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瀬崎祐の本棚

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詩集「伎須美野」 時里二郎 (2025/03) 思潮社 (第2回)

2025-04-08 22:55:30 | 詩集
「ふるいてのひら」では、「あめのやみにぬれていた鳥のやみ」、そして「島のみや」という具合に、”鳥“と”島”、”やみ”と”みや”が意味を越えた形や音の次元で交じり合う。すずみから歩み始めた話者はきすみ、すそみをすぎて、「--名井島はちいさな島」と言う子どもの声を聞きながら、

   そのしまに
   ふるいてのひらにつつんだ
   あめのやみにぬれていた鳥のやみをとどけるために
   いきとなきがらをあのひとにゆだねて
   あるいてきたのだ

果たして話者は境界を越えることができるのだろうか。果たして作者は、話者を向こう側まで連れて行けるのだろうか。

「古島(ふるしま)の小裂(こぎれ)帖」には「《採訪手帖》から」という注釈が付いており、古島半島の説明として「島とあれども半島なり。半島と言へども島を孕みたり。両極のせめぎ合ふ境界なり。」とある。以前から作者は”半島”を特別な意味を持つ形状の土地として捉えている。そこには「翅のある声」や「水系を違(たが)える魚(うお)の言葉」があるのだ。私(瀬崎)の”半島”の勝手なイメージは、茫洋とした言葉の海原に意志を持って突きでた言葉、といったものである。

   遠雷を詰めた封筒を
   古島にただひとつある郵便局に差し出した帰り道
   無色の孕み猫が耳を立てて待っている
   「わたしは追われている言語(ことば)の胡桃です」というそのひとの言伝(ことづて)

   その言語の胡桃を追っているのは 私
   そのひとは知っていて 私の前で 衣服を脱ぐように
   私の歌のくちに潤(ほと)びることばをこぼす

詩集「名井島」の作品でも感じたのだが、作者はことばが自分の内側から生まれる意味を問い続けているように感じる。それは世界が言葉を発することを問い直すことでもあるだろう。そのためには言葉はどこから生まれてくるのかを探し当てる彷徨いが必要なのだ。

これで詩集の前半が終わる。いよいよ佳境の後半へ歩み入る。
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