はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

花倉城跡:ハイキングコース調査2

2017-07-22 11:49:55 | 低山歩き
歩行記録                                                           H28-7-15(金)
歩行時間:7時間25分   休憩時間:1時間20分   延時間:6時間25分
出発時刻:7時55分     到着時刻:14時20分
歩  数: 28、002歩(推定距離19.88km)    GPS距離19.0km
行程表
 蓮華寺池入口BS 0:35> 葉梨小学校 0:35> 上川池 0:20> 城址入口分岐 0:10> 花倉城趾入口 0:20>
 城址散策・展望地 0:10> 花倉城趾入口 0:40> 山寺BS 0:10> 藤枝霊園 0:45> 長慶寺 0:50> 蓮華寺池入口BS  

                           花倉城跡ハイキングコース概略図
       


 
              展望地からの景色                              花倉城跡裏入口

  花倉城跡から抜け出した所にある展望地は、農道と思われるが車が走った形跡はない。この農道を西に下ると鞍部になっていて
そこを北に下れば葉梨の西方や瀬戸谷の本郷を結ぶ県道81号に出る。
更に鞍部から西に登っていくと烏帽子形山と三角山の鞍部に出て、そこを下れば今川の跡目争いに敗れた玄広恵探が自刃した
瀬戸谷の普門寺に出る。多分玄広恵探はこの道を必死に逃げてにげていったのでしょう。

  ところで 「花倉城跡」 と云う名前だが、私は今まで 「花倉城址」 と書いてきた。だが今回のハイキングコースを歩いてみると、
標識や城の案内板は全て “城跡” となっていたので今回は “城跡” と書くことにした。だがこの違いは何でしょう。
色々講釈を書いたものがあるが、私が思うに “跡” は常用漢字にあり、 “址” は常用漢字に入っていない事が大きいと思う。
そのため公的機関が城の紹介をするとなると、当然常用漢字の “城跡” を使わざるを得ないので、その漢字が主流になった
のではないだろうか。
因みに静岡市内にも 「安部城跡」 と呼ぶ山があるので調べてみると、殆どが “城跡” だが、標識の中に “城址” も混じっていた。
個人的には “花倉じょうせき” より “花倉じょうし” の方が呼びやすいが大勢には逆らえない。今後は極力 “城跡” と書くようにします。

 
                  倒 木                                ハイキングコース標識

  帯曲輪の手前のハイキングコース標識の所に戻ってきました。
この標識をよく見ると 「花倉城跡ハイキングコース 烏帽子形山山頂➜」 となっています。となるとこのコースは烏帽子形山まで
延びているように思いますよね。しかし花倉城跡のハイキングコースは、この城跡から引き返す事になっています。
この標識を見た初心者のハイカーは、烏帽子形山に行ってしまうかもしれません。しかし初級の花倉城跡に対し、烏帽子形山は
上級ですので少々心配です。ここは “花倉城跡ハイキングコース” の文字は消すべきだと思います。

と、言いながら私が花倉城跡のコースを設定すると、どうしても烏帽子形山が入ってしまいます。
先ず車を新東名藤枝PAに置いて 藤枝PA - 三角山 - 烏帽子形山 - 花倉城跡 - 花倉の里 - 藤枝PA のコースか、
ゆらく線のバスの中山上で下車して 中山上バス停 - 烏帽子形山 - 花倉城跡 - 葉梨神社 - 白藤の滝 - 三ツ石バス停 が
お進めです。尤も三ツ石バス停は休日にはバスが走っていないので平日に歩くほうが良いでしょう。
このコースを4月下旬ごろ歩けば、葉梨神社近くでクマガイソウを見る事ができるかもしれませんよ。

 
                 可哀想に                                   入口の土橋

  前回も見た無残に切られかけている木がそのままになっていた。この木はこれで年月とともに切断箇所は埋まり再生するのか、
それとも樹皮の切断で栄養が上にいかず枯れるのか。気になります。

  入口の土橋に戻ってきました。この土橋は入口側から見るより、城の中側から見た方がハッキリわかります。

 
              間違いやすい分岐                                ???

