桑の海 光る雲

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礼文島断章10・Hさんのこと①

2005-04-17 21:12:45 | 旅行記
花の咲く時期の星観荘(主として6,7月)に、数年前まで毎年のように長期連泊をしているHさんという年配の男性がいた。私も4,5年ほど続けて5~7月の花の時期に礼文を訪れていたが、行くたびに必ずHさんが泊まっていて、時には一緒に山を歩いたりした。

Hさんは年齢に似合わずフットワークが軽く、ある年には星観荘まで自転車を持ってきて、島のあちこちをその自転車で走り回り、あちこちの野山に分け入って、珍しい花や美しい景色などを実際に目にし、写真に収めてきた。写真は毎年アルバムにきれいに整理して星観荘にプレゼントしていた。

そんなわけで、礼文の花や見所に詳しく、カメラのことにも詳しく、その上、記憶力も抜群で、一度でも一緒に野山を歩いた人はほぼ全員記憶していたようだし、気さくな人柄ゆえに、女性達を中心にHさんのファンはたくさんいた。筆まめな人で、写真を送ったり送られたり、ということもこまめに行っていたようである。そして、見習わなければ、と思ったのは、そうして得た知識や経験を、決して他人にひけらかさない、ということである。見所を教える時も、Hさんからひたすら話して聞かせる、というのでなく、相手から聞かれたことに丁寧に答えてあげる、という話し方だった。自ら山に分け入って、素晴らしい花々の群落や、珍しい花を見てきたのだろうが、それを誇るようなことは決してしなかった。やはり、年齢にふさわしい自制をわきまえた人であったように思う。

私がHさんと初めて出会ったのは、十数年前、初めて秋の大雪山に登った時の、赤岳山頂でのことであった。この時ゆわんと村に泊まり合わせ、一緒に山に登っていた人で、層雲峡YHでHさんと一緒だった人がいて、Hさんが声をかけてきたのである。ちょうど私達が記念写真を撮ろうとしていた時で、写真に割り込んでこようとしてきたように思え、私は実はちょっと不満だった。でも、その後話をするにつれ、とても気さくな人であることがわかり、名前は聞かなかったけれど、印象に残る人であった。

星観荘で一緒になったのは、その数年後の6月の礼文においてであった。この時は、赤岳の上で一緒に写真を写したことは思い出せなかった。帰った後、赤岳の写真を見返した時に、実はあの時のあの人がHさんであることに気付いたのである。

その年の8月の終わり、私はふと思い立って、宮澤賢治生誕100周年で盛り上がる花巻を訪れようと思い立った。出発前にYHに予約を入れ、そのまま花巻に向かった。花巻に到着し、国道を外れ、地図を見ながらYHに向かって車を走らせていると、道ばたを歩いている人がいる。きっと国道沿いのバス停からYHまで歩いていく人なのだろう。横を通り過ぎる時、何となく顔をのぞき込んでみると、Hさんのように見えた。でも、まさかこんなところでHさんに会うはずはないと思い、そのまま行き過ぎてしまった。

YHに着いて荷物を下ろしていると、私が泊まっている大部屋に入ってくる人がいた。それが何とHさんだったのである。Hさんも宮澤賢治に関する旧跡を見に、花巻を訪れていたのである。再会を喜び、早速これまで見聞きしてきたことを話してくれた。その日は宮澤賢治の旧家を訪れ、偶然にも当時まだ存命中であった宮澤賢治の弟に話を聞くことができたのだそうである。宮澤賢治ファンなら信じがたい素晴らしい経験だったろうが、宮澤賢治ファンでもないわたしには”すごいこと”くらいにしか思えなかった。でも、Hさんのことだから偶然にもそういうチャンスに巡り会えたのではなかろうかと思われた。

夕食後、Hさんは早速泊まり合わせた人達にその話をして聞かせた。でも、決して自慢たらしい態度ではなかった。宮澤賢治ファンの女性達はそれはそれはうらやましがっていた。どうやら、その日まで泊まり続ける中で、女性達はすでにHさんのファンになってしまっていたらしい。さすがだな、と思った。

コメント
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