花歩る木

山と旅がすきです

平泉

2010-07-31 14:41:13 | 

 7月29日 平泉の中尊寺 毛越寺の観光

   栗駒高原で朝お風呂に入ったり、散歩したりして
   9時頃、一関へ向かいました。

   世界遺産登録を目指している“平泉の文化遺産”
   藤原四代の約100年の栄華のあとを見学しました。

 
                          中尊寺 金色堂へ
   
      
        中尊寺金色堂(国宝 第1号  重要文化財)
           中央の須弥壇のなかに清衡公、左に二代基衡公、
           右に三代秀衡公、泰衡公のご遺体が納められています。

   藤原清衡は長い戦乱の中で、非戦を決意し平泉に
   亡くなった人々の霊を敵味方の区別なくなぐさめ、
   「戦争のない理想郷をつくりたい」と 中尊寺を建立しました。

   豊富な「黄金」を背景とし、南は福島県白河関から
   北は青森県の外ヶ浜までを統治し、
   平安王朝文化の花をさかせたのです。     案内書より

   
               金色堂の向かいの「弁財天堂」の蓮池の花

      
       松尾芭蕉の碑
                 「五月雨の 降り残してや 光堂」


   毛越寺
      (モウツウジと読みます。モウオツジ→が変化したものです)
    中尊寺と時を同じくして開山されました。
    「大泉が池」を中心とする浄土庭園は日本最古で
    特に平安朝の遣水が完全な形でのこされているのは日本唯一。
        極楽浄土を表現したその景観は
    特別史跡・特別名勝の二重の指定をうけています。  

      
   
       毛越寺は、浄土の世界を現世に表現した花の寺でもあります。  

 
     遣水(やりみず)  毎年5月の「曲水(こくすい)の宴」の舞台ともなります。

 

 
   
    
   大泉が池
             この浄土庭園は四囲の借景と相まって、
             八百年を経た今日、変わらぬ美しさを見せ、
             日本最古の庭園として知られています。

       秀衡が没し、四代泰衡が頼朝の圧力に屈し、
       義経を自害に追い込んで、藤原氏は滅亡していきました。

                         
                      松尾芭蕉の句
                                「 夏草や 兵どもが 夢の跡 」                   


           平泉を訪れたのは2度目です。
           全体のお掃除が行き渡ってて、きれいでした。
           日本の世界遺産14には全部足を運びました。
           平泉を世界遺産登録の一足先に見学できて
           2日間でしたが、奥州の旅は満足でした。