桑の海 光る雲

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礼文島断章15・24時間コース

2005-04-23 21:57:18 | 旅行記
星観荘には24時間コースという企画がある。初めてその存在を知ったのは、星観荘を初めて訪れた時、その2年前に小さな旅の博物館で出会ったKさんが書いた旅の思い出ノートを目にした時である。そこでKさんは「次に来る時は、必ず24時間コースに挑戦します!」と書いていた。その後2日間を星観荘で過ごし、私は次に来る時は24時間コースにチャレンジしようと決めていた。そして、翌年の6月に、花咲く礼文を一回りしたのである。この時のことはすでに書いた。

私が歩いた時の様子はビデオに収められ、夜のミーティングで放映されたそうである。私が7月に再訪した時、泊まり合わせていた人が「あ、24時間を歩いた鉄人さんだ!」と話しかけられたのにはびっくりしてしまった。ちょうど私が行く直前に、KさんとSさんという男性がそれぞれ一人で24時間コースを歩き、ともに鉄人と呼ばれていて、私は鉄人1号であった。私のようなひ弱な人間がそんな風に呼ばれるのは、何とも恥ずかしかった。

私が24時間コースの出発に立ち会ったのは5回ある。2回は自分の、あと3回は他の人の出発である。初めて立ち会ったのは、私が7月に訪れた時の最後の晩である。歩いたのはMさん。私からMさんまでずっと男性一人であった。私は出発だけ立ち会い、ゴールには立ち会えなかったのだが、夜中に皆で激励に行った時、泊まり合わせていたSさんが、ハーモニカを吹いてくれたのがとても印象深かった(Sさんはとても印象深い人なので、いずれ書こうと思っている。)。

2回目は、その翌年である。この時は男性3名と女性1名であった。出発にもゴールにも立ち会い、激励にも行った。何だか皆とてもハイテンションで、すごいな、と思った記憶がある。男性のKさんと、女性のSさんが、帰ってきた後イイ感じだったのを覚えている。

3回目は、その2年後。男性2名だった。2回目の時一緒だったQちゃんの大学の後輩で、二人とも植物にとても詳しかったので、皆から”博士と助手”と呼ばれていた。学生ということで、泊まっていた人の中で最年少だったこともあり、体にはマジックでムチャクチャ書かれていたのを覚えている。この時は、スコトン岬から女性二人組が合流し、4人での感動のゴールだったのを覚えている。

後の2回は、自分自身の時である。3年ほど前に久しぶりに24時間コースを歩いたが、この時のことはいずれ書こうと思っている。

24時間コースは本来、礼文でヘルパーや長期滞在者として一夏を過ごした人が、その総決算として行ったのがその始まりだったと聞いたことがある。私自身はどうかと言えば、星観荘に来出していきなり実行してしまったので、そんな意味合いはなかった。私の完歩記念証に彦さんが「24時間コースは人生だ!」と書いてくれたが、その言葉が24時間コースを歩くことの意味を実に端的に表現しているように思う。上述のSさんは、完歩後のインタビューで、「礼文を一周して、自分の小ささを実感した。」と、私には考えも及ばないようなかっこいいことを言っていたが、そのことも当てはまるように思った。

最近は24時間コースにチャレンジする人も、一頃よりずいぶん少なくなっていると聞く。2回歩き、出発やゴールに何度も立ち会っている人間には寂しいことだけれど、これも時代の流れなのかな、と思う。

コメント
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