桑の海 光る雲

桑の海の旅行記・エッセー・書作品と旅の写真

礼文島断章23・何気ない景色いろいろ

2005-05-16 21:49:29 | 旅行記
礼文を毎年訪れて、何となく気に入って記憶に残っている景色、というのがいくつかある。今日はこれを書いてみよう。

○花咲く地蔵岩
6月になると、地蔵岩のあちらこちらに白い花が咲く。エゾイヌナズナあたりではないかと思われるが、これがなかなか美しい。なぜか同じ白い花しか咲いていないのが不思議である。2,3度目にしているが、1度だけ目にした、雪をかぶった地蔵岩と並んで印象に残っている。

○船泊の浜の古い桟橋
コンクリート製の、半ば朽ちかけた桟橋が、船泊の砂浜にぽつんとある。相当前に作られた物らしいが、どういう目的で作られたのだろうか?去年の夏、眩しい午後の日差しのもと、その桟橋に腰掛けて、足下を海に洗われながら、青い海と、その向こうに浮かぶトド島を眺めていた。古い桟橋と、そこで流れていた何ともゆったりした時間が印象に残っている。

○一本の木
レブンウスユキソウの群生地を通り過ぎると、礼文林道は北東へと向きを変え、一つの山を回り込む。そこを回り込んで振り返ると、一面の笹原に一本のダケカンバの木が生えている。木は風の影響を受けて、盆栽のように曲がって、何とも味のある姿をしている。このコントラストが印象に残っている。

○ウエンナイへ続く道
ここには好きな景色がいろいろある。またここは、木の少ない礼文の中で珍しく大きな木々が生い茂っているところである。雨のぱらつく日、ウエンナイへ続く道を歩いていた時、ふと谷の向こうを眺めた時、木々にガスがかかり、何とも幻想的な眺めだったのが印象に残っている。

○礼文空港
今では定期便の来なくなってしまった礼文空港。星観荘が船泊にあった頃、天気の悪いある日、雨がやんで空が明るくなってきたので、暇つぶしに空港に行ってみた。すると、足下に一面にピンクのエゾノカワラナデシコが咲いているのに気付いた。もう、本当に一面に、という感じであった。その群落に見とれていると、遠くの方から轟音が近づいてきた。南の方を見ると、何と飛行機が飛んできたのである。稚内からの定期便であった。大きな音とともに飛行機は着陸し、ターミナルへと進んでいった。今では見られないが故に、印象に残っている。ナデシコの群落は今も変わらないことであろう。

○カエル岩
召国に一度だけ行ったことがある。本来の道とは異なる道を下って行き海岸に出ると、目の前に初めて見る景色が現れた。海岸から少し離れたところにある岩が、まるでじっとしているカエルのような姿をしている。Mさんが「あれがカエル岩だよ。」と教えてくれた。そう話してくれた時、足下に、地面にへばりつくように咲いているハマナスがあったのも印象に残っている。

○カモメの水浴び
フェリーターミナルから星観荘へ乗せていってもらう途中、小さな川の河口でカモメが水浴びをしている光景を必ず目にした。海にいる時に付いてしまう寄生虫を、真水に浸かることで落とそうとしているのだそうだが、その姿が何とも愛らしかったのが印象に残っている。「愛らしかった」というのは、現在では護岸工事が進んで、その光景を目にすることができなくなってしまったからである。カモメの水浴びは、今では礼文滝の上で目にすることができる。



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礼文島断章22・94年の礼文の話⑦

2005-05-14 23:11:13 | 旅行記
翌日は、24時間コースを歩いたSさんと、4時間コースで一緒だったTさんが2便で、4時間コースで一緒だったWさんとYさんが午後の便で島抜けすることになった。また、この日は夜の七夕パーティーの準備ということで、夕方から船泊の町に繰り出そう、ということで、日中は見送り&香深方面ツアーということになった。

