はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知人ハイク-菩提山

2015-12-01 12:13:26 | 低山歩き
歩行記録                                                          H27-11-29(火)
歩行時間:5時間40分   休憩時間:1時間20分   延時間:7時間00分
出発時刻:8時20分     到着時刻:15時20分
歩  数: 、歩(推定距離.km)    GPS距離17.2km
行程表
八坂神社 0:25> 不動峡 0:20>  水車村 1:00> 菩提山登山道入口 0:30> 菩提山 0:50> 桧峠  0:45> 椿山
 1:30 上滝沢 0:20 八坂神社
 
                        知人ウォーク菩提山・椿山 観歩記
                 

 月1回の知人との低山ウォークに予定通り不動峡・菩提山・椿山と歩いてきました。
幸いというか生憎というか、現地に近づくと 「不動峡のもみじ祭り」 の看板が立っていたので、下見の時に目を付けておいた八坂
神社横の空地に車が置けるか心配したが、幸い車から離れてから交通規制のガードマン達が来て何とかセーフでした。

 貰ったチラシの写真は見事に紅葉しているが果たしてどうだろう。

 
              新滝温泉                                     新滝温泉

 不動峡の磨崖仏の手前に立派な太鼓橋が残った所があり、そこはかって温泉旅館だという事は前回知った。
それが今日はその太鼓橋の手前に臨時の案内板が立っていたので紹介します。
 「不動峡新滝温泉跡 石橋の向う側には、昭和7年から16年頃まで “不動峡新滝温泉” という温泉宿がありました。
東京の芸者、清田まつが、不動峡に湧くラジウム鉱泉を利用し、開業したといわれています。橋の下には錦鯉を泳がせ、舟を
浮かべるなど、山深くの温泉旅館としては贅を凝らしたものだったようです。
 また、滝ノ谷には、もう一ヶ所の “小滝温泉” と呼ばれる温泉もありました。昔からラジウム鉱泉が出ているところがあり、
土地の人達はその水を汲み、皮膚病やアセモ等に特効があり、薬水として私用していたそうです。
大正5・6年頃に、現在の瀬戸ノ谷出身の向島氏が鉱泉を利用、同時に観光地の一助として、ここに温泉を経営し、遠近の人達が
尋ねて一日の清遊を楽しんで帰ったという事です。」


 白黒の写真で見難いが、贅を尽くした建物のように見える。玄関前には車も停まっているので、この太鼓橋を渡ったのだろう。
さらに後段の “小滝温泉” は、地元の人が今でいう日帰り温泉をやっていたようだが、場所は何処なのか今一明確ではない。
いずれにしろ今ではそのラジウムは出なくなってしまったのだろうか。惜しい事だ。


          
               不動峡磨崖仏                      不動峡

 チラシを見てから俄かに湧き出した紅葉への期待感は一挙に崩れ去りました。モミジの葉は紅葉をする前に枯れ始めていて、
どうやら不動峡の今年の紅葉は外れのようです。

 磨崖仏の前にも臨時の案内板が立ちこんな紹介をしていた。
 「その昔、滝ノ谷上流の元不動というところの松の根元に、不動尊を祀っていました。ある年の大洪水で、その不動尊は下流の
稲葉地区助宗まで流されてしまいました。ある日河原でお不動さんを見つけた老婆は、不動尊を家に持ち帰り大事に祀りました。
そんなある夜、老婆の夢枕に立った不動尊が 「元のいた滝ノ谷に返してもらいたい。さすれば道行く人の無難、家内安全を見守る
であろう」
と告げました。老婆は不動尊を不動峡に岩の割れ目に納めて祠を作りました。

 不動峡にある、身の丈約八尺の不動尊は、小滝温泉主が焼津市出身の下村氏に作成依頼し、昭和12年に開眼しました。
当時にはまれなコンクリートを取り入れた完成度の高い作品を、この地に納めました。

 不動峡の磨崖仏は不動明王としては日本最大級といわれ、高さ10m幅7mもあります。制作は近くに公房を持つ石彫刻作家の
杉浦氏が8年余の歳月をかけて制作し、1989年開眼式を行いました。」


 私は今まで不動峡は不動明王の磨崖仏が出来てから不動峡になった思っていたが、それは間違いだった。磨崖仏の前には
2代の不動明王が祀られていて、名前の元になった不動明王は、今から300年以上も前の話だった。
さらに、磨崖仏の右足もとに立つ不動明王は、どうやら2代目の不動明王だという事も分かったし、青銅製ではなくコンクリート製
らしいという事も分かった。ただこれがコンクリート製なら、作ってから80年ほど経つ今なら、ボロボロしてきそうだが、今でも遠く
から見てもシッカリしている。何故だろう。

