瀬崎祐の本棚

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詩誌「交野が原」  93号  (2022/09) 大阪

2022-08-19 20:20:43 | 「か行」で始まる詩誌
金原則夫発行の本誌は毎号読みでがある。106頁に31編の詩作品、3編の評論・エッセイ、15編の書評を載せている。

「晩年」岩佐なを。話者は新聞紙でふくろを作ってくれる先生に弟子入りする。やがていろいろな紙でふくろを作れるようになり、

   生きていくのに大切な書類でふくろを
   一所懸命に作ったこともあり
   困るほどたのしかった
   先生がふくろから出て来て
   わきまえなされ、と
   おっしゃったこともあった

ついにはふくろから出て来た先生が「もう、あたしのことは忘れなされ、と/おっしゃるので」話者はありったけの紙を貼り合わせたふくろを作り、「中に入って/永眠した」のである。読む者に奇妙な混乱とともに何故か安心感のようなものをもたらす作品だった。人生はひとつのふくろを作るようなものであり、最後はそのふくろに入れば好いだけのことかもしれない。

「虫を噛む」野崎有以。お腹にぎょう虫のいる女の話である。村から都会へ出て来た女は、尻から出てきたぎょう虫を美味しく食したりする。女は社会的地位の高い男に狙いを定めると、

   女はぎょう虫のように男の心のなかに入り込んだ
   男の心のなかのぎょう虫は
   「嫁にしたい女がいる」と男が男の両親に言わせるように仕向けた
   女は男から半歩下がって ぎょう虫のような顔をして微笑んだ

はて、このぎょう虫とはどんな存在のものなのだろうか。我が身に巣くっていて、不気味なほどに宿主の本質を映しているようなのだ。やがて女の尻から何か出てきて、「またあの白い虫だろうと思ったら/赤ん坊だった」りするのだ。もちろん「赤ん坊もぎょう虫に顔が似ていた」のである。あっけらかんとした語り口にのせられて、読む者もどこまでも連れて行かれてしまう。

「ひの馘首(かくしゅ)」金堀則夫は、「ひらがなの/ひにつつまれたがん首が/ひのつぼにすっぽり入りこんでいる」と始まる。かつて首を討ち取られたひめの身代わりに地蔵の首が切られたのである。その後、ひめはひのうちどころなく育ち、地蔵の胴体は祀られる。

   首切りにあったおのれが
   切られた首を葬ろうとしても
   葬るところがない 弔えないしがらみが
   ひのめが がんじがらめにくくられている

作者の地にある伝承であろうか。「ひ」という文字の形を象徴的に捉えて、巧みに物語に活かしている。「ひ」という文字がいろいろな意味を孕んだものに見えてきた。

私(瀬崎)は詩「いくた」を載せてもらっている。

コメント
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