第16詩集。125頁に31編を載せる。
収められた作品の表面上の特徴としては、平易な言葉、短い詩行、ということになるのだろうが、そこにあらわされてくるものはかなりややこしい。自由に触手を伸ばした感覚が捉えた世界である。見た目の奥にあるものを捉えているのだ。まるで、小さな穴を何気なく覗きこんだら、その穴はずっと深いところへつづいている感じである。
「海」。ここで描かれる海ではのっぺりとした波が打ち寄せているようだ。子どもたちは「海面を/ベリベリベリと/引きはがしたりして/遊んでいる」のだ。海面の下をのぞきこんだりもできるのだ。一方で大人たちは、
舟で沖に出て
長い棒の先に
水平線を引っかけて
いま大きく
浜まで引っぱってくるところ
作者が捉えた海は、己の形を持たない水が満ちている場所ではなく、まるで一枚の大きな布のように形を持っている。作者の中にひろがる海は、作者自身を包み込んでしまうようなものなのだろうか。
「りんかく線」。私たちはともすれば物事を形で捉えようとする、形にとじ込めようとする。そんな行為を、若干の皮肉もまじえて、ぬり絵にたとえている。
始めは
りんかく線だよ
色は後からだよ
りんかく線から
色がはみ出していけないよ
ぬり絵はいつも
そんなことばかり言っている
本当の物事は形などにとらわれることはないのだ。この感覚は、チューリップに話しかける「カタチを脱ぐ」でも詩われている。
「空も悪い」では、話者は「空が大きいから/私は小さい」と言う。空としてはそんなことを言われても困ってしまうだろうが、この感覚は何となくわかる。この作品の最終部分は理屈など超えたところで共感を呼ぶ。ああ、そうだよな、と思ってしまう。
私も悪いが
空も悪い
空があるから
いつまでも
私は悲しい
作者はまど・みちおを敬愛しているという。そして言葉の世界と実物の世界の違いを確認し、また精神実験の実験記録の記述したという。噛みしめると、ほのかな甘さの奥にしっかりとした味が潜んでいる詩集だった。
収められた作品の表面上の特徴としては、平易な言葉、短い詩行、ということになるのだろうが、そこにあらわされてくるものはかなりややこしい。自由に触手を伸ばした感覚が捉えた世界である。見た目の奥にあるものを捉えているのだ。まるで、小さな穴を何気なく覗きこんだら、その穴はずっと深いところへつづいている感じである。
「海」。ここで描かれる海ではのっぺりとした波が打ち寄せているようだ。子どもたちは「海面を/ベリベリベリと/引きはがしたりして/遊んでいる」のだ。海面の下をのぞきこんだりもできるのだ。一方で大人たちは、
舟で沖に出て
長い棒の先に
水平線を引っかけて
いま大きく
浜まで引っぱってくるところ
作者が捉えた海は、己の形を持たない水が満ちている場所ではなく、まるで一枚の大きな布のように形を持っている。作者の中にひろがる海は、作者自身を包み込んでしまうようなものなのだろうか。
「りんかく線」。私たちはともすれば物事を形で捉えようとする、形にとじ込めようとする。そんな行為を、若干の皮肉もまじえて、ぬり絵にたとえている。
始めは
りんかく線だよ
色は後からだよ
りんかく線から
色がはみ出していけないよ
ぬり絵はいつも
そんなことばかり言っている
本当の物事は形などにとらわれることはないのだ。この感覚は、チューリップに話しかける「カタチを脱ぐ」でも詩われている。
「空も悪い」では、話者は「空が大きいから/私は小さい」と言う。空としてはそんなことを言われても困ってしまうだろうが、この感覚は何となくわかる。この作品の最終部分は理屈など超えたところで共感を呼ぶ。ああ、そうだよな、と思ってしまう。
私も悪いが
空も悪い
空があるから
いつまでも
私は悲しい
作者はまど・みちおを敬愛しているという。そして言葉の世界と実物の世界の違いを確認し、また精神実験の実験記録の記述したという。噛みしめると、ほのかな甘さの奥にしっかりとした味が潜んでいる詩集だった。