  コースは城の入口からは来た道を戻り、最初の分岐を左に向かうのだが、この分岐には左右に標識は建っているものの、その
どちらの標識も左側の案内をしていない。ここは矢張りコースのチェックポイントでもある “盤脚院” の案内をするべきです

  何でしょう? 大き目な木の枝に豆の莢がぶら下がり、地面には黒い小さな豆が落ちている。見た覚えがあるような無いような。
そんな木が数本続けてあったので春に来たときに花の写真を写してないかと思ったが、残念写真は無かった。

 
              間違いやすい分岐                                ギョリンソウじゃないよね

  またしても分岐が出てきたが、ここにも標識はない。道なりに太い道を行くなら左に鋭角に曲がって下るのだが、ハイキングコースの
盤脚院は直進の細めの道を進みます。この分岐にも標識は絶対必要です。
因みに葉梨神社に行くには左へ曲る道を下った方が良いでしょう。

  何だか薄気味悪い物が生えていた。白くてヒョロヒョロっとしているので、ギョリンソウのなれの果てかと思ったがどうも違うようだ。

 
               ホタルブクロ(蛍袋)                       ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)?

  大崩山塊でよく見かけるホタルブクロは色が薄い花が多いが、ここのホタルブクロの花の色は濃かった。
更に目にも鮮やかな朱色の花は ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)らしい。
この花も日本古来の花ではなく帰化植物のようです。名前のヒオウギはアヤメ科の中で葉が広いことからつけられた名前らしいが、
これは葉が広くない。そのため頭にヒメが付いたのだろうか?
農道脇から林にかけて群生していました。

 
                  県道合流                                ゴールの山寺入口バス停

  バスの走っている県道に合流。今日はバスは走っていないと分かっているが一応ハイキングコースのゴールになっているバス停を
確認するため山寺入口まで行く。
このバス停の “山寺” とはどこの寺を指すのか興味があったが、通りには人っ子一人いない。地図で見れば近くにある寺は盤脚院だが
今その前を通り過ぎてきた。それに盤脚院は大きな寺で家康も度々立ち寄ったといわれる古刹で、とても山寺と呼べない。
地図に載っていない小さな寺があるのか、それも既に廃寺になった寺があったのか、とても興味があります。
気分的にはここをゴールにしたいがバスが走っていないのでは仕方ない。一番近そうなバス停の蓮華寺池を目指すしかない。

          
                      盤脚院                                     藤枝観音

  盤脚院の名前は、徳川家康が駿府城に隠居していた折り葉梨の里に鷹狩りに来てしばしば盤脚院に訪れたと云う。
その折に和尚と碁を楽しんだ事から 「盤脚院」 の寺号を授かったとの言伝えもあるが、実際は家康が訪ねる前から寺は盤脚院を
名乗っていたようです。ただ住職と囲碁を楽しんだのは確かなようで、住職は家康と碁を打つために駿府に隠居寺を建てたそうです。
そんな話を “駿河一国百地蔵” の遍路で訪れた、駿府の浄元寺で知りました。

  藤枝観音は平成に入ってから藤枝霊園の目玉として建てられたようです。私は本来このような形式の寺は好みではないのですが
何故かこの霊園に墓地を買ってしまいました。

  私たち夫婦は以前から古希になったら墓地を決め、喜寿になったら墓を建てようと話をしていました。ところが私の実家は日蓮宗で
妻の実家は曹洞宗ですが、現実には墓参りと法事で立ち寄るだけでどちらの宗派にも特段の親しみは感じていません。
私のブログを見ている方は “遍路が好きなのに” と思うのでしょうが、私の遍路は悲しいかな宗教心ではありません。
あくまでもウォーキングのコースとして霊場を歩き、立ち寄る札所はチェックポイントでしかないのです。
それに若干の歴史的興味と旺盛な好奇心が重なって、何ヶ所となく霊場歩きを繰り返しているにすぎません。
お陰と云うか霊場歩きをしたため般若心経等も暗唱できるようになりましたが、これとて門前の小僧より劣っています。
そのため墓地を建てるより永代供養や樹木葬、散骨に興味を感じていたのですが、妻は余り乗り気ではなかった。
そこで宗派に関係のない共同墓地ならと、たまたまビク石の帰りに寄った藤枝霊園の事を妻に話したところ、気に入ってしまい
早速契約してしまいました。なので私たちの葬儀は個人葬を予定しています。

          
                    込み合ってきた墓地                             富士山があった

  そんなわけで買った当時はチラホラしかなかった我が区画も、今は前後左右共に新しい墓が建っています。
中には富士山を彫ってある墓石もあり羨ましい限りです。
我家の墓は洋式の横型の墓石にして、表面には “ありがとう” とだけ彫って、苗字も入れないつもりでした。ただ周りの墓を見ると
同じ考えの “ありがとう” “感謝” “穏やか” “愛” などがあります。ズラズラあります
さてさてどうしたら良いだろうか、また悩みが増えてしまいました。

