7月29日 平泉の中尊寺 毛越寺の観光
栗駒高原で朝お風呂に入ったり、散歩したりして
9時頃、一関へ向かいました。
世界遺産登録を目指している“平泉の文化遺産”
藤原四代の約100年の栄華のあとを見学しました。
中尊寺 金色堂へ
中尊寺金色堂(国宝 第1号 重要文化財)
中央の須弥壇のなかに清衡公、左に二代基衡公、
右に三代秀衡公、泰衡公のご遺体が納められています。
藤原清衡は長い戦乱の中で、非戦を決意し平泉に
亡くなった人々の霊を敵味方の区別なくなぐさめ、
「戦争のない理想郷をつくりたい」と 中尊寺を建立しました。
豊富な「黄金」を背景とし、南は福島県白河関から
北は青森県の外ヶ浜までを統治し、
平安王朝文化の花をさかせたのです。 案内書より
金色堂の向かいの「弁財天堂」の蓮池の花
松尾芭蕉の碑
「五月雨の 降り残してや 光堂」
毛越寺
(モウツウジと読みます。モウオツジ→が変化したものです)
中尊寺と時を同じくして開山されました。
「大泉が池」を中心とする浄土庭園は日本最古で
特に平安朝の遣水が完全な形でのこされているのは日本唯一。
極楽浄土を表現したその景観は
特別史跡・特別名勝の二重の指定をうけています。
毛越寺は、浄土の世界を現世に表現した花の寺でもあります。
遣水(やりみず) 毎年5月の「曲水(こくすい)の宴」の舞台ともなります。
大泉が池
この浄土庭園は四囲の借景と相まって、
八百年を経た今日、変わらぬ美しさを見せ、
日本最古の庭園として知られています。
秀衡が没し、四代泰衡が頼朝の圧力に屈し、
義経を自害に追い込んで、藤原氏は滅亡していきました。
松尾芭蕉の句
「 夏草や 兵どもが 夢の跡 」
平泉を訪れたのは2度目です。
全体のお掃除が行き渡ってて、きれいでした。
日本の世界遺産14には全部足を運びました。
平泉を世界遺産登録の一足先に見学できて
2日間でしたが、奥州の旅は満足でした。