 
                  山の市                                 菩提山山頂

 いつもは閑古鳥が鳴いている、いえ、店も閉り誰も居なかった山の市が今日は大賑わいだった。
まだ時間は9時前だというのに、既にテーブルではキノコ汁を食べている観光客もいる。私も “せんぶり” を求めて売店を除いたが
残念ながら売っていなかった。
山の市より上の方にも売店や臨時駐車場が出来ていた。駐車場はミカンを買えば無料だと誘っていた。
過疎の地の年に一度の賑わいなのだから、ケチと言われない程度に小遣い稼ぎをすれば良い。

 さすがに水車村の辺りは普段と同じで人ひとりいなかった。ここには壊れた水車小屋と廃屋に近い兜屋根の民家があるが、
これでは人は呼べない。ここにラジウム鉱泉でも湧いてくれれば最高だろう。

 今日は車で、しかもバス停の中山より大分奥に入っているので時間的に余裕がある。すると当然私の足は遅くなる。
ゆっくりしたペースだったので心配していた菩提山の上りも難なく登ることができた。途中にミヤマシキミ(深山樒)と思われる
赤い丸い実を付けた小枝が纏めて置かれていた。誰かが取って置いたのだろうが、まだ時間も早いので今日置いたとは思えない。
ここに置いてあっても勿体ない、どうせなら山頂の地蔵さんに供えてやろうともって行く事にした。
暫く行くと上から我々と同年配と思しき2人組が下りてきて、私の手元を見て 「アレー」 といった顔をした。
 「これ下に置いてきました?」「そうだけど」「上のお地蔵さんにお供えしようと思ってご免なさい」「それでもいいけど、悪いねー」
なんて会話をしてミヤマシキミを手渡した。

 菩提山山頂に11時丁度に到着。今日は晴れの予報だったが雲の多い日で、歩いていると丁度いい気温だが休んでいると寒くなる。
昼飯は時間も早い事から日影ばかりの山頂は止めて桧峠でとることにした。

           

 私が気持ち良く感じて写す山道は一も同じ感じになる。特に好きなのはなだらかな瘠せ尾根で、そんな所を歩くと如何にも
山に来た感じがして写真を撮りたくなる。

 
               桧峠付近の茶畑                            桧峠の地蔵堂

 山道が終わると見えるこの光景も好きな眺めで、ここに来ると必ず写真を撮りたくなる。まだ茶の葉の色が濃いので堅い感じだが
これが春ともなれば萌黄色の柔かな新芽が辺り一面に広がり、新茶の香りが漂ってくるような雰囲気を感じる。
ところで 「もえぎいろ」 を漢字変換すると 「萌葱色・萌黄色・萌木色」 と出る。今までは気にせず使っていたが調べてみると
 「一般的に萌え出る葱の芽のような緑色を “萌葱”。青みがかった色を “萌木”、黄みがかった色を “萌黄” とも書きます。」
だそうです。これからはお茶の新芽は萌黄色と書こう。だが写真のような茶の葉の色は萌葱色が合っていそうな感じがする。

 桧峠の地蔵堂で昼飯にする。休憩の合間に地蔵堂に掲示してある古い新聞記事をみて、
 「へー昔は藤枝から、ここを通って千頭まで索道が通っていただって」 とか、 「津波が中山まで来ただってよう。それじゃ家の
団地はどうなるんだ。」 「イヤうちの団地は津波より浜岡原発の23k圏だから、そっちのがあぶないよ。」
と喧しい。

 
                 信濃柿                              曇っていたが富士山は見えた

 桧峠を出て椿山への分岐で、椿山に寄るかどうかを確認すると全員椿山に行くという。今日の天気では富士山が見えるかどうか
分からないので、行った結果の感想が怖い気もする。しかし今日は時間的に余裕があるのでゆっくり登ればよい。

 ピンポン玉より小さな柿が鈴なりになっている。多分 「信濃(豆)柿」 だろう。この柿は柿渋を取る柿で、実は渋くて食べられないが
焼津では “やきつべの道” の脇にこの柿がある。横には案内の杭まで立っている珍しい柿のようだった。
しかしこの椿山には熟した実を付けた木が所々にあるのを見ると、どうやら余り珍しい物ではないようだ。
仲間の一人が柿を取って噛んでみた。 「皮の周りは渋いけど奥の方には甘味があると」 今度はもっと熟した実を取った。
 「ウン! これなら食べれる」 と言いながら食べていたが、他の者は手を出さなかった。勿論私も手を出さない。

 「エー ここが山頂?」 「下りになるのはありがたいが、後ろの方がもっと高いじゃんか」 と呆れた声。
そう椿山の山頂標識は農道脇に立ち、明らかに最高点ではない。
 「この先にある三角点が面白い場所にあるから、そっちへ行こうよ」 と興味をそらす。

