はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

城ロマン:大崩山塊城廻り(芹ヶ谷峠)

2017-12-20 11:51:05 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-12-2(土)
歩行時間:6時間55分   休憩時間:1時間20分   延時間:8時間15分
出発時刻:7時30分     到着時刻:15時45分
歩  数: 21、685歩(推定距離15.4km)    GPS距離km
行程表
 用宗駅 0:25> 赤坂峠 0:30> 石部立坑換気所 0:35> 赤坂峠 0:30> 御所の前 0:45> 尾根道合流 0:35> 
芹ヶ谷峠  0:35> 222m峰 1:10> 誓願寺 0:25> 丸子城跡 0:25> 匠宿 1:00> 安倍川駅

 
                  熊野神社                                  御所の前

  赤坂峠の標識にあった熊野神社です。神社前にある案内板は市の天然記念物になっている銀杏の木の事だけで、神社の説明は
ありません。急に上に行く気も無くなり、鳥居の下の一礼で済ませてしまいました。

  御所の前は日本武尊が東征の折に小坂で滞在した館があった所だそうです。
今日はここから農道に入り朝鮮岩のある稜線入口に向かいます。

 
                城山(持舟城址)                               目の毒です

  標高が少し上がってくると持舟城があった城山が見えてきます。
以前朝鮮岩に持舟城の攻防戦の案内がありました。
 「天正年間(1573-91)用宗の城が攻められし時、この岩の上に幕を張り陣取りして城を見下し鉄砲を撃ちしより、城中たまりかねて
落ちたりといひ依う(駿河国新風土記)」

天正年間の持舟城の戦いとなると徳川軍が用宗城を攻めた時なので、徳川の射撃手が朝鮮岩から火縄銃を打ち込んだのだろう。
しかし朝鮮岩から持舟城趾は直線で2km弱あります。果たして火縄銃の弾丸が届いたのでしょうか。
マー殺傷能力は無いとしても、城内に着弾すれば守備兵は驚いたに違いありません。それなのに “城中たまりかねて落ちたりと
いひ依う” 本当かなぁ~

  農道にはみ出して蜜柑がなっています。公徳心の薄い私には、とっても目の毒な眺めです。

 
                朝鮮岩入口                                 獣防止の柵

  農道から朝鮮岩の稜線に出るには、農道の登り坂の途中から入らなければならないので気にしていました。
写真左のモノラックの開始点の先に見える階段が入口ですが、以前と違って階段の上には獣除けのネットが張られていて、その
扉が設置されていました。これなら見落とす恐れはありません。

 
                縦走路合流                                 又もや藪だ

  以前は踏み跡が何条もあった森の中も今はハッキリした道が尾根まで続いています。この道を利用すれば日本坂峠から満観峰、
丸子富士、朝鮮岩の周回コースを歩けます。
モノラックは農道の山道入口にあったレールで稜線の茶畑まで続いています。それにしてもここのレールは赤錆で触れば手も服も
赤くなってしまいそうで近づけません。換気所のレールとは随分違います。

  稜線には農業用索道があるのですが、その向きが北の丸子方面に下っています。モノラックは南の小坂に下っているのだから
向きが逆です。今は使われていないが、一体何を何処へ運んでいたのだろう。

  今日は換気所と芹ヶ谷峠近くの高台からの景観を確認する事と、ここの小坂分岐から芹ヶ谷峠下にある小野寺分岐に通じる道も
確認したいと思っていた。今日は更にもう1ヶ所調べる予定の所もあるが、それは現地にってからの案内としましょう。

  御所分岐から小野寺分岐への道は安倍山系(下)の満観峰にも部分的に 「藪っぽい」 と紹介されている道だが、まだ歩いた事は
なかった。今日は朝鮮岩には寄らなのでこの道を歩いた方が高低差も無く距離も短そうです。

        

  御所分岐から見えていた藪の手前に行くが藪を踏み分けて歩いた気配は無いので、付近を行ったり来たりしたが、徐々に藪の
中に入る熱は醒め “次回小野寺分岐から歩こう” と妥協してしまった。
では朝鮮岩と芹ヶ谷峠の分岐のある330m峰に向おうと、御所分岐に戻れば良いものを藪を突っ切って林に入って行った。

