はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

四国遍路33日目

2018-04-14 10:00:00 | 四国遍路
          
                         85番 八栗寺

                     納め札(33日目) (2003/4/14)

宿(5:40)→一宮寺(83)→屋島寺(84)→ 八栗寺(85)→志度寺(86)→宿(16:00)    37.6km

 この宿の朝食もセルフサービスでいつ出発しても良いシステムだった。おかげでまた早立ちとなった。
遍路地図を見ると車道を少し行くと歩行用の遍路道があるとなっているので、通りかかった若い人に尋ねると
 「私ら遍路道の事なんか知りません。」 と簡単にいなされてしまった。
確かに若い人に遍路道を聞いても無理な話だと納得して車道を行く。

地図の道とは離れてしまったが、このまま東に行けば大きな川(香東川)にぶつかり、そこを右に曲がり川沿いに行けば
次の一宮寺方面だろうと判断し適当な道を歩いて行く。

香東川には河川敷の遊歩道があり散歩している人達が大勢いた。私も仲間に入り地図を見ながら歩く。
地図では次の一宮寺は川を渡り、町の中を電光形に歩くコースで何とも分かりにくい。それでなくても街中は遍路札も少なく
歩きにくいときているのに何とも悩ましい。
地図を見ていると散歩していた人が 「お遍路さん一宮寺に行くのですか」と話しかけてくれた。
私は地図を見せながら 「エー 一宮寺に行きたいですが川の向こうが分からなくて」 と言うと
 「それならこの河川敷と土手の道を行き、6個目の橋を渡れば一宮寺の近くに出る」 と教えてくれた。
地図で見ると確かに分かりやすいし距離も短くなる感じだ。
礼を言って歩き出し三つ目の橋を渡った頃後ろから 「お遍路さーん 」と声がした。
先程道を教えてくれた人が自転車に乗って追いかけてきたのだ。
「さっき6個目の橋と言ったけど、5個目の橋の方が近くて分かりやすいよ」 とわざわざ教えに来てくれたのだった。
有難うございました。

 一宮寺からの道は今まで歩いたどの道より賑やかだった。
しかもラッシュ時間と重なったせいか人混みの中を歩く感じになった。学生も多く後ろで女子学生の笑い声が聞こえると
 「戦争反対!」 のワッペンを見て笑っているのではと自意識過剰な私は背中が熱くなる。
周りには遍路装束は見当たらない。一体他のお遍路さんは何処を歩いているのだろうかと恨めしくなった。

ここが地図上の遍路道かどうかは、もうどうでもいい。国道11号に出たら右に曲がる、とそれだけを目指して歩いた。
それでも途中で今はどの辺を歩いているのか気になり信号待ちの女性に声を掛けた。
 「知りません。知りません。交番に聞いて下さい」 とまるで悲鳴のような声を出して方向を変えて行ってしまった。
悪いことをした。きっと浮浪者に声を掛けられたと思ったのだろう。
日に焼けて真っ黒になった顔にひげ面、たまには洗うが汚れた白衣それに汗も匂ったのだろう。
一応優しそうな中年の女性と思い声を掛けたのだが、女性だろうが男性だろうが嫌なものは嫌だろう。

 そういえばこういう事もあった。
庭に出ていた中年の男性と顔が合ったので会釈をしたらプイと顔を背けられてしまった。
それはそれでいいのだが、そこから少し行った所で軽トラックの男性に道が違うことを教えられた。

遍路の本に書いてあったが四国の人は遍路に対し “同情半分、後の半分は批判に反発” 正にその通りだと思った。

国道11号を歩き始めた頃から小便をしたくなった。
山道や田舎道ならどうと言う事はないが、街中の交通量も多い所だと困ってしまう。こんな時に限ってコンビニもない。
便所を貸してくれと言ってガソリンスタンドに入る勇気も無いが、幸い橋があったので橋の下入ってしてしまった。
女性の遍路はこの便所の問題だけをとっても大変だとつくづく同情をする。

 それにしても讃岐に入ってから遍路の休憩所が少ない気がするが、あっても気がつかなかっただけなのか。
遍路も最後の讃岐まで来ると途中で断念する人が増えて、歩き遍路は少なくなるからだろうか?