出発前、恒例の写真撮影をした。Sさんのカメラで写す時、Sさんが「せ~のっ、T!」と声をかけた。ブラックホールのメンバーはどういうことかわかっているので、手でTの形を作った。Tとはつまりこの日島抜けをする教師のTさんである。Tさんは関西の人で、気さくに話しかけてくれるのだが、残念ながらちょっとキョーレツ過ぎるので、皆から敬遠されていた。Tさんが選んだコースへは、同行者が集まらなかった。そんないきさつもあり、皆そんなポーズを取ったのである。後日Sさんから送られてきた写真を見ると、総勢22人のうち、10人がTポーズをしている。Tさんは皆とは違ったポーズをしている。Sさんは大きな付箋を吹き出しの形に切り抜き、色鉛筆でTと書き込み、写真に貼り付けて送ってくれた。

フェリーに乗り込んだSさんやTさんを、名残を惜しみながら見送った。Sさんはきっと涙を流すのではないかと思われたが、そんなことはなく、皆笑顔での見送りとなった。夜の準備で来られない彦さんに代わり、Pさんがギターを弾き「忘れないで」を歌った。今日は星観荘の見送りの人数も多く、桃岩荘の見送りにも負けていない。こんなに多くの人に見送られ、S
さん達も嬉しかっただろう。

午後の便で利尻に渡るWさんとYさんを見送るにはまだ時間がある。その間私達は桃岩方面へ行くことにした。行っている間にTさんの乗る便が出るのだが、誰もそれを気には懸けていない。桃岩展望台に登る山道を、皆で楽しく語らいながら登っていく。ややガスがかかっているが、夏らしい爽やかな眺めである。レブンソウなどの花も咲いている。展望台でのんびりと時間を過ごし、昼時になったので、香深の町に下りた。利尻行きの便に乗る人を見送った後、ちゃんちゃん焼きで有名なちどりに向かった。

ちどりのちゃんちゃん焼きは、炭火を使用している。ホッケの開きに味噌をのせ、焼けたところでほぐしながら食べるのであるが、これが実に美味い!私は礼文では昼間に酒を飲むことはなかったのだが、この時ばかりは飲まずにはいられなかった。炭火を使い、満員の店、しかも礼文でも暑い夏。汗をかきながらちゃんちゃん焼きをつまみながら、しかも、気心の知れた楽しい面々と飲むビールはサイコーであった。

この後Pさんの運転する車で星観荘に戻った。この後の七夕パーティーのことはすでに書いているのでここでは書かない。

翌日は私の島抜けである。本当はもっとずっといたかったのであるが、仕事の都合でどうしても戻らなければならなかったのである。しかもこの日も素晴らしい天気で、皆は礼文岳に登るという。今日あたり、礼文岳の山頂からは、利尻山の眺めが素晴らしいことだろう。しかも、あの楽しい面々と一緒ならば。まさに、断腸の思いであった。フェリーターミナルでは、彦さんとKさん、みゆきさんが見送ってくれた。でも、こんなに後ろ髪引かれる思いで島を出たことはなかった。

この一週間後、私は再び北海道に上陸した。Rちゃんとは岩尾別YHで再会して、一緒に羅臼岳に登った。Qちゃんもまだ道内に滞在しており、Rちゃんと一緒に電話で話をしたりした。教師のTさんとは、偶然美瑛で会った。Qちゃん、Rちゃん、Pさんとは、今でも年賀状だけではあるが、連絡しあっている。人との出会い、という面では、最も思い出深い旅だったと思う。

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礼文島断章21・94年の礼文の話⑥

2005-05-13 21:26:22 | 旅行記
24時間コースのゴールは感動的だった。ゴールは自分の時しか知らず、去年のMさんの時は出迎えられなかったのである。24時間、本当に楽しかったらしく、皆表情が輝いて見えた。一日天気が良かったので、皆陽に焼けてもいた。

その夜は、ゴールした皆を祝福し、完歩記念の寄せ書きを書いた。「24時間コース、完歩おめでとう!」の部分を筆ペンで書かせてもらったのは嬉しかった。

その夜は24時間メンバーには本当なら早く休んで欲しいところだったのだが、SさんHさんのオリンパスコンビが明日島抜け、いろいろ楽しませてもらったOちゃんとYちゃんも島抜けなので、住所交換などして夜遅くまでいろいろ話していた。

