はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

富士山村山古道(一部)2

2017-09-15 10:42:07 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-9-10(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時15分
歩  数: 26、198歩(推定距離18.59km)    GPS距離13.2km
行程表
 西臼塚駐車場 0:25> 中宮八幡堂 0:20> スカイライン 0:45> スカイライン 0:20> 高鉢遊歩道出合 0:30> 笹垢離
  1:40> 宝永山遊歩道出合 0:25> 富士宮口六合目
 富士宮口六合目 0:07> 宝永山入口 0:08> 遊歩道分岐 0:20> 御殿庭・中 0:20> 御殿庭・下(高鉢遊歩道出合)
 0:25> ガラン沢分岐 0:45> 村山古道分岐 0:10> スカイライン 0:35> スカイライン 0:20> 西臼塚駐車場

 
                  溶岩流                                     キオン

  高鉢遊歩道を越すと傾斜はきつくなり苔も姿を消した。
村山古道で唯一気になっていたのは倒木で、以前ブログの苦労話や写真を見ていたのも、ここを避けた理由の一つでした。
その倒木地が次に現れるようです。
西側の沢に溶岩流が見える。須走口コノスジ中途道の溶岩流より規模は大きそうだが、離れているので近づく気にはなれない。
苔が終えて花がチラホラ見えだしてきて、中でも鮮やかな黄色のキオンが目立った。気温ではありませんよ。黄苑です。

 
                  花 畑                                     トリカブト

  少し時期を逸した花畑の中の道に入ると、宮古の方が
 「村山古道の写真で、花畑や立ち枯れの木の向こうに富士山が見える景色を見たけど、ここですかねぇ?」 と聞かれた。
私も初めての道なので当然分からないが、山頂のある北の方向には木が生茂っているので、例え晴れていても見えるわけはない。
 「ここからじゃ山頂は見えませんよ」 と答えると 「じゃぁこの先ですかねぇ?」 と、言われても・・・・・・・・
宮古の方は私に遠慮して決して前には出なかった。花やキノコを眺めているのか、私と大分離れることもあり、初めは疲れている
のかと思ったが、離れてもすぐ追いついてくるのをみると、疲れではなく私の足が遅いので花などを見て調整しているようです。
それに気づくと余りのんびり歩くわけにもいかず、写真を写すのも普段の半分以下になってしまった。
なにしろいつもの写真撮影は立ち止まり休憩を兼ねているのですから。

  それにしても倒木地帯が出てこない。コースポイントは遊歩道出合から倒木帯を過ぎた浜垢離まで30分となっていたが
既に25分は経っている。ペースが落ちたのかな? そう云われてもこれ以上速くは歩けない。

 
               浜垢離・地蔵尊                               浜垢離・不動明王

  アレレ? 倒木帯に出ないまま浜垢離に着いてしまった。倒木は最近整理されたのだろうか? 不思議です。
浜垢離とは水垢離(みずごり)のように “はまごり” と読むのでしょうか? 分かりそうもないと思いながらも調べてみると
 「穢れを祓除する意味で、密教系の垢離(こり)の観念にも習合して水垢離、浜垢離、寒垢離などの修行形式に発展した」
で、浜垢離も一種の禊だろうが、どのように禊をするのだろうか。水垢離なら水を被り、寒垢離なら寒空の中の修行だろう。
だが浜垢離とはどうするのだろう? 有りました。有りました。浜垢離をしている所が。
静岡県磐田市見付天神の裸祭では、祭りの初めに祭りに参加する氏子の心身を清めるため、宮司を先頭に海に飛込み禊をする
事を浜垢離と称していました。
ウーン! それは分るが、ここは富士山中腹の山の中。海岸はおろか水さえも無い所だ。そこでどうやって禊をしたのだろう。
これが砂垢離なら、火山灰を体に擦り付けるなどの方法も想像できるが、浜垢離は私の妄想力でも見当がつきません。

  街道歩きや遍路歩きをしていると時々首の落ちたお地蔵さんを見かける。その理由として廃仏毀釈をあげたり、水争い等の
隣村との騒動としたものが多かった。
仏像破壊と云えば最近ではISやタリバンが仏像を破壊したニュースが流れた。これを擁護する気は更々ないが、異教の象徴を
破壊することは昔から珍しい事ではない。
だが同じ宗教の信者が、例え敵方が祀っていたにせよ自分の信じる仏像を破壊出来たのだろうか。少々信じがたいが、それを
やったのが明治維新の廃仏毀釈のようです。

  そんな目でここの仏像を見ると、左の地蔵尊の首には一度は切り離されたような線が見えるし、右の地蔵尊の首は無い。
これが廃仏毀釈の痕跡? と見る向きもあるが、単に重い頭部を支えていた細い首が折れただけとも見える。
そう思えば、今まで見た破壊された仏像の多くは地蔵尊だったのはどうしてなのだろう。
若しこの仏像が廃仏毀釈による破壊なら、何故もっと麓にある中宮八幡堂にあった地蔵尊は破壊されなかったのだろう?
ここは矢張り廃仏毀釈ではなく自然損壊と考えた方が良さそうに感じる。

と、結論を出したいのだが、よく見ると舟形の仏像の不動明王像にもひびが入っている。
ウーン! もう何だか分からなくなってしまった。

 
              終っていた花畑                                  ???

