第8詩集。55頁に16編を収める。
あとがきには、今年5月に罹患が判明した食道癌の入院治療中に書き溜めた作品であることが記されている。
作者は2年前にウイルス性髄膜炎で数か月の意識不明状態となり、そこから立ち直ってきた。その時の様子は前詩集「冥府の朝」にまとめられていた。そして今度は進行した食道癌と診断されたのだ。この過酷な状況の中で作品は書かれている。
夏至近く 点滴チューブに繋がれて
体内にカテーテル・ポートを埋めこまれ
飲食をしないまま二週間が過ぎた
生の余韻かもしれないこの二年間を振り返っている
ヒル・トップ・ホスピタルの五階の部屋で
(「ヒル・トップ・ホスピタル」)
2編ある「ノーフード ノードリンク」は、絶飲絶食の状態を、同じように2編ある「ノースピキング ノーボイス」は発声できなくなっている状態を、感情に押し流されることなく作品化している。並大抵の意志で出来ることではない。感嘆してしまう。
私(瀬崎)は、基本的には作品世界と実生活を切りはなして捉える見方をしている。しかし本詩集の意味は、どの作品も作者の現在の状況から生まれたものであることだろう。作者が現在置かれている状況でこれだけの作品を書いたという行為そのものが、すなわち作品であるともいえる。
見舞いに来てくれる3人のお孫さんたちのこと、治療のためのカテーテル・ポート埋め込み手術のこと、34年間勤めてきた職場を離れる決心のこと。そのどれもが現在の作者そのものである。
最後に置かれた作品「ムンドゥス・ケンジーニア」では、作者はホスピタルの上階からの眺望に自分の人生を重ね合わせている。そして、
人生詩など自分らしくないと思いつつ
やはり書かざるを得なくなった
ささやかな記録として
大切な記憶として
辛い癌治療の日々であるだろうが、どうか元気になってヒル・トップから戻られるようにと祈念するばかりである。
あとがきには、今年5月に罹患が判明した食道癌の入院治療中に書き溜めた作品であることが記されている。
作者は2年前にウイルス性髄膜炎で数か月の意識不明状態となり、そこから立ち直ってきた。その時の様子は前詩集「冥府の朝」にまとめられていた。そして今度は進行した食道癌と診断されたのだ。この過酷な状況の中で作品は書かれている。
夏至近く 点滴チューブに繋がれて
体内にカテーテル・ポートを埋めこまれ
飲食をしないまま二週間が過ぎた
生の余韻かもしれないこの二年間を振り返っている
ヒル・トップ・ホスピタルの五階の部屋で
(「ヒル・トップ・ホスピタル」)
2編ある「ノーフード ノードリンク」は、絶飲絶食の状態を、同じように2編ある「ノースピキング ノーボイス」は発声できなくなっている状態を、感情に押し流されることなく作品化している。並大抵の意志で出来ることではない。感嘆してしまう。
私(瀬崎)は、基本的には作品世界と実生活を切りはなして捉える見方をしている。しかし本詩集の意味は、どの作品も作者の現在の状況から生まれたものであることだろう。作者が現在置かれている状況でこれだけの作品を書いたという行為そのものが、すなわち作品であるともいえる。
見舞いに来てくれる3人のお孫さんたちのこと、治療のためのカテーテル・ポート埋め込み手術のこと、34年間勤めてきた職場を離れる決心のこと。そのどれもが現在の作者そのものである。
最後に置かれた作品「ムンドゥス・ケンジーニア」では、作者はホスピタルの上階からの眺望に自分の人生を重ね合わせている。そして、
人生詩など自分らしくないと思いつつ
やはり書かざるを得なくなった
ささやかな記録として
大切な記憶として
辛い癌治療の日々であるだろうが、どうか元気になってヒル・トップから戻られるようにと祈念するばかりである。