その翌朝。フェリーに乗り込んだ皆を、今年の企画である人文字で見送ることになった。「いってらっしゃい」の文字を、数人ずつで形作る。それを島抜けする人が一枚ずつ写真で撮す。私のところへは、Oちゃんが送ってくれた。それなりに文字になっているのが面白かった。

見送りを終え、私達はそのままスコトン岬に送っていってもらった。今日は4時間コースを歩くのである。Qちゃん、Rちゃん、Tさん、Wさん、Yさん、そして名前を忘れた姉妹の総勢8人である。とても楽しそうな(濃そうな?)メンバーで、大いに楽しみだった。

ところが、この日は昨日とうってかわって、大変な強風、しかも雨こそ降ってはいないものの、一面曇り空である。しかし、”役者”のそろった一行である。歩き始めからそれはそれは楽しいハイキングだった。時に姉妹が真面目に花の名前をQちゃんに尋ねたりするのが、ただお笑いというか、コントになってしまいそうな雰囲気を引き締めてくれる。でも、姉妹も途中で昆布を拾って、それを真面目に持ち帰ろうと、ずるずる引きずって歩いているのも笑えた。

とにかく風が強かった。写真を見ると、吹き飛ばされそうな風に耐えているような表情や格好ばかりが並んでいる。風が強いまま、ゴールでもある澄海岬に着いた。前日とはうってかわり、海は荒れ、白く波立っていた。

その後はどう過ごしたのかわからない。でも、見送りに行ってから歩き始めたので、澄海岬にはわりと遅い時間に到着したものと思われる。そうなると、バスで星観荘まで帰ってきたのだろう。(ちなみに現在では澄海岬からの路線バスは廃止されている。)ともかく、話の内容は全く覚えていないけれど、私が思うに、これまで経験した中でも最高に楽しい4時間コースであった。

その夜は、残っていた24時間組のSさんが明日島抜けということもあり、ブラックホールでのミーティングでは、珍しく彦さんのギターと歌が披露された。楽しい思い出を一緒に胸に刻んできた人達が、一人、そしてまた一人と島抜けして行く。それはとても寂しいことで、彦さんのギターと歌は、そんな寂しさをいっそうしみじみと感じさせてくれるものだった。

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礼文島断章20・94年の礼文の話⑤

2005-05-12 21:33:29 | 旅行記
この日は風もなく、素晴らしい天気だった。島に着いて振り返ると、利尻島の眺めが素晴らしかった。

すぐに台地の上に登り、そのまま西海岸の入り江に降りた。驚いたことに先客がいた。地元の人で、お客が来たので皆でやって来てバーベキューをしているのだそうだ。

私達も流木を集め、乾燥した海藻をたき付けにして火を付けた。女性陣は火の番をし、男性陣は海に入ることにした。Nも私達の真似をして海に入ろうとしている。水着の用意はしておらず、下着のパンツ一枚である。うまく服が脱げず、すでに不機嫌である。

この入り江は水深が1メートルくらいと浅い。しかも海底には海藻がたくさん生えている。これらが日の光を浴び、今年の酷暑の影響も受け、普段の年なら冷たくて入れない(実際前の年は皆唇を紫色にして海に入っていた)のに、今年は実に快適な海水浴が楽しめた。

この入り江には、たくさんの海生生物が生息している。これらの生物の生態観察も、トド島へ来る時の重要な目的である。私達もそうした生物を採集し、解剖したり、火であぶったり、写真などに収めたりして楽しんだ。観察した後は海へ帰した。中でも、短いトゲのたくさん生えた、たわしのような触り心地のする、丸く平たい生物は、石を投げる時の”水切り”ならぬ”ウニ切り”で海へ帰してやったりした。近くにいる地元の人達も海に入っていた。きっと私達と同じく、生態観察をしていたのだろう。

海から上がって、火に当たって体を温め、乾かし、お昼にした。軽く昼寝もした。この後、「一月遅れの七夕」で書いた、Rちゃんの「おしっこ」事件が起こるのである。確かに女性は島でのトイレには困ることだろう。そんなことも笑いのもとになってしまうのは、Rちゃんの愉快なところである。