   
            河童                      鳥                        蛙

 空家の別荘の敷地内にある三角点の場所に案内すると、仲間は興味を覚えたらしく敷地の中を彼方此方見て回っていた。

         
                                      三角点

 「なぜ三角点を別荘の庭にしたのだろう?」 「いや三角点のあった場所に別荘を建てたのだろう。」
 「此処は同好会の仲間が集まる場所ではないかな」 「いや眺めのいい所にテーブルが2脚もあるからレストランだ」

因みにここの三角点は 「三等三角点 椿山 484.34m」 でした。そうそう “現状地目 山林” になっていたので三角点を
設置した時は、やはり別荘ではなく山林のようです。

   
            怪獣                      犬                        鶴

 「此処の住民は芸術家だ。若しかすると不動峡の磨崖仏を彫った人ではないか?」
 「いやあれを彫った人は石の彫刻家となっていたぜ」
等々、芸術鑑賞を兼ねた楽しい探検時間を送りました。


                                      富士山と志太の山々

 今日は曇り空で遠くは薄くしか見えないが、富士山を初め愛鷹山や伊豆半島も見えていた。
景色では余り感動しない仲間も、それなりにこの300度に広がるパノラマ風景に満足してくれたようだ。
これでスッキリ晴れて居れば申し分なかったのだが贅沢は言わない。これだけ見れれば良しとしよう。

   
            ヒサカキ?                 雀蜂の巣                本日一番の紅葉

 農道脇に黒い小さな実を枝にビッシャに付けた木が何本も植えてあった。どうやら栽培をしているようだ。
ここでもシキミだ、サカキだ、色々出たが決定打が無かった。家で調べていると、どうやら 「ヒサカキ(非榊、 柃)」 のようだ。
植物辞典の写真を見ると、榊の実は黒いが枝に直接ではなく短い茎の先に付いていて実の数も少ない。葉の縁はギザギザが
無く丸くなっていた。
一方ヒサカキは、実は黒く数も多いし枝に直接ついているように見える。葉の縁は丸くなくギザギザしている。
写してきた写真を拡大して見ると、葉の縁は間違いなくギザギザしていた。ウンこれなら “ヒサカキ” で間違いないだろう。

 木の名前は分かったが何故栽培をしているかのヒントも植物辞典に載っていた。
 「サカキは仏事に用いられるシキミに対して、神事や祭事によく用いられるので神社にはよく植栽されている。なお地方に
よってはヒサカキのことをサカキと呼ぶ場合もある。関東などではヒサカキをサカキとして用いる。」

ここは関東ではないが関東に近いので、ヒサカキを神事に使っているのだろう。そのためここで栽培しているのだ。
いやヒサカキをサカキと思っているのかもしれない。いつかは地元の人に聞いてみよう。

 二つの目より10個の目の方が色々な物を見つけることができる。
今度は木の枝の中にある雀蜂の巣を見つけた。巣の周りには蜂は飛んでいない。
すると誰かが 「雀蜂は冬は死んじゃうので巣は空のはずだから、あの巣を取ろうか」 と提案をした。すかさず
 「俺は先に下に行くから、それからにしてくれ」 と意見が出て、結局4人がそれに同調したため巣取は中止に。
でも冬に死んでしまう蜂が何故春に復活するのだろう? 知っていますか? 知らない事は調べるに限る。
ウィキペディアには 「日本のような温帯では、秋の終わりになると巣外で交尾し、越冬する新女王蜂を除き全てのハチが死に
絶えるので、巣は空き家となる。」
さらに
 「スズメバチの名は、その大きさが “雀ほどもある” または “巣の模様が雀の模様に似ている” ことに由来する。
また、地方により “くまんばち” などの名がある。
夏・秋に山や森に行く場合は香水や黒い服を控えるべきである。香水には、しばしばスズメバチ類の警報フェロモンと同じ物質が
含まれているからである。黒い服は、ヒトを含む大型哺乳類の弱点が黒色部分(眼や耳孔など)であることから着用しない方が良い。」

なるほどね。言われてみれば巣の模様はスズメの模様に似ていなくもない。確か子供の頃は “クマンバチ” と呼んでいた。

 今日は色々勉強ができた。尤もこれを忘れなければだが。
最後にご褒美なのか紅葉した葉を付けたモミジが1本立っていました。

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2 コメント

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Unknown (itta)
2015-12-02 23:59:47
新滝温泉、、とても貴重な資料ですね。
大戦前の本当に短い期間、営業されていたということ、、思っていたよりも古い施設であることが分かりました。

椿山は三角点の名前から考えると、あの別荘の辺りを
山頂と考えるのが自然なようですね。
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ittaさんへ (はぐれ)
2015-12-03 09:29:07
気になるものがあると、その謂れを知りたくなる性分なので、臨時とはいえ案内板があり満足ででした。

気になると云えばittaさんのブログの「兀岳」も気になりますね。
語源はただ単なるハゲ山から来ているのか、別の意味があるのか・・・・
それにしてもあのような見事な樹氷を一度見てみたいです。
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