はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

四国遍路35日目

2018-04-16 10:00:00 | 四国遍路
          
                         総奥の院 與田寺

                     お礼参り(35日目) (2003/4/16)

 宿(5:50)→與田寺(総奥の院)→(3)→(2)→(1)→宿(16:30)     36.7km

昨日は何事も無く結願を迎えることができ、今日は最後の日の爽やかな出発となった。

 四国の道の案内に従い宿の裏手の川沿いの細い道を歩き始める。2k程行き橋を渡った所で少し太い道に出合った。
少し迷ったが早朝のなので聞く人はいない。左に行けばまた川を遡ることになると判断して右手の道をとる。

程なく行くと太い道に出合ったが、通勤の車がスピードを出して走っているだけで歩行者の影は無い。
迷いながらも歩いているが不安が高まる一方なので、意を決して車に手を挙げてみた。
残念ながらどの車も無視。当然といえば当然な事だと思う。朝の忙しい時にヒッチハイクをしそうな遍路になんか、
誰が車を止めるものか。分かってはいるのだが、それでも手を挙げ続けた。結局どの車も止まってくれなかった。

 前方の人家に人影が見えた。急ぎ足で歩きやっと道を確認すると、案の定間違っていた。
目的の道は反対方向で、もう大分下ってしまったらしい。最初に川を渡ったとき左に行けば良かったのだ。

冷静になって遍路地図を確認すると、最初はともかく太い道に出会った時には当然気つくべきだった。
やはり気持ちが浮ついているのだろう。引き締めていかねば。
結局2k以上は歩いたと思うので往復4kの無駄足だった。

 與田寺は改修工事をやっていたせいか、納経所で呼鈴を押しても中々出てこない。
やっと来た人に納経を済ませたあと大坂越の道のことを聞いてみた。
 「私らは歩いているわけではないから分からない。大体徳島の寺なんかに行くよう用は無い」とけんもほろろだった。
ウーン確かにそうだけどもう少し答えようがあるのではないか、チョッと腹がたってしまった。

 昔の遍路は総奥の院をお参りして1番にお礼参りするこのコースが一般的だったという。
それが今は10番に抜けて1番に行く人が多いらしい。
こんな態度を取っていては当たり前かと思う一方で、88ヶ所総奥の院をもっとアピールすれば参詣者は増えるだろう。
與田寺まで来ればJRの駅にも近いので、1番にお礼参りをしない遍路にも便利なのだから。

 時折海も見る国道11号をテクテク歩く。歩き始めて35日。体の具合はすこぶる良好だ。
細かいことを言えば左足の親指の爪が黒く変色している事と(遍路が終わり暫くして黒い部分が割れて剥れてしまい、
その後正常な爪が再生しました)右手小指が赫々する事(バネ指と診断された)くらいで後は無い。
体重は昨夜測ったところ62k台で歩き始めより4kほど減った。
ぷっくり出ていたお腹も大分へこんでくれた。
(体重は遍路後アルバイトをしていて頃は65k台に戻ってしまったが、今は遍路の時と同じく62k台になっている。
ただこれは歩きの成果だけでなく、老齢に伴う体重減少かもしれません。)

 それからこのお遍路でもう一つ実験した事がある。それは髭です。
以前から髭面に憧れていたが、融通のきかない会社勤めで髭を伸ばしたことがなかった。
また私の先祖は中国か朝鮮からの渡来人なのか、髭が薄く足や手も毛深くないので、髭を一週間そのままでも無精髭が
少し生えるだけでした。
そこで今回は秩父に出発した時から、四国遍路が終わるまで髭を剃らないことに決めてきた。
今日で48日目。最近は鼻の下の髭が伸びてきて、食事のとき食べ物以外の物が口に入ったと口を拭うと髭だったりして
不快感を感じている。
鏡を見ると一番欲しい頬の髯は殆ど伸びていず少し黒くなった程度でしかない。鼻の下の髭はポショポショと生えていて、
唇にかかっていて見るに耐えない状態だ。
顎鬚はこれも伸びてはいるが山羊ほども無くみすぼらしい限りだ。
全体的に見ても日に焼けた顔に、無精ひげを伸ばしただけの乞食顔だ。

 白衣と菅笠があるお陰で浮浪者に見られないで済んでいるだけだろう。更に一昨日歯が抜けてしまい喋ると歯抜けの
間抜け顔に見える。もう救いようのない顔に鏡を見るのもいやになってしまっている。
(家に帰ると妻に 「みっともない」 の一言で髯を剃るよう命令された)

 国道から遍路道に入るのに、四国の道の方が分かりやすいと判断して四国の道の標識に従い国道と分かれた。
実はこの四国の道とは四国4県に渡って整備された歩行者案内の標識で、コンクリート製の立派な標識が多い。
遍路道とは付かず離れずで、いたる所で見かけた。
ただ四国の道は名所旧跡や集落を通る事が多いので、そのまま行くととんでもなく遠回りになったりしてしまう。
せめて遍路道と分かれるときは遍路道の案内もしておいてくれると助かるのだが、と常に思っていた。