そうこうしているうちに時間となった。迎えに来た船に乗り、白浜に戻った。迎えに来た車に乗り、西上泊まで送ってもらった。ちょうど24時間コース組がアトリエ仁吉に来ているので、その激励と差し入れに行くというのである。アトリエ仁吉では、4人が元気にお昼を食べていた。この好天のもと、男性陣はすっかり陽に焼けている。皆元気そうで、しかも楽しそうである。どうやらTさんの話題で盛り上がっていたようである。

出発も見送りたいとのことで、それまでの時間、澄海岬に行ってみた。行く直前に、Nの母親がNをからかった。するとNはすっかりすねてしまい、ぐずりだした。コイツ、将来まともにやっていけるんだろうか、と皆で顔を見合わせた。

澄海岬は実に素晴らしかった。何度も訪れた澄海岬であるが、この時ほど天気が良く、風もなく、海も凪いでいた時を私は知らない。この頃はまだ人も少なく、柵などもしっかりしていなかったから、私達は岬の突端まで出かけていった。紫色のツリガネニンジンが見頃だった。

アトリエ仁吉に戻り、24時間コース組を見送った。1人で24時間コースを歩いた私からすると、こんなふうに何人もの人で歩くのもいいな、と思った。

この日はどこも天気に恵まれたようだ。帰ってきてから、この日礼文岳に登ったYさんから、礼文岳の山頂から撮した写真が届いた。これも素晴らしい眺めだった。

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礼文島断章19・94年の礼文の話④

2005-05-11 21:02:58 | 旅行記
着いた翌日は何をしたのだろうか?礼文岳に登ろうとして雨が降ったので途中でやめたような気もするが、定かでない。写真もないのでわからない。ただ、この日は雨上がりの夕陽が実に美しかったのを覚えている。夕陽の写真は何枚も残してあるが、私の持っている安物カメラでもとてもきれいに撮れている。焼け具合、雲の具合がちょうど良かったのだろう。私が星観荘で見た中で一番美しい夕陽だったと思っている。

この日は連泊者が多く、全員が食堂で食べられず、馴染みの客達は、プライベートルームで食べることとなった。部屋の主である彦さんのお母さんには申し訳ないが、これまた得難い経験であった。

夜には24時間コースの出発式が行われた。Kさんがいきなり参加すると申し出たので、驚いてしまった。Hさん、Sさん、Kさんの3人の男性は上半身に、女性のSさんは腕に激励の言葉を書かれた。1年ぶりの出発式も面白く懐かしかった。ブラックホールのミーティングの後には、皆で静かに激励に出かけた。去年のMさんや私と異なり、4人だったので、ややペースが遅い気がしたが、でも、皆健脚である。そして、にぎやかでとても楽しそうだった。

ちょうどこの時、Tさんという教師と、Nという小(中?)学生が来ていた。Tさんは何度となく北海道に来ているようで、自分の旅の写真を収めたミニアルバムを、ご丁寧に一つ一つ解説付きで見せて下さった。ムツゴロウさんとの写真がお気に入りのようであった。Nは母親と二人で泊まりに来ていた。体は大きいが、母親に世話を焼かせたり、だだをこねたりする様子はまるで幼い子供のようで、母親の接し方もちょっと度を超えているように思われた。ブラックホールのメンバーでは、申し訳ないと思いつつも、彼らのことを話題にして楽しませてもらった。24時間コースのメンバーも、その途上、そんな話で盛り上がっていたようである。

翌日は素晴らしい天気だった。メンバーがそろい、天気も良いため、トド島ツアーが出ることになった。今回は私もトド島で遊ぶための道具を用意してきている。N親子が一緒なのがちょっと気になったが、PさんやMさん、Tさん、Rさんなど、ブラックホールで盛り上がった人達が皆一緒で、とても楽しみである。

