。

 作品のなかで大きな比重を占めているのは、途中にはさみこまれるF.カフカの「ミレナへの手紙」についての章である。これらの章の話者は作者ではなく、まるで作中の男であるような感じとなっている。
   もし小説をかくことがかれにとって自らとむきあうことであるとすれば、
   女にむかって手紙をかくことはそのまま相手とむきあうことであった。
   (略)手紙をかくことそれじたいが真実のなせる業であり(以下略)

〈墓〉のなかに横たわる女の思いも語られる。女が不在となった後の男の様子も語られる。お互いが不在となることで、その存在が意味していたものを初めて理解するわけだが、それが端的な状況で示されている。

   思えばおれはこの女といっしょに、どれほど暮らしたのか。それはわず
   か数か月とも、あるいは千年のようにも思われた。おたがい、ほんとう
   のことは語ることもなく歳月だけがすぎていた。

 この作品全体を「ミレナへの手紙」が孕んでいたものを幻視した物語と捉えることもできる。手紙をかくことは実際に会うことよりも真実に近づくことであるとカフカは考えていたのだろう。この作品を書くことによって、作者もまたそのようなものと巡り会おうとしたのだろう。
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