 屋島寺でお参りを済ましベンチで休んでいると、立派な身なりの僧が参拝を済まし立去った。
すると納経所の人が出てきて納札箱の中から何かを取り出してきた。
 「何があるのですか?」 と聞くと 「今のお坊さんは50回以上遍路をしているので、納め札が金色で貴重なのだ」
と言って、手に持っていた金色の納め札を見せてくれた。
 「良かったらあげるよ。お姿と一緒に入れもいいし、お守りに入れてもいい」 と金色の納め札を譲ってくれた。
白い私の納め札と違い金色の納め札はそれだけでも貫禄がある。

納め札には 「修弘 68歳 15年4月15日11時10分 68」 と書いてある。
最後の68は68回目の遍路と言うことなのか? 
ともかく良い物を頂いた。修弘さん納経所の方、有難うございました。

 屋島からの下り口は遍路地図と現地の遍路札とは違っていたが遍路札に従って歩いてみた。
廃業したホテルや食堂の前を通ると丁度桜が満開で散り始めていた。誰も通らない道は桜の絨毯を敷いたように見える。
桜吹雪の中に佇む遍路独り。これもきっと絵になる風景だと一人ほくそ笑む。  

 遍路道はそのホテルの前を下るのだが、道が崩れても補修をしてないので急勾配のうえズルズルしている。
オイオイこんな所を歩かせるのよ、下りだからまだ良いが、上りだったら大変そうな道だと独り言。
だが幸いなこと事にそんな道はすぐ終わり普通の山道となる。ドライブウエイを横断したり、屋島の海を眺めながら、
のんびりした歩きとなった。正面には次の札所八栗寺の岩山が見える。

 ここまで来てしまうと険しい道も大歓迎だし、高いのも山も大歓迎。遠いのも大歓迎だ。
屋島は84番。あと残り4ヶ所。もっともっと続いて欲しい。

 話は変わるが屋島に 「食わずの梨」 の伝説があったが、高知の最御崎寺にも 「食わずの芋」 の話があった。
どちらも弘法大師が地元の人に梨や芋を恵んでくれるよう頼んだが恵んで貰えなかったので、怒った弘法大師が
そこから取れる梨や芋を不味くて食べられないようにしてしまったと言う話だ。
話としては分かるが何とも大人気ない大師様だ。これではお接待を受けられなくてイライラしているお遍路と変わりがない。
しかも思うだけでなく意趣払いまでするとは、唯我独尊根性悪の大師様と思われても仕方ない。

アッ御免なさい。大師様どうか罰を与えないで下さい。“南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛”

 今日の昼はうどん屋でうどんを食べた。
中盛(2玉)で280円。これにお稲荷さんを食べて370円で済んでしまった。
何故うどんはこんなに安いのだろう。小麦粉が安いのか? それに比べ蕎麦は何故高いのか? 
手打ちのざる蕎麦で600円はする。しかも量は少なく大盛りにしても満腹感は得られない。
蕎麦粉が高い? いやそれだけではなく蕎麦を打つ過程が大変な作業だと聞くがそれで高いのか? 
ならうどんを打つ過程は楽なのか? 若し楽なら私でも打つ事が出来るのか? 疑問が次々浮かんできた。
こんな安いうどん屋を静岡でやったらどうだろう。きっと大繁盛間違いなしだろう。
少し修行をしてみるかと、出来もしない妄想を楽しみながら歩いている遍路でした。

 道は遍路地図より大分近回りをして八栗寺の麓の州崎寺の近くで遍路道と合流した。
さあこれから85番八栗寺のある五剣山の上りとなる。
ここには地上ケーブルが走っているが勿論そんな物には乗らない。勇気凛々!歩いて出発だ。
気分は高揚しているが体は疲れていて、歩く速度は上らず、ゆっくりしたペースだった。
しかし一歩でも歩けば着実に高度を稼いく。

 牟礼? どこかで聞いたことのある地名だと考えていて思い出した。以前行った長野県にも牟礼村が確かあった筈だ。
そう言えば昨夜泊った所は鬼無(きなし)だが、長野の牟礼村の近くにも鬼無里村(きなさ)がある。
偶然かも知れないが何か因縁を感じる。それにしても “牟礼” とはどう言う意味があるのだろう?

 今日の歩行距離は37kもあるのに、早立ちのせいか宿の近くの志度寺には3時20分に着いてしまった。
宿は今通ってきた門前通りにあったが、入るにはまだ早い。と、自動販売機を探し町の中を歩く。
目的はチュウハイだ。以前はこんな甘い酒は嫌いだったのに今は美味しく感じる。疲れた体が甘味を欲している
のだと言い訳しながら時々飲むようになっていた。

 販売機を見つけ冷たい缶を手にすると宿まで我慢する事ができなくなった。
空き地を見つけ、いかにも水を飲んでいるかのように装い飲んでしまった。
お遍路をしながら、こんな事して良いのかなと反省の気持ちも湧いたが時すでに遅し、心の根の狭い遍照金剛は
許してくれなかった。

夕食に茹蟹が出た。
たまたま含んだ蟹の身の中に殻が入っていたのか “ガリ” と音がした。
出してみると ------ 入れ歯が1本折れて出てきた。

                  四国遍路メニューへ

最新の画像もっと見る

コメントを投稿