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10年ぶりのGW北海道③

2005-05-09 21:29:24 | 旅行記
5/4(水)
今日は見送りもなくゆっくりと過ごす。出迎えから戻ってきた彦さんと、宿泊者全員で、ギョウジャニンニク取りに出かける。実に11年ぶり。あの時は、イタドリやシャクの若芽、エゾエンゴサクの花なども摘んで天ぷらにして食べた記憶がある。今回はギョウジャニンニクのみで、もちろん今夜の食卓にジンギスカンとなって上る予定である。(ちなみに今朝の朝食にもエゾノリュウキンカ(ヤチブキ)のおひたしが出て、ほんのりにがい春の味覚を楽しんだ。)
まず、久種湖に出かけた。話には聞いていたが、水芭蕉がスゴイ!11年前は見に行く直前に霜に当たってしまい、頭の部分が茶色くなっている花ばかりだったのが残念であった。しかし、今年はそういうこともなく、真っ白な花が一面に咲いていた。しかも、11年前よりずっと数が多い気がする。道場牧場が無くなり、牛がいなくなったためか、11年前と異なり、枯れ草に埋もれた花が目立つものの、数は11年前よりはるかに多い。
ギョウジャニンニクは、水芭蕉の群落から外れた、人目に付かないところにある。11年前は、エゾノリュウキンカとマイヅルソウやバイケイソウの葉の中に生えるギョウジャニンニクを摘んだ気がするが、今年はその他に水芭蕉もずいぶん生えている。ギョウジャニンニクはやはり小さい。寒さによるのだろう。9人がかりでスーパーの袋二ついっぱいに摘んだ。この後も取りに来る予定があるとのことで、小さなものはかなり残しておいた。
ちょうどお昼時で、双葉食堂に送ってもらった。去年は食べ損ねた味噌ラーメンを、今年は食べることができた。やはり、美味しかった。あの味はどこでも出せないものである。そう言えば、昨日の旅行記に、北海道で一番好きなラーメンは山頭火のラーメン、と書いたが、双葉食堂の味噌ラーメン、と訂正する。1位が双葉食堂の味噌ラーメン、2位が山頭火の味噌ラーメン、3位が青い鳥の塩野菜ラーメン、とする。
帰りは彦さんに迎えに来てもらう。星観荘でギョウジャニンニクのハカマ取りをする。手がすっかり臭くなる。その後夕方まで昼寝する。
昼寝から起き、さすがに体がなまった気がするので、鮑古丹までのんびり1時間ほど歩く。途中、大きな三脚を担いだ人とすれ違い、挨拶を交わす。どうやら今夜泊まる鳥屋さんのようだ。
夕食でついに11年ぶりのギョウジャニンニクのジンギスカンにお目にかかる。11年前のような、鉄板食べ放題でないのが残念であるが、やはり楽しみである。ミニウニ丼を頼み、これまたすごく久しぶりに、料理の写真を撮った。もちろん、このブログの写真館にUPするためである。
満腹になり、大いに満足した。ミーティングもそれなりに面白い。鳥屋さんはまだ学生だった。彼と同じ年の時、私はこの星観荘に初めて来たんだなあ、と思った。酒も進み、夜は静かに更けていった。

5/5(木)
いよいよ島抜けである。これで今年のGWの旅も終わりかと思うと、いささか寂しかった。
今日は札幌のmiomioさんが島に来ることになっている。miomioさんはヨッシーさんのHPの掲示板での知人である。本当は3日から合流するはずだったのだが、風邪をひかれたとのことで、今日港ですれ違うだけになってしまったのである。
港は空いていた。フェリーも空いているようだ。出航間際だったので、慌ただしくフェリーに乗り込んだ。デッキで一言ずつコメントする。私は「ギョウジャニンニクが美味かったです。」と話した。今度は港に残る人が一言ずつ話す。そこで初めてmiomioさんが声を発した。それに合わせて私も「miomioさん、私が空色のカンガルーです!」と叫んだ。miomioさんはびっくりした表情を浮かべたが、彦さんにHNを由来を聞かれたりしているうちにフェリーは港を離れ始め、それ以上は言葉を交わすことができなかった。
フェリーは空いていた。来る時ほどではないがけっこう揺れた。ひたすら寝て過ごした。
お天気屋でカレーとアップルパイを食べ、空港へ向かう。飛行機も空いていた。
羽田に着いて、後は帰途に就くばかりであった。
家に着いたらどっと疲れが出た。