いやもっと言えば四国には遍路道と言う文化遺産があるのに、何故四国の道を設けなければならないのか疑問に感じた。
四国遍路が現在でも廃れず歩かれているのは、宗教心もさることながら、道中の宿泊施設のあるからだと思う。
例えば東海自然歩道など構想は立派で随分お金もかけたのに余り利用されていない。
それは手頃の場所に宿が無いからだと思う。
ここ四国のように、誰もが歩ける範囲内に民宿等の宿があれば東海自然歩道はもっと利用されるだろう。
そうなれば私も歩いてみたい。

四国の道を策定した国土省は、遍路宿などの宿泊施設は考えずに作っているが、ならば標識に遍路道の案内をするのは
当然だと思うのだが。

 また道に迷ってしまった。四国の道と遍路道が合流して畦道のような細い道を歩いていると新しい太い車道に出た。
付近には標識も遍路札も見当たらない。若干の危惧はあったが新しい太い道を選んだ。
変だな 変だな と思いながらも1kくらい歩いた所で道が突然無くなってしまった。
その先には細い道も無い。あったのは高速道路だった。
今歩いてきた道はその高速道路の工事用の道路だったのだろう。

 迷った地点まで戻り再度注意深く見ると、畦道が新しい道路で中断した先に細い道がある。
ためしに少し歩くと何のことはない四国の道の標識があった。
後で考えても何故新しい道を行ってしまったのか理解できない。
気持ちが浮き立ってしまっていて判断力が散漫になっているのだろう。注意!注意!

 道は歩きやすい草の道になった。土が軟らかく更に草がクッションになるのか足に優しい道だ。
道幅は広く車がすれ違い出来るくらいあるが、歩行者専用になっていて東屋風の休憩所もある。
今日の予定はこの歩きやすい道と別れて、また車道を歩き1番に行く卯辰越を考えているのだが・・・

 卯辰越の道を選んだ訳は簡単で、直接1番に着けば四国を完全に一周したことになると考えたからだ。
他の道は10番から1番。3番から1番が重なってしまい真円にならず面白くないと思っていた。
しかしこの3番に出る歩きやすい山道は魅力だった。
最近短くなったと感じる金剛杖の長さを測ってみたいが、それには杖を購入した2番極楽寺に行く必要がある。
なら直接1番に向かうのではなく、3番に出てから1番に向かえば2番は途中にある。
そうだ! そうしよう! 簡単に真円の事は忘れ、柔らかな道で3番に抜ける道を選んでしまった。

 山道が終わる頃あった階段は、狭く急な階段が何段も続いていて下を見るのが怖いくらいだ。
その階段の途中で蛇が横切るのを見つけた。蛇が嫌いな私はゾク!と身震いをしながらも見つめてしまった。
遍路の本に“マムシ”と何度も書いてあったが、これはマムシではなさそうだ。長さも長い、きっと青大将だと思う。
考えてみると四国で遍路を始めてから、生き物に会ったのは足摺岬のカラスの集団くらいのものだ。
四国には野生動物が少ないのだろうか。

 実はここに来る前の秩父遍路では珍しい体験をした。
26番の奥の院から27番に向かう尾根道で猿の集団に出会ってしまったのだ。
そこは尾根の樹木を伐採した跡で、大きい木も実のなるような木も無い所だ。
そこに猿たちは切り株の上や草の上に三々五々座り込んでいた。
20匹位居ただろうか? 数を数える余裕も無くただ困惑して私は立ちすくんでいた。

 今まで野猿の群れは伊豆の波勝崎と長野の地獄谷で見たことはある。
波勝崎の猿は温暖な伊豆に住んでいながら獰猛で、観光客の隙を見ては手に持っている物を掠め取っていく。
数が多く餌が足りないのだろうか。
その点地獄谷の猿は雪国で自然環境は厳しいのに穏やかで、温泉に浸かり真っ赤になった顔を露天風呂の脇で
冷ましている。回りの観光客などまるで意識していないようだった。

 それらの猿はどちらも野猿とは言え餌付けされた猿で、ここの純野生猿で、しかも私が一人となると話は違う。
5分も経っただろうか猿は一向に動く気配が無い。決して私を無視しているのでなく注意深い観察しているようだ。
進むべきか進まざるべきかハムレットの心境になった。
この猿が波勝崎のような猿なら退却して、地獄谷のような猿なら前進するのだが・・・・・・
 “思案六筒へぼの考え休むに似たり” だったが、どうやらここの猿は地獄谷系らしく威嚇する事はなかった。
よしそれなら少しづつ進んでみよう。幸いな事に山道には猿は座っていない。
少しずつ少しづつ前進を開始するが猿に動きは無い。停まらず急がずゆっくり少しずつ前進を続けて、ようやく
猿の群れから脱出できた。

 麓の札所で 「猿の群れに会って怖かった。 」と言うと 「群れで良かった。離れ猿は獰猛で怖い。」 と、簡単に聞き
流されてしまった。と、秩父ではこんな事もあったのだが、四国の動物はこの蛇でお終いだった。