  斜面にある草原の花は既に終わっていて、所々にシロヨメナなのか白い花が見える。それと紫蘇のように長い穂の物もあるが
名前は分かりません。一番多いのは天頂部に枯れた花をボサボサ付けた物だが当然名前は分かりません。ただこの辺りには蝶の
アサギマダラが多いとブログで読んだことがあるが、若しかしてフジバカマなのだろうか。今は一匹の蝶もいませんでした。
ウーン! 夏にもう一度来てみたい。

       
                                    山頂は見えなかった

 「 アァー!」 と思わず声が出ると、後ろからも 「アーここがそうです」 と聞こえてきた。
ここが宮古の方が写真を見て感激した場所のようです。残念ながら山頂は隠れて見えませんでした。
ウーン! これじゃ必ず夏に来なければ。

 
               横渡・崩壊                                      横渡・巻き道

  沢方向に下る道がビニールテープで塞がれ貼紙があった。
 「横渡(標高2000m) 今春(2017)の土石流で押し流されました。侵食がどんどん進みます。ちょっと上流の岩棚を渡ってください。」
ビニールテープは山方向に誘導してくれ再度沢に向かうようになっていた。その下り口には沢に下る道と、沢には下りず、そのまま
直進する道があったので、直進する道が気になり眺めていると 「沢の向こう側にテープが見えますよ。」 と声が掛かる。
見れば対岸のテープは上にではなく下に延びている。下に行くのは気にくわないが先程の貼紙には 「渡る」 となっていたのだから
沢を渡るのだろう。一先ず直進する道は諦めて下ってみます。
写真は急斜面に見えますがどうと云う事はありません。水の無い沢を渡りテープに誘導され上ると、すぐ沢に下る道が塞がれた
場所に出た。成程この間が崩壊したので巻道を上に作ってくれたのか。納得はしたものの直進する道は何処に行くのでしょうネ。

         
                ???                                答え

  木の幹にUHFのアンテナのような物が取り付けてある。何だろうと近づいて見ると・・・・・・
という事は雪が降るとここまで積雪を確認に来るのだろうが大変な事だ。
ここからも下る踏み跡があったが何処に行くのでしょうね。

        
                    木耳に似ていたが                                  タマゴタケ?

 宮古の方が 「アッ! キクラゲがある。」 と地面から直接生えている黒いキノコを指してくれた。
 「キクラゲって木になるから木耳でしょ。」 と聞き返すと 「木からも岩からも地面からも出る。」 そうです。
黒いキノコの一部を折り取って 「これはゴソゴソしているからキクラゲじゃない。」 との事でした。

  次にあった天頂部が赤いキノコは最近ブログで見たタマゴタケのようだったので
 「これはタマゴタケですか?」 と聞くと 「タマゴタケは知りません。」
ならば 「タマゴタケは食べられて、最初は白い卵の殻を破る様に出てくる。」 なんてブログで見た知識を披露する。

        
                   嗚呼 玉杯に・・・・                                    お 札

  オゥ! これも格好がいい。まるで両掌を合わせてチューリップの花のようになっている。これに酒を入れて飲めば、キノコの
香りが酒に移って美酒になるかもしれない。どうせ名前は分らないのだから “玉杯” としておこう。

  狭い平地に木のお札が置いてあった。このお札は中宮八幡堂や浜垢離にもあったお札と同じで
 「八大金剛童子 不動明王 神変大菩薩 平成二十九年八月吉祥日 本山修験宗 天下泰平祈? 聖護院門跡」
聖護院と云えば “聖護院大根” で有名だが、その聖護院なのか。早速調べてみると大根もそうだったが、聖護院は修験道の
総本山で山伏の寺でした。なるほどそれで富士山にお札を納めに来たのか。納得だ。
お札を納めに来た時は山伏の格好だったのかな? それなら見てみたかった。
この場所は地形図で見ると “等覺入” か “一ノ木戸” 辺りでした。