        
               いい道に出た                          丸子赤目ヶ谷方面か

  林に入るとしっかり踏み込まれている道に出て “この道は?” と考えていると、右の上の方から30人くらいの女学生の集団が
下ってきた。だが私の立っている所は通らず、そのまま満観峰に向かって歩いて行く。
彼女たちの歩いていた道は330m峰から下ってきた道とすると、この道は何処へ行く道だろう? ここには330m峰の巻道もあるが、
それは300m峰から下る道の右側を巻いている。なのにこの道は左側だ。
ならこの道は少々立派過ぎるが小野寺分岐への道でしかない。と、これ幸いにと進む事にした。

 
               芹ヶ谷峠分岐                                小野薬師寺分岐

  途中に2ヶ所の分岐や左に丸子方面が見える場所もあり、間違いなく初めて歩く道だと意を強くして進んでいった。
傾斜が増してきて変だと思い出したころで前方に見た事のなる標識が建っていた。
何と!何と! そこは330mの朝鮮岩と芹ヶ谷峠の分岐でした。
もうこうなると頭の方向感覚はパニック状態で、何が何だか分からない状態になってしまった。
今歩いて来た道が過去10回以上は歩いている満観峰と朝鮮岩の道なのか?
では何故女学生は違う道を上から下りて来た事になるが、巻道はあんな上から下ってこない。ではどの道を下ってきたのか?
いくら考えても納得できない。戻って確認すれば良かったものの、その時はそれすら思いつかず “今度確認に来よう” と前に行く事に。

  先程の道より薄いがそれでもハッキリした道を下り、ここも見慣れた小野寺と芹が谷峠の分岐に出た。
御所分岐に向かう筈だと以前から思っていた場所には、薄くなっているが踏み跡はありました。
次回はここから御所分岐に向かい、今分からなくなった道を確認することにします。

 
                  狐の大群                                   祈 念力

 分岐の少し上にある送電線23号塔の横を通り登って行くと、摩訶不思議な石塔群のある場所に出ます。
小さな狐の大群は捨ててあるのでしょうか? 祀ってあるのでしょうか?
 「祈 念力」 の石碑の前には2匹の狐とサイコロでしょうか、 “五” の目が出ています。
他にも「平和竜神」「竜巻明神」「八紘大龍神」「大和姫命」「大雄魂」 そうそう 「導稲荷」 なんと石碑もあります。

 
                  至誠通天                                芹ヶ谷峠

  石碑には 「人生相談五十年 至誠通天伸光社」 もあるのでこの宣伝のためだろうか? 尤もこれでは逆効果だろうが。
 「至誠通天」 の意味を調べてみると 「誠を尽くせば、願いは天に通じる」 という意味で、吉田松陰の言葉だそうです。
その石碑の奥には何ともいかがわしい形の物も見えています。本当に何なんでしょう、この石塔群は。

  峠と呼べども307m峰の上にあり三角点もあります。久し振りに 「点の記」 を覗いてみました。
 「点名:丸子宿1 自動車到達地点:丸子橋より東500m沢川下橋、これより農道を南へ約1.3km農道待避所 歩道状況:鉄塔巡視道
 (巾約0.8m) 徒歩時間:約30分(約450m) 三角点周囲の状況:桧林、石碑、芹ヶ野峠」
 等々結構細かく書いてあります。
周囲の状況欄に芹ヶ谷峠の事を “芹ヶ野峠” と書いてあるのは単なる誤記のようで、点の記の図には “芹ヶ谷峠” となっています。
点名の “丸子宿1” の “1” も気になります。1があれば2もある筈と調べてみると、芹ヶ谷峠から丸子宿を挟んだ北にある徳願寺尾根の
梵天山の山頂の三角点がそうでした。因みに丸子宿内にある沢川下橋袂の三角点は 「丸子西」 でした。
私が調査官なら、沢川下橋袂を “丸子宿” 、芹ヶ谷峠を “芹ヶ谷峠” か “丸子南” にして、梵天山の三角点は “梵天山” か “丸子北” と
命名したいと思います。

 
          221m峰のアンテナが見える                          221m峰の西側は採石場

  峠からの林を出るとそこは猪の運動場かと思えるくらいススキなどの背の高い草が倒されていた。これでは初めて来た人はどっちに
向かってよいか分からないだろう。でも私は大丈夫過去何回も歩いているので。
今日は農道待避所下にある巡視路入口(登山口)に向かわず、尾根伝いに221m峰を直接目指そうと思っている。
しかし最初は同じ道を下るのだが余りの背の高い雑草が多く、途中で正規の道も分からなくなってしまった。
でも今日は尾根伝いに行くのだからと、左に寄りの稜線沿いに北に向かうと前方に目的地のアンテナが見えてきた。