 海岸沿いに国道と一緒に走っていた鉄道が、こんな山の中も走っている。などと驚いたりしているうちに、道は
1日目に歩いた遍路道に出たらしい。
らしいと言うのはこの道に覚えが無いのだ。遍路札もあるので間違いは無いと思うのだが、わずか36日前に歩いた
道を思い出せないのだ。これではとても逆打ちは出来ないだろう。

 何度か道に迷いはしたが、心の底では道に対しての方向感覚は鋭いと自負していたのに、なんとも情けない。
3番の入口に来ても思い出さない。結局2番に来るまで知らない道を歩いているようだった。

 2番の極楽寺に着くと直接売店に向かった。
 「済みません。行きにここで金剛杖を買った者ですが新しい杖を見せて下さい。」 女主人に言った。
短くなった杖を見た女主人は 「うちではそんな短い杖は売っていませんよ」 と、警戒をあらわに言う。
 「いえそうではなく、この杖のお陰で何とか結願できて、お礼参り行く途中です。きっとこの杖の減った分だけ私の
足や膝は負担が少なくて済んだと思うのです。短くなれば短くなっただけ杖への感謝が増えこそすれ、文句を言いに
来たのではありません。」
初めは警戒していた女主人も、途中から理由を分かってくれて協力的になってくれた。
奥から同じ模様の金剛杖を持ってきて 「それにしても短くなったものだね。この杖は硬くて丈夫なはずなのに」
言いながらスケールを取り出して杖を並べて測ってくれた。
 「なんと16.5cmも短くなっているよ。」 女主人は驚いた声を出した。

16.5cm。これが34日間で結願を迎える事の出来た最大の理由だろう。
この杖が無ければ、そしてこの杖を有意義に使うことが出来なかったなら、まだきっとどこかを歩いているだろう。
この短くなった分が私の足腰を助けてくれたのだ。
平地や上りでは加速を増し、下りでは衝撃の緩和となる。弱点だった下りの膝の痛みも一度も味合わないで済んだ。
これもこの16.55cmのおかげなのだ。有難うございました。

この金剛杖に愛着を感じた。この杖は必ず棺桶に入れてもらい冥土の旅も一緒に行ってもらおう。

 女主人は中々の商売人で、私が今晩の宿を予約していないと知ると
 「荷物は預かっておくから、1番にお参りしてくればよい」 と荷物をさっさと片付けた。
私もこれから宿を探すのも億劫なので、その進めに従い荷物を預け空荷で1番に向かった。
1番と2番の道は出発の時に一往復半も歩き今回で4回目だったので、さすが道は覚えていた。

 1番ではお参りを済ませたあと納経所に行くと
 「ご苦労様でした。出発のとき記入した帳面に今日の日にちを記入して下さい」 とノートを持ってきた。
訳も分からずノートを見ると出発した月日と遍路の名前、それにお礼参りに来た月日が記入してあった。

 「私は納経帳を道路側の売店で買ったけど、何も言われなかったので書いてない」 と少々苦情めいた声を
出してしまった。
自分の出発した3月13日を見ると何人かの署名がある。しかしまだお礼参りの日付は入っていない。
まだ誰も戻っていないのだとチョト鼻が高くなる。
だが出発が3月13日以降の日付なのに、すでにお礼参りの日付が記入されたのもあった。
なんだか少し残念だがホットした感じもした。
ただ歩くだけで四国を味わっていないと言われることに抵抗を感じる私がそこにはいた。

 インターネットや25番のお寺で1番の悪口を言っているが、そうだろうか。
物の値段が高いか安いか分からないが、このようなノートを作ってあるのはここ1番だけだった。

 「遍路が出発する寺は1番でなくてもいい」 と25番の僧は言う。
だが25番を出発して25番にお礼参りをしたらこんなサービスがあるのか、疑問だ。
いや25番ではお礼参りは出発した寺でなく、高野山に行けばよいとも言っていた。
これも遍路の心を理解してない発言だと思う。

出発地から出発地に戻り達成感を味合う遍路は多いと思う。更に歩きたい者はそのまままた歩き続ける。
この無限の円周運動も四国88ヶ所の魅力の一つだと思うのだが・・・・・

 ノートを眺めていると納経所の人がお盆にお茶と和菓子を入れて持ってきてくれて
 「ご苦労さまでした。結願したお遍路さんはどうぞ召し上がって下さい」 とお接待してくれる。
ノートも最後の行に記入しても良いと言ってくれたので
4月16日の行に 「出発3月13日、到着4月16日」 と記入させてもらいました。

 歩き出して35日ようやく1番に戻って来たのだが期待していた感激は無い。
自分がクールなのかと思うが、なら車遍路の時の88番で味わったあの感激は何だったのだろうか。
自分の感情を理解できないもどかしさを感じてしまう。

 今日の宿、2番に向かう道はのんびりとしたものだった。
先への不安感は無く、肩の荷も無い。16.5cmのお陰で足も痛くない。
結願した感激は少なかったが1200kmを一日も休まず歩き通した事実は残った。

この事実がこれからの私の人生の自信にきっとなってくれるだろう。

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