はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

孫と二人で富士登山 2

2011-08-31 10:22:29 | 低山歩き
 孫の快調な登りをみていたので、お鉢巡りを10時35分に何の迷いもなく出発した。
剣が峰の下りでは「今日最初の下りだね」と意気揚々と下っていた。
下りきれば次は緩やかな登りが始まる。調子の良かった孫の足が遅くなってきた。
「まだ登りがあるの?」と不満も出てくる。

          
           金名水?

 時折ガスに包まれる剣ヶ峰や大きく口を開けた火口を見せて気分転換をはかる。
下の方に四角い枠が見えた。前回は金名水の位置が分らず撤去されてしまったと思ったが、どうやらあれが金名水のようだ。
昔はあの横を歩く道もあったが何故か今は無かった。

 富士吉田口山頂は相変わらず賑っていた。ツアーで来たのか団体が「万歳! 万歳!」と叫んでいる。
そうそう前回の宿題を思い出した。この山頂にある神社は地図や標識では「久須志神社」となっているが、前回写した神社の写真は「富士山頂上奥宮」となっていた。
神社の前に石碑が立っていたが、何て彫られていたか自信が無かった。それを今回確認しようと思っていた。そして神社入口の石碑には「富士山頂上浅間大社奥宮」となっていた。
これでは途中にあった標識の「久須志神社」は何所に行ったのだろう。宮司さんに聞いてみた。
「ここは久須志神社ではないのですか?」
「はい久須志神社です」
「入口に浅間大社奥宮と書かれていますが?」
「はい。ここは浅間大社の奥宮です。久須志神社は浅間大社の末社ですので」
ようは久須志神社は浅間大社の末社なので、これで間違いないという事らしい。
素人の私にはよく理解できないが、以前はここの看板も「久須志神社」となっていたような気がしたのは勘違いだったのだろうか。

 もう一つ宿題があった。それは剣が峰の三角点の向きが南を向いているかどうか調べる事だ。
剣が峰の三角点の上に方位磁石を置くと。アレー方位磁石の中に泡が幾つも浮いている。何時もは泡など無いのに水漏れでもしたのだろうか? しかしそんな気配はない。
静止している白い針は三角点の表面を向いている。なら、この三角点は南を向いているのだろう。
試しに磁石を動かすと針は磁石と共に動いてしまう。駄目だこれは。薄い気圧で磁石が駄目になってしまったのだろう。というわけで三角点の向きは確認できませんでした。
家に帰り方位磁石を見ると、泡は無く正確に北を指していた。

 富士吉田頂上を出ると緩いアップダウンが続いた。孫は上りは勿論、平らな道でも辛くなってきたようだ。
今まで一度も自分から座り込むことは無かったが、遂に座り込んでしまった。
念のた頭痛がするか吐き気がするか聞いたが、そんな症状は無いと言う。それなら高山病ではないので少し休ませれば回復するだろ。
5分も休むと自分から立ち上がった。これならまだ大丈夫だ。

 御殿場口入口銀名水に11時30分到着。お鉢巡りを1時間15分で回った事になる。
これは私が一人で歩いた時と全く同じ時間で一般的な歩行時間だ。
決して私が速く歩かせたのではないが、登りのとき注意していた「速すぎる」を言わなくなっていた。これが原因だったのだろうか。

 銀名水を11時40分出発。急に人気の無くなった登山道を下って行くと孫が
「小便をしたいと」言い出した。サー困った。
以前なら気軽にしていたのが、有料トイレができた今は立小便はマナー違反どころかルール違反だ。
しかし次のトイレは小1時間程下の7合9尺の小屋までない。辺りを見回したが登山者の姿は無い。
「早くそっちでやちゃいな」と許可を出す。その孫の後姿を見ていた私も催してきてしまった。前後左右を見回して慌てて連れションをしてしまいました。ご免なさい!
終ったあと清々した孫は「600円儲かったね」と満足げだ。
「何が600円なの?」
「だってさっきトイレの入口に1回300円て書いてあったよ」
そう確かに富士吉田山頂のトイレの入口にそう書いてあった。疲れ果てていたくせに、そんな貼紙まで見ていたとは中々油断できない孫だ。