 
           フ~完全な蔦の細道だ                             人か獣の踏み跡

  アンテナが見えているので先程のように歩行感覚が狂ったとしてもどうと云う事はないが、ススキなどの上に葛が生茂り まさに
蔦の細道状態になっているのにはイササカ参りました。
藪漕ぎにも色々あるが、この蔦を踏み分けるのも中々大変で、体で押し切れるうちは良いが、蔦が何本か集まると私の力では押し
切れなくなってくる。仕方なく蔦を下げてその上を歩くのだが、これが中々大変で老いた体力は急激に消耗してきます。
以前放置茶畑に蔓延した蔦を越えたが、その時は30mを越えるのに30分以上もかかり体力を消耗しきった事もある。
今日はそれ程でもなかったので何とか進む事ができました。

  蔦の攻撃が済むと今度は又もやススキ類の攻撃だ。蔦より始末が良いが背の高いススキなどを踏み分けるのも中々大変です。

 
           採石所跡の太陽光発電                              もう諦めました。

  稜線に近づき過ぎて採石場の上に出てしまいました。写真では緩やかの見える斜面も実際はもっと傾斜がきつく、落ちたら怪我を
する事は請け負いです。クワバラ! クワバラ! と慌てて稜線から離れました。
雑草の少なそうな所を選びながら進んだのですが、茨状の枝が出たきたので稜線伝いは諦めます。

 
              林の下に林道が                               221m峰直下だった

  下の植林の林に入ってしまえば稜線に比べ全然歩き易い道です。イエ間違い。道はありません。ただ林の中です。
ですが驚いたことに林の下に待望の舗装道路が見えています。あれは芹ヶ谷峠の入口からアンテナの高台に向かっていた農道に
違いない。意気揚々と農道に飛び降りました。

  そして農道を少し登ると、その上には目的地の221m峰の高台が見えていました。

 
                  谷津山方面                               日本平方面

  221m峰から見る景色は期待を裏切らない眺めだったが、何故か写真の写りが悪く、白っぽい平面的な写真になってしまった。
多分これは腕やカメラのせいでもあるが天候のせいでもありそうだ。それなら富士山が見えるときにもう一度来るのも悪くない。
写真を拡大すると清水港のキリン(クレーン)が4頭も写っていたのには驚きました。
そんな訳でここからの写真は、今回の写真では見る人に感激を伝えそうもないので次回紹介します。



  以前芹ヶ谷峠の入口で農家の人が 「昔は大日如来の所から、アンテナのある高台まで歩いていた。」 と聞いたことがある。
なので今日は221m峰のアンテナの高台から大日如来のある高台まで歩いてみる事にします。
昔はよく歩いていた道らしいので、先程の蔦の細道みたいな苦労は無いだろうと予想していますが。

  大日如来とは丸子二軒屋に入口のある農道に入り、途中にある “元宿山 大日如来 登り口 ” の看板からミカン畑の中を登った
高台に大日如来を祀った小さな祠が大木の下にあります。ベンチも設けられていて丸子歩面が良く見える所です。

 
               無舗装の道は続いていた                        無舗装の道は途絶えた

  221mの高台から北に向かう農道は舗装は終っていたが道は続いていた。だがその道もじきに終わると山道が始まる。

 
               多分踏み跡だろう                               茶畑の柵

  ここからは雰囲気的に稜線の右寄りを進みたいのだが、右側は茶畑があり獣除けの柵がしてある。仕方なく柵の左を下ると
水仙群落がありその先が踏み跡らしくなっていた。シメタとばかり分け入ったがその先は急な斜面になっていた。
下れない事はないがそんなに左側を下ってしまっては大日如来に行く事ができないと引き返す事に。
本当なら茶畑を越して右に出たいのだが柵が邪魔をして行く事ができない。仕方なく柵の左横を進むが徐々に木等が邪魔をして
進みずらくなる。そうなれば柵を越えるしかないが、この柵は細い鉄骨でできているので乗ると壊れそうだ。
柵を壊したり倒したりしたら困るので、しばし考えた後で木のある所で木に体重を掛けるようして恐る恐る乗り越える事にした。

 
            振り返れば採石場が見えた                           レールの横を下る

  無事乗り越えた茶畑の中で今来た南の方角を見れば採石場が見えていた。こちらから見れば稜線の下は絶壁に見えている。
あの境を歩いて来たのかと思うとなんとなく嬉しくなった。後ろに見える三角形のピークは芹ヶ谷峠の307m峰でしょうか。