  上から日本語でない男女の声が聞こえてきた。上は宝永山の遊歩道かなと思ったら若い白人が下ってきた。
まさかこんな所で人に会うとは、しかも外人とは驚いた。若しかして道に迷い込んだのかと思い日本語で聞いたが通じない。
それでも身振り手振りを入れた日本語のみで何とか分かったのは、
 “パーキングからバスに乗り五合目に行き、そこから山頂に行ってきてパーキングに戻る” らしい事だ。
この道を通って富士登山するのは日本人でさえ少ないのに大したものです。感心して別れたが後で気になりだした。
外人の言った “パーキング” を私は勝手に “西臼塚” と解釈したが、若しかしてシャトルバスの発着する “水ヶ塚” の事では
なかったのか。西臼塚にもバスは停まるが麓の駅からのバスで本数は少ない。そのバスを外人が利用するか?
若し何らかの事情で須山口を下って水ヶ塚駐車場に行くのを、間違って村山古道を下ってしまったら。
ウーン! 横渡ではテープに沿って行けば何とかなるとして、次の宝永山遊歩道では標識に高鉢駐車場の案内が英語でもあった。
その “PARKING” の文字を見てそちらに行ってしまわないか。
更にスカイラインを越して村山古道が大淵林道に合流する所まで行ってしまうと駐車場に向かう案内は無かった。
そのため更に古道を下ってしまったら・・・・・・・
いや大丈夫だろう。どちらに行ったとしてもスカイラインに出るのだから、そこを若い白人がウロウロしていれば誰かが声を掛けて
くれるだろう。今はそう思うしかありませんでした。

        
                 倒 木                                  倒木地帯

  倒木帯の事はすっかり忘れていたが、前方に切断された太い木が見えてきた。ここが倒木地帯? と地図で確認するが、地図に
記載された倒木地帯は間違いなく浜垢離の下になっている。腑に落ちなかったがここに倒木があったのは間違いありません。
ただ倒木の多くは切断されていて左程大変とは思いませんでした。

 
             遊歩道のロープが見えた                             宝永山遊歩道

  予定では浜垢離から宝永山の遊歩道までは約90分とみていたが、90分過ぎても遊歩道に合流しない。
疲れでペースが落ちたかもしれないが、今日は連れがいるので立ち止まり休憩を兼ねた写真撮影も少なかった。
なのにまだ遊歩道に着かないとは・・・・・・・・   事前に調べすぎると、こういう事があるので嫌いです。
それでも100分になった頃ようやく宝永山と新五合目の遊歩道に合流しました。アー疲れた。

  10年ほど前にこの遊歩道を歩いたら、村山古道との合流点に手製の標識があり “村山古道” と書いてあった。
ただその横に環境庁の名前で “ここは国立公園内です。許可のない掲示は禁止されていますので撤去してください” とあった。
当時村山古道は開発したい地元と、現状保存したい環境庁と揉めていた事もあり、こんな警告文が張り出されたのだろう。
宮古の方にそんな話と、同じように昔からの登山道の須山口は、立派な標識がある事も紹介すると
 「環境庁のお陰でこんな気持ち良い道が保存されているのですから感謝です。」 と仰る。
私の本心は標識すら禁止する環境庁を非難するものだったが、感謝の言葉を聞いて考えてしまった。
確かに標識があるお陰で私のような者でも村山古道を歩く事ができた、これが大々的に紹介され道が整備されたらどうだろう。
苔や花の中に分け入って写真を写す人も出てくるだろうし、道も自然に太く広がっていくだろう。
現にこの合流点も10年前はもっと細かったと記憶しているが、今はやけに太くなってしまっている。

  そうです私の考えは間違っていました。一般開放する道は整備して誰もが安全に歩けるようにして、保存する道からは極力
人工的な物は取り除く。そうでもしないとこれから100年200年後には、富士山の何処を歩いても火山灰がむき出しになった
幅広の道ばかりになってしまいかねない。そうしないために今生きる人が少しづつ謙虚になるべきだ。
急に優等生的になってしまったが、宮古の方の言葉を聞いて反省しました。

  現在の合流点には標識は無く、村山古道の入口からお世話になってきた貼紙が2枚です。
しかしこの貼り紙もどうでしょう、お世話になり感謝はしていますが古道の風情を壊していることは確かです。
貼紙より古道の入口付近にあった木製の標識の方が自然にマッチしていると思いました。

 
              村山古道終点                                 新六合目 雲海荘

  予定を5分オーバーした5時間5分で富士宮口新六合に到着できました。それでも到着時間は11時5分でした。
余力のある宮古の方は山頂に行きたいようでしたが、山閉いで小屋が開いてない恐れがあるので雲海荘に泊まるそうです。
私にはこれから山頂に向かう元気は無いし、1泊して明日山頂に上る自信もありません。衰えたものです、心身ともに。
さーこれからどうしよう。少し休憩してから決めましょう。

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2 コメント

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Unknown (松理)
2017-09-16 22:03:53
 ???の花は,テンニンソウです。9月にあちこちの山で見られる花です。

 私のブログで安倍山系に関することを木曜日と金曜日に再開しました。
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松理さん (はぐれ)
2017-09-17 09:53:32
テンニンソウですか。
天人草とは、、、、すぐ名前の謂れが気になってしまいます。ありがとうございました。

松理さんのブログは毎日チェックしています。
「万葉の古道」の歓昌院坂越えは、安倍川増水時の巻道だったのではないかと思っています。
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