桑の海 光る雲

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42年ぶりの燕岳

2023-08-10 12:19:35 | 日記
42年前に燕岳から表銀座を上高地まで縦走するはずが、意気地なしで体力もなかったために、燕岳に登頂できなかったばかりか、常念岳登頂後そのまま一の沢へ下山するという、子供心にも屈辱的な北アルプスデビューとなった私は、いつかリベンジを果たしたいと願い続けてきました。常念岳はその後2回登頂し、常念岳から蝶が岳への縦走も実行しました。残るは燕岳登頂です。
本来は海の日の3連休を予定していたのですが、前週に寝冷えで風邪を引き、体調がまだ回復していなかったので、前日に燕山荘をキャンセル。でも、私が登るはずだった日に、たまたま若い友人が燕岳~大天井岳を日帰りで登ってきた画像を見たところ、雨こそ降らなかったものの、やや雲が多く今ひとつ眺望に恵まれなかった模様です。
さて、中房温泉の駐車場に車が止められないことが予想されたので、穂高神社前駐車場に車を駐め、バスで中房温泉に向かいました。バスはほぼ満員で、途中ずっと熟睡できました。
中房温泉では既に暑く、この先の登山が思いやられました。ちなみに42年前のことは、今回同様ガスの中をひたすら登りとにかくきつかったこと、合戦小屋でサイダーを飲み干したことしか覚えていません。
今回は靴を新調したので、できるだけゆっくり登ってベンチごとに休憩を必ず取ることを意識しました。おかげで、ここ何回かの登山に見られたような、最初飛ばしすぎて気持ちが悪くなることもなく、動悸が激しくなったり、息が上がったりすることもなく登ることができました。
合戦小屋では今回のお目当てでもあった名物のスイカもいただきました。42年前にはスイカの販売はなかったはずです。
合戦小屋からやや緩やかな道となり、ガスの切れ間にテントが見え、燕山荘に到着。ほぼコースタイム通りでした。荷物を置いて燕岳まで往復しました。山頂では雲が切れるのを待って30分ほど滞在しましたが、その様子もなく諦めました。山頂ではガスの晴れるのを待って写真を写してくださった方、北海道からはるばる登りに見えた方、お母さんがテントを背負い、小学生の息子さんと二人で登っていた方、6年越しで槍ヶ岳登頂を目指している方等々、何人かの方とお話しができたのはうれしいことでした。燕山荘へ戻る途中では、きれいなドレスとスーツに身を包んだ美人さんとイケメンさんのカップルが、ウェディング用の写真を撮影していました。昨年尾瀬でもそうした方々に会いましたが、最近のトレンドなのでしょうね。
燕山荘ではカレーとケーキセットをいただきました。夕食もボリューム満点でいささか食べ過ぎました。寝床は3畳に2人で、荷物もゆったり置けましたが、42年前は確か同じスペースに4人詰め込まれ、蒸し暑くて寝付かれなかったのを覚えています。
夜中にかなりの雨が降りましたが、朝になると青空が広がり、外へ出てみると眼下に雲海が広がっています。燕山荘の西側には、昨日見えなかった山々がずらりと並んでいるのが見えます。かつて登頂した大天井岳・穂高岳・槍ヶ岳・笠ヶ岳・鷲羽岳・黒岳が並び、昨日登頂した燕岳の左には立山も見えました。朝日が昇って槍ヶ岳~穂高岳の山々を染める一瞬も目にすることができ、感激しました。下山後のバスの時間に余裕があったので、もう一度燕岳に行こうかとも考えたのですが、イルカ岩まで往復するのにとどめました。
素晴らしい眺望に名残を惜しみながら下山をしました。暑さと戦いつつ、それでも前日よりは幾分涼しい中房温泉まで、ベンチごとにしっかり休みを入れながら、これまたコースタイム通りで下山しました。バスの時間まで1時間以上あったので、やはりもう一度登頂すれば良かったかなと後悔しました。
下山後は安曇野しゃくなげの湯で汗を流し、すぐそばにある安曇野山岳美術館で開催されている『アルプの仲間展』を鑑賞し、前夜に燕山荘でも見た畦地梅太郎の版画や、大好きな坂本直行の絵画を見てから帰途につきました。
朝の燕岳

燕岳と燕山荘
 
イルカ岩と燕山荘
イルカ岩と槍ヶ岳
朝焼けの穂高岳
朝日に染まる槍ヶ岳の峰峰
燕岳から大天井岳への稜線を雲が流れる
かつて登った笠ヶ岳
かつて登った鷲羽岳
かつて登った黒岳
かつて登った黒部五郎岳
雲海の向こうにかつて登った峰峰を見る
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