はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

富士山村山古道(一部)1

2017-09-12 12:05:49 | 低山歩き
歩行記録                                                           H29-9-10(日)
歩行時間:7時間35分   休憩時間:1時間40分   延時間:9時間15分
出発時刻:6時00分     到着時刻:15時15分
歩  数: 26、198歩(推定距離18.59km)    GPS距離13.2km
行程表
 西臼塚駐車場 0:25> 中宮八幡堂 0:20> スカイライン 0:45> スカイライン 0:20> 高鉢遊歩道出合 0:30> 笹垢離
  1:40> 宝永山遊歩道出合 0:25> 富士宮口六合目
 富士宮口六合目 0:07> 宝永山入口 0:08> 遊歩道分岐 0:20> 御殿庭・中 0:20> 御殿庭・下(高鉢遊歩道出合)
 0:25> ガラン沢分岐 0:45> 村山古道分岐 0:10> スカイライン 0:35> スカイライン 0:20> 西臼塚駐車場

                           村山古道(一部)概略図
          

  余りに恥ずかしく情けない救急車騒動から一ヶ月以上過ぎたが、その間は一度仲間ウォークで4k程度の本のお遊びの
歩きをしただけだった。そろそろ自分好みの歩きに出かけたいが妻の目が何となく気になって仕方ない。
そんな時、島田ハイキングクラブ(SHC)の機関誌に 「村山古道」 が特集されていた。
ウン! 此処なら妻に 「富士山の麓の登山道で樹林の中の道なので熱中症の危険はない。」 と言える。
それとSHCに機関誌の返礼のメールをしたところ、参考にと地形図を2枚も送られてきた。(概略図もそうです)
これで気持は決まり何とか妻をだまして説得して出かける事にしました。

  以前海から富士山を初めて歩くときに村山古道を色々調べたが、
 ・海から宿泊できる場所まで1日で行けない。
 ・村山古道は荒れていて道の不明な所が多い。 等の支障がでて断念していた。
その時は調べていて知った 「須山登山道」 は、ハイキングコースになっていて道が分かり易く、しかも途中の水ヶ塚には
1日1本路線バスも走っている事を知りました。
そこで初回の 「海から富士山」 は、田子の浦から十里木に行き、そこから須山口登山歩道で水ヶ塚まで行って、その日は
路線バスで帰ります。
そして翌日早朝に車で水ヶ塚まで行き、そこから山頂に登り、帰りは富士宮五合目からバスで水ヶ塚に戻ってきました。
翌年からは海から一気に六合目まで歩いて宿泊して、翌日山頂を往復するようにしました。

  そんなわけで村山古道自体は歩いた事はないが、何となく色々な情報を耳にして自分でも大丈夫との自信はありました。
ただ村山浅間神社を出発地にすると、帰りのバスの便が無いのがネックで、今まで歩いていませんでした。
それがSHCの機関誌には、富士山スカイライン脇にある “西臼塚駐車場” を出発地にしたコースが紹介されていました。
これなら私でも十分歩けるそうだし、夏山シーズン中の10日までなら五合目から西臼塚までのバスもある。
しかしそれは最悪の時で、私でも往復できるかもしれないと計画をたてました。

  そこで立てた計画は、西臼塚から村山古道を新六合まで行き、帰りは須山口登山道を下り、途中の御殿庭下から村山古道に
戻るコースでした。所要時間は上り5時間、下り3時間半位として計8時間半の予定です。
ゴールは明るい3時頃にしたいとなると、遅くても6時過ぎにはスタートしたい。と、なると家から西臼塚まで高速を使えば2時間は
掛からないので、家を4時頃に出ればよい。と準備万端です。

 
             西臼塚駐車場入口                               駐車場の中の南北の道

  夜布団に入ると予想外の事が事が起こりました。最近の天気予報は当たらないと思っていても、どうしても頼りにします。
10日の予報は、晴れ時々曇りで降水確率は10%でした。それが21時ごろから降り出した雨は10時過ぎには本降りになり、
夜中には土砂降りになってしまった。
こうなると明日の事が気になり熟睡できなかったが、雨が2時頃に小降りにると私もいつしか寝入ってしまいました。
それでも雨が気になり早く目覚めてTVのデータ情報を見ると、昨夜は中部地方に大雨情報は出ていたが東部には出ていない。
しかも今日の天気は晴一色で雨の降る気配はない。こうならばもう行くしかない。

  家を4時10分ごろ出て駐車場に5時50分と全て予定通りでした。
気を良くしてザックを背負ったものの、駐車場が広すぎて村山古道の入口が分からない。兎も角案内板をと確認したが村山古道の
表示はない。ただ今回はSHCのイラストマップと地形図があるので、古道は駐車場から東に延びているのは分かっている。
そこで駐車場の東にある南北に延びる道を下から北に向かうと、オッ!それらしき入口がありました。
ロープで遮られた先の山道の標識には “山の村方面” と書いてあります。
いやこの道ではない。地形図には 「大淵林道」 と書いてあるのだから、山道ではなく林道の筈だ。とこの道はパス。

 
             大淵林道入口                                      富士塚?

  更に南北の道の突き当りまで行くと右側に道を遮断しているゲートが見えた。近づいてみると 「大淵林道」 と書いてある。
これで無事スタートです。初めてのコースは入口が分からない事が多いが、今回はSHCさんのお陰で無事クリヤできた。

  農道に入って10分も行くと広場に土を高く盛り上げた所があった。オッ! これは若しかして富士塚を作成中か?
そんな事はないだろうが土盛りの上に富士山が見えれば富士塚にもなり得る。だが今朝はどんよりした曇りで確認はできません。

 
             沢を横断する林道                                村山古道入口

  富士山に向うと云うのに林道は下り勾配で、いつものように地図も持ってなければ、不安に駆られて間違ったと悩むところだが、
今日は心強い味方があるので安心して歩く事ができた。
林道が沢を横断する場所を過ぎ、何気なく左側に目をやると標識と貼紙が目に入った。標識に 「村山道」 、紙には 「村山古道
登山口」
と書いてある。成程ここが村山古道の入口か。駐車場を出て15分ほどの所だった。
林道の右側には標識は無いが山道が続いている。ここを下れば村山浅間神社なのだろう。いつかは歩きに来よう。

 
               沢状の道                                   沢の道を出る

  古道を戻る感じで上ると、先程横断した沢の少し上に出た。林道経由なら太い沢を遡った方が早いだろうが、浅間神社から続く
村山古道なのだから矢張り標識の所から入った方が良い。
 沢を渡ると道は狭い沢状の中の道になり、途中に沢を横断する踏み跡は何ヶ所かあったが無視をして沢の道を進む。
10分程行くと道は沢と離れ右に伸びている。昨夜焼津では土砂降りだったがこの辺りは余り降らなかったようだ。
沢に水は無いし、草も余り濡れていない。内心心配した今日の天気も大丈夫そうでホッとした。

          
                         中宮八幡堂                                 祠

  沢を離れるとすぐ草の広場に出たが、そこが 「中宮八幡堂」 で、昔の馬返しのようです。
馬返しとは昔はここまでは馬に乗ってこれるが、ここからは馬を降りて歩いて行かなければならなかった所です。
でもその馬返しの場所に以前から疑問を感じていた。
例えば “箱根八里は馬でも越すが” と歌われた箱根山は、旅人は馬に揺られて鉾根峠を越す事ができた。それなのに富士山の
馬返しは、御殿場口も須走口もまだ傾斜の緩い麓にある。