 
               ウワー蛇が出そうだ                           ハグロトンボ(羽黒蜻蛉)

  藤枝霊園からの車道歩きを避けて葉梨川の堤防を歩いていると、除草されていない所に出てしまった。戻るのも面倒だが、かと言って
蛇を踏んでしまいそうな草の中を歩くのも嫌だ。
不思議なもので山の中ならこの程度の草なら平気で進むのだが、選択肢のある麓の道は怖くて迷ってしまう。それでも戻って距離が
長くなるのも嫌なので草を踏み分けて進みました。お陰で苦手な蛇には遭遇しませんでした。

  以前はよく見かけたハグロトンボも最近は余り見る事が無くなってしまった。

 
          やっと長慶寺入口に戻ってきた                            長慶寺

  フ~何とか一周回って長慶寺の入口まで戻ってきた。ここからは長慶寺に寄って、またここに戻り、工事中の中田橋まで歩かなければ。
そこから先は・・・・ 行きと違ってズンズン選択肢は減ってもはや残された道は、朝歩いた道を引き返し蓮華寺池入口からバスに乗るか、
それとも藤の里トンネルを通って勝草橋に出るかのどちらだ。マーそれはもっと先で考えよう。
  「今川家ゆかりの寺」 とか 「今川家菩提寺」 「駿河今川氏三代 今川泰範菩提寺」 などの案内のある臨済宗長慶寺です。

  駿河今川家の墓所はあちこちに点在していて、そのうち何ヶ所か歩いて行ったか事があります。それを今川家の年代順並べると
一代範国(のりくに) 墓所:磐田市城之崎 福王寺
二代範氏(のりうじ) 墓所:島田市大草 慶寿寺 藤枝市花倉遍照寺  花倉城築城
三代泰範(やすのり) 墓所:藤枝市中野郷 長慶寺
六代義忠(よしただ) 墓所:菊川市高橋 正林寺 横地城・勝間田城を攻略後の帰途、塩買い坂の戦いで討死
七代氏親(うじちか) 墓所:静岡市慈悲尾 増善寺 家督争いで叔父の北条早雲(伊勢新九郎)の手助けを受ける。
九代義元(よしもと) 墓所:豊明市栄町 豊明市桶狭間古戦場  花倉城攻撃 桶狭間の戦いで死去 

個人的感想としては、長慶寺に葬られた三代泰範が、何故今川館や詰城の花倉城もあった遍照寺に葬られなかったのか疑問です。

 
           駿河今川家第三代泰範の墓所                            大原雪斎の墓所?

  長慶寺の墓地には、駿河今川家第三代泰範の五輪塔と右側には小さな無縫塔があり、その横にはまだ新しい無縫塔も建っている。
寺の案内板には 「左側の五輪塔は今川泰範の墓と伝えられています。(中略)右側の無縫塔は雪斎の墓と伝えられいます。」 とある。
これで紛らわしいのは大原雪斎の無縫塔は五輪塔横の小さな無縫塔なのか、その横に建っている新しい無縫塔なのか分からなくなる
事です。新しい方の墓碑の最初には 「開山 勅諡宝珠護国禅師」大原孚大和尚」 となっているで余計迷います。

  長慶寺に今川三代当主のや大原雪斎の墓もあるので今川ゆかりの寺だとも思う。だが今川家菩提寺の表現は私には引っかかる。
 “菩提寺とは先祖代々のお墓がある寺” と思っていたので、たまたま今川家の一人の墓地があるだけで “菩提寺” になるのでしょうか。


  長慶寺からハイキングコースを中田橋まで戻ってきた。これで調査は終ったので帰りは何処を歩いてもいい。
しかし日差しの中を歩いて来た身は、もう選択肢はなかった。藤の里トンネルを潜るのも、清水寺の上でサカキカズラ(榊葛)を確認する
気も既になく、今は一時も早く涼しい所で休みたい一心だった。そうなれば朝歩いた道を戻るしかありません。

暑い!暑い! とただそれだけを想いながら歩き終わり、やっと乗ったバスはとても涼しかったが、なぜか汗が拭いても拭いても噴き出して
きた。一体何だったのでしょうか。それでも何とか熱中症にもならず家に戻る事ができました。

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