          
           8合目から

 8合目の小屋跡に到着。ガスが時折晴れ御殿場の市街が見えるようになった。
まだ大分残っていた水を半分捨てることにした。
家から2.2ℓ持ってきたが、その半分の1.1ℓ捨てたことになる。
何故そんなに持ってきたって? それは前回6合目から登ったとき0.9ℓが途中で終ってしまったため、今回は少し増やして1人1.1ℓづつもってきたのです。
こんなに残った原因は天候にある。前回は登るとき陽射しが強く、暑くて汗ビッショリになって水を飲んでいたが、飲んだ水分は汗になって出てしまう。おかげでトイレは1度も行かないですんでいた。
それが今回は陽射しがなく、冷たい強風にさらされていたので、汗をかかなかった。そのため水は余り取らなかったが、冷えた体は小便をしたくなってしまった。
水の準備も難しいものですね。

 砂走りでは孫の靴の上から、私の古い厚手の靴下を履かせる。こうすれば靴の中に火山灰が入らないで済む。更に頑丈にするならガムテープを底から踵にかけて貼ってやればいい。
走る前に孫に要領を教えてから見本を示す。今日一番の私の見せ所だった。

 前回も気になったが砂走りを逆送している人が今回もいた。何所へ行くのか聞くと
「今日は御殿場口の7合9尺に泊まる」と言う。
成程前回山小屋で聞いたように皇太子殿下の歩いた道を、プリンスルートと名付け歩く人が増えたようだ。
前回はガスで気が付かなかったが、今日は所々に「プリンスルート」と書かれた標識が目につく。
そのルートは、宝永山から御殿場口の下山道にある走りの6合の小屋跡までは既存の登山道を登り、小屋跡からは新しい道を登山道まで開通したようだ。
さすが皇室のやる事は大きい! 新しい道を開通させてしまうのだから。

           
            走りの6合にあるプリントルートの標識

 前回は霧で包まれていた宝永山の馬の背は今日は晴れていた。
新しい標識も見える

          
           宝永山馬の背

 これならまだ一度も行った事のない宝永山の突端にも行けそうだ。孫に行くか聞くと「戻ってくるなら、ここで待つ」と言う。
サーどうしよう。待たして自分だけ往復するか、それとも諦めるか。
火口の中を見るとガスは無く登山者の姿も沢山見える。私たちの後ろにも三々五々登山者がいる。
「じゃーお祖父ちゃんは一人で行ってくるから、翔大は一人でこの道をユックリ下って行きな」と随分冷たいことを言ってしまった。
孫は「うん」と言って一人で下って行く。

          
           宝永山の案内盤

標識には宝永山まで10分と書いてあったが、半分走るように行くと5分もかからず宝永山の突端に着いてしまった。
そこには新しい大きな案内盤があったが下界はガスで見えなかった。写真を1枚写し慌てて引き返すことに。元来た道を戻ろうとすると下に下る細い道があった。多分この道も火口に下る道だろう。若し違っても強引に下ってしまえばいいとその道を下って行った。
すぐに正規の登山道に合流し下を見ると孫が杖を振っていた。一人でこんな所を歩かされて心細かったのだろ。上ばかり気にして歩いていたのだ。私も金剛杖を振って合図した。
こういうことはやってはいけませんね。反省しています。

火口の底に14時5分到着。ここまで来ればもう先は見えた。あと30分も歩けば新五合目に付く。
孫はベンチに顔を付けて休んでいる。15分ほどして
「サーいつまでも、こうしていても仕方ない。出発するよ」
「うん」と立ち上がり前方を見て「また登りなの」とげんなりした様子だ。
「大丈夫 ここの坂はすぐ終るから。あそこに行けば朝通った6合目が見えるよ」と元気付ける。

 
富士宮側宝永火口標識               ダウンした孫

歩いているときは決して遅くなくダラダラした歩きではなかったが、火口底からの登りが終ると、全体力を使い果たしたように火山灰の上に寝転んでしまった。
そのまま休ませながら少々無理のさせすぎを反省してしまった。

10分ほどたって横になっていた孫が顔を上げた。
「ほらあそこに6合目の小屋が見える」と教えると急に元気なった。きっと見知った所が見えたので安心感と残っていた気力が奮い立ったのだろう。
6合目では休まずそのまま新5五合目に下る。新五合目で「アイスでも食べるか?」と声をかけるが「いらない」と言って車まで一気に下ってしまった。

 帰りの車の中で「また富士山に来るか」と聞くと「うん 今度はご来光が見たい」と言った。
これで孫との約束も果たせてた。少々無理をさせたようだが孫は富士山を嫌いにならなかった。
やっと私にも満足感が湧いてきた。

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