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10年ぶりのGW北海道②

2005-05-08 22:33:39 | 旅行記
5/2(月)
今日は1日がかりで礼文まで移動する。これほど長距離を列車で移動するのは、年末年始以外では久しぶりである。
一人ぽっちの、しかし美味しさはいつもと変わらない朝食を済ませ、8時半過ぎの列車で旭川へ。旭川で特急スーパー宗谷に乗り換える。旭川以北の特急に乗るのはこれが初めて。しかもスーパー宗谷は一番速いので、急行時代との違いもさぞかし、と思いつつ、停車駅も同じなので、さほどの違いも感じられない。線路脇のあちこちに水芭蕉がたくさん咲いていてきれいだった。
稚内に着き、青い鳥で塩野菜ラーメン。実にあっさりしていて美味い。道内では山頭火の次に好きなラーメン。その後お天気屋に行きコーヒー。フェリーの時間まで待つ。
フェリーは半分くらいの乗船率で、ゆっくり寝られた。特急の車内でほとんど寝られなかったので、すぐに熟睡。フェリーはかなり揺れたが、あまり気にならなかった。
ターミナルには彦さんが来ていた。ノースライナーはまだ運行されていないとのこと。K崎さんの東京での宴会で一緒になったBさんがいる。
星観荘に着くとTさんがいた。星観荘で会うのは何と11年ぶり。夕食はタコカレーでラッキー。久々でとても美味かった。

5/3(火)
久種湖周辺を歩こうかな、と思っていたが、女性二人組の案内をして欲しいとのことで、桃知・桃岩・猫岩・地蔵岩巡りの案内をすることにする。天気はいいが風が強い。秘密の花園へ行く途中で、同宿のライダー・Sさんがバイクでやって来たので、一緒に歩くことにする。なんでもSさんは知床の先の海岸まで歩き、アザラシの群れを間近で目にしたそうである。アザラシの子供をクラゲみたいなブヨブヨしたのがいた、という言い回しが面白かった。
6月には一面の花畑になるこの辺りも、今はまだ一面の枯れ草。でも、足下にはエゾエンゴサク、キバナノアマナなどが咲き、レブンコザクラ、エゾノハクサンイチゲなどのつぼみが見られる。ギョウジャニンニクもあちこちに生えている。
風に吹かれながら、桃岩、猫岩、地蔵岩と歩く。元地の佐藤商店でホタテ&ウニ丼を食べる。まあまあの味。地蔵岩まで行き、写真を撮る。
佐藤さんはバイクまで戻り、私達はターミナルまで戻る。ターミナルでNちゃん(Sさん)夫妻に会う。私と同じ年のNちゃんとは、星観荘で会うのは何と12年ぶりである。あの時はお互い若かったな、と思う。
夕食、ミーティング等で、Sさんのことが話題に上る。話しぶりや話す内容、見事な食べっぷりが印象深かったが、それよりも、そうしたことは、Sさんの純朴な人柄によるものと思われた。Nちゃんとも懐かしく話した。まるで12年前の学生時代に戻ったかのように感じた。


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10年ぶりのGW北海道①

2005-05-07 23:10:34 | 旅行記
久々の記事であるが、礼文島断章を中断して、今日は10年ぶりに訪れたGWの北海道旅行について日記風に書いてみよう。

