上海城市新聞 Vol.31 『21年振り20回目の台湾旅行』 (その5・故宮博物院)https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/9e5b6f6cb243d5f22ced2d50c4faca61
旅の二日目、台北市街から北部に位置する「國立故宮博物院」の展示品を観賞して、本館B1の路線バス停留場に出て来たのが、16時少し前です。バス停前には、最寄り駅の「捷運(しょううん:以下MRT)淡水信義線站(駅)」行きバスを待つ、長蛇の列が出来ていました。
バスが到着したのですが、直ぐに満員となり、積み残し客も出るほどでした。バスが発車して直ぐに、30年来の台湾人の友人・鄭さんのメルセデス・ベンツ Sクラスが横付けに。バスを待つ人々の羨む視線を浴びながら、次の目的地「圓山大飯店(えんざん/まるやま だいはんてん)」に向います。
途中、先程のバスを追い越します。鄭さんがいなかったら、すし詰め状態のバスで15分かけて、MRT駅に行かなければならなかったと思うと、ぞっとします。
圓山大飯店の正面駐車場に到着したのが、16時20分過ぎです。
圓山大飯店は、1952年に蒋介石夫人である宋美齡氏が建てた、中国宮殿式建築の老舗ホテルです。
1Fロビーは、赤絨毯敷きで、重厚な雰囲気を醸し出しています。
ロビーの天井には、梅の花の形をした「藻井(そうせい)」と呼ばれる装飾が、施されています。梅の花の中央で五匹の金龍が龍の珠を囲んでいますが、これには「五福臨門(長寿、財産、健康運、好徳、善終の全ての福を自分の入り口に集める)」という意味が、あります。
中二階にある「百年の金龍」は、もともと銅龍が台湾神社前に設置されていましたが、圓山大飯店の増築に伴い、原形を損なわないよう細心の注意を払いつつ、金龍レストランの入口に移されました。当時は銅製でしたが、1987年のリニューアル時に24金メッキが施されて金龍となりました。
金龍を、正面から見ると、水晶玉を手に持ち、口から水を噴き出しています。
圓山大飯店の見学を早々に切り上げ、この日の最後の目的地「忠烈祠(ちゅうれつし)」に、急ぎます。
忠烈祠は、1911年の中国・辛亥革命から現在まで、殉死した人々の英霊33万を祭る台湾当局管轄の祭祀場で、1969年に創建されました。
9時~17時の毎正時に衛兵交代式が行われますが、大門前に着いたのが、16時40頃。門入口の両側には、衛兵が直立不動で立っています。
すると、正門左脇の事務所から衛兵三人が現れ、独特な歩き方で大殿に向います。大門から大殿にかけて石畳の上に、5本の直線が描かれています。
隊長も、その後を追いかけます。
16時までの毎正時には、大殿の前で、衛兵交代の儀式が行われますが、この日の最後なので、交代式は行われず、ガードしていた2名の衛兵と一緒に、5名が行進しながら、大門前に戻ってきます。
大門から大殿にかけて5本の直線が描かれていた理由が分からなかったのですが、5名の行進を見ていて分かりました。足を高く上げ、石畳の上に勢いよく落とす際に、軍靴の裏の金属部分がこすり付られて、それが線になるのですね。
最後に、大門前でガードしていた2名と合わせ、計7名で、儀仗銃を見事に扱い、事務所に消えて行きました。
★ 続きは 『21年振り20回目の台湾旅行』 (その7・天仁茗茶で夕食) で ★