  大崩山塊にはハイキングコース以外にも多数の踏み跡程度のコースがあるが、中には余り必要性を感じない道もある。
それなら芹ヶ谷峠から直接221m峰に繋がるルートはどうだろう。更に221m峰から大日如来に通じる道ができれば利用者はいると
思うのだが。道づくりの名人・岡部のSさんが造ってくれないだろうかな。

  茶畑の右に行ってみたが、ここも細い鉄骨の柵が続いていて体重を逸らす木も無い。
これでは駄目だ越せそうにない。と今度はミカン畑になった畑の中を下る。この時点で大日如来は諦めました。

 
              農道が見えた                                   農道の分岐

  柵を乗り越え畑の中を5分も下ると農道が見えてきた。もうこれで大日如来は100%諦めです。
合流した農道は西が上りで東が下りになっている。それならこの農道は支線で西は行止りだろうと東に下った。
ピンポン! 当たりです。分岐がありました。今度は西に下る道が丸子城址のある二軒屋への道だろう。

 
             国1と旧国1の合流部                              農道終点

  農道の下には二軒屋の国1と旧国1の合流部が見えていた。二軒屋はもうすぐです。

アレー車が道の真ん中に停まっていると思ったら農道はそこで終っていた。間違いでしたこの農道も支線で二軒屋に続くメインの
農道はもう1本下でした。
この時は農道先は見ないで引き返したが、後で地図を見ると二軒屋に下る道が書いてあった。残念!

 
              又もや農道の分岐                                 農道大日如来入口

  農道を引き返し先程下ってきた農道分岐を直進すると、程なくしてまた分岐が見えてきました。
何やら見覚えのある雰囲気です。それもそのはずで、何年か前に登った大日如来の入口でした。
しかし待ってください、入口の階段にはトタン板を被せ鉄のレールを何本か置いて登れないようにしてある。試しにトタンを動かしたが
レールの重みで動かない。若しここに下ってきたらどうしただろう。飛び降りるとしても今の私には出来そうもない高さだ。
踏み跡を見失い、ここに来なかったのは大日如来のお陰なのだと感謝すべきなのだろうか。

  考えてみれば畑の持主としては、知らない人にミカン畑の中を歩いて欲しくないだろう。ここを歩く人の10人が10人、公徳心が
高いとは思えない。中には私のような不心得者もいないとは限らない。なので農家の人が通行止めにする気持ちもわかります。
でも通行止はせめて蜜柑の収穫時期だけにして欲しいな。

 
                丸子城址か                                 二軒屋大日如来入口

  高度はグンと下がり北の方角には丸子城址らしき山が見てきた。丸子城趾は “三角山” に築城したと、何かで読んだ気がするが
あの三角の高台がそうだろうか、チョッと自信が無い。

  やっと旧東海道に辿りついた。農道の入口にはさっき見たと同じ “元宿山 大日如来 登り口” の看板が出ていた。
まさかこの看板を見て大日如来に行く人はいないと思うが、矢張り “現在通行止” 等の表示が必要ではないかな。

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4 コメント

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Unknown (itta)
2017-12-23 09:34:42
これは大変な山行ですね。
3000m近い夏のアルプス稜線を歩くよりも
よっぽど骨が折れるし、スリリングだと思います(笑

紹介されていた狐の群れは、一度見てみたいです。
誰もいない山中で、突然あんなところに出たら
まったく狐につままれたような気持ちになりそうです。
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Unknown (松理)
2017-12-23 13:05:39
> 林に入るとしっかり踏み込まれている道に出て “この道は?” と考えていると
『安倍山系』の満観峰の※3の道に出たと思います。30人くらいの女学生の集団は,①を通ったと思います。
返信する
ittaさん (hagure)
2017-12-24 10:26:48
大変な山行かどうかは歩く人の能力で大きく変わります。
ittaさんがここを歩いたなら散歩のようなものでしょう。

芹ヶ谷峠の狐の群れは、確かに “狐につままれたような” 感じです。
しかしどうせ見るなら狐ではなく羊の群れを見てみたいものです。
返信する
松理さん (はぐれ)
2017-12-24 10:37:19
当初は『安倍山系』の⑥を歩く予定でしたが止めました。
その後、分かっているのは330越えから⑤で芹ヶ谷峠に向かった事です。
しかし330越えまでどの道を歩いたか分からなくなりました。
女学生が下ったのは①だと私も思うのですが、※3の道が分かりません。
朝鮮岩から1G地点には巻道がありますが、それは※3と反対側の筈です。
ここは何度か歩いていますが※3の道が思い出せません。
いつか確認したいと思っています。
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