4/29(金)
4:30起床。夕べは職場の歓送迎会で、帰ったのは0時過ぎ。とても眠い。準備を手早く済ませ、タクシーで駅へ。普通列車を乗り継いで羽田へ。GWにしては空いているな、と思ったら、今春からJALとANAとでターミナルが別になった関係らしい。荷物検査も比較的スムーズ。
飛行機は満員。15分遅れで離陸、旭川に着陸。ここのところ国内線で、定時離陸・着陸はまず無いと言っていい。ほぼ10分程度遅れる。各種セキュリティチェックによるのだろうが、それがわかっているなら、最初から遅れを含んだダイヤにすればいいのに、といつも思う。
旭川は寒い。気温は9度。レンタカーを借り、まず美瑛方面へ。例によって山頭火でラーメン。拓真館でカレンダーを買おうと思って行ってみると何とまだ発売されていなかった。そのまま富良野へ向かい、新富良野プリンスホテルへ。ミーハーにも、「優しい時間」で登場した喫茶店・森の時計に行ってみる。20人くらい行列を作っているので、早々に退散。しばらくは混雑するだろう。
そのままゆわんと村へ向かう。今日はNさんと二人だけ。Nさんとは久々にご一緒する。美味しい夕食のあと、11時過ぎまで皆とのんびり話して過ごす。

4/30(土)
Nさんを乗せ、旭川の突哨山へカタクリを見に行く。グッチとTさん夫妻と待ち合わせているのである。今日も寒く、カタクリはまだ咲き始めの感が強い。それにしても、北海道(日本?)最大のカタクリの群落だけあって、それはそれは見事である。ピンク色の花々の中に、白いキクザキイチゲ、黄色いフクジュソウ、青いエゾエンゴサクが混じって咲いており、カタクリの葉の緑と相まって、見事なコントラストをなしている。
Tさん夫妻を待つ間に、3人で一周してみる。もう、林の木々の根元が一面に花々で覆い尽くされているのである。空は薄曇りで、花はまだ閉じたままであるが、一周し終わる頃に、雲の切れ間から陽が射してきた。すると、日当たりの良いところの花が、みるみるうちに開いてきた。
もとの場所に戻ると、Tさん夫妻がやってきた。今度は5人で一周する。さっき一瞬陽が射しただけで、多くの花が花びらを開いていて、景色もいっぺんに華やかになっていたのは驚きであった。
今度は5人で山の奥の方まで登ってみた。奥の方はまだあまり整備されておらず、様々な草木が混在しているが、カタクリが群生していることには変わりなかった。きっと、手前の群生地もかつてはこんな感じだったのだろう。
一回りしてもとの場所へ戻り、皆で軽めのお昼にした。お昼の後、T夫妻は家へ戻り、ゆわんと村へ向かった。私達3人は北邦野草園へ行った。ショウジョウバカマがきれいだったのと、ギョウジャニンニクが美味しそうだったのが印象に残った。
ゆわんと村は今夜は10人である。ギョウジャニンニクがなかったのは残念だったが、夕食は今日も美味しかった。たくさんの差し入れがあり、夜遅くまで楽しく過ごした。コーヒー勝負では、私が寄贈したジブリトランプが活躍した。

5/1(日)
今日はタウシュベツ橋梁を見に行くことにした。最近いろいろな本で紹介され、近代化遺産にも指定されたこの橋梁を、かねてから見てみたかったのであるが、夏や秋は糠平湖に水没していて見ることができない。GWでなければ見られないのである。
タウシュベツ橋梁は、旧国鉄士幌線のタウシュベツ川に架けられた橋梁で、後に糠平湖に水没した。アーチの連続が美しい。近寄ってみると、コンクリートの劣化が激しいことがよくわかる。そして、これだけ幅の狭い橋梁の上を、蒸気機関車やディーゼル車が走っていたとは驚きである。いずれにしても、大自然の中、機関車や列車がこの橋梁の上を走る姿を実際に見てみたかったと思う。
三股山荘で久しぶりのビーフライスを食べ、そのまま旭川まで車を飛ばす。16:00までに車を返さなければならないからである。無料供用中の高規格道路を使ってみたが、なかなか快適であった。
旭川駅前で車を返し、旭川駅から列車に乗る。今日は礼文から下ってきたNさんが泊まることになっていて、同じ列車に乗るはずになっていたので見回してみたが、見当たらない。結局Nさんはやって来ず、ついに11年目にして初めて、ゆわんと村で1人で泊まることになったのである。KojiさんとFukuちゃんと3人でのんびりと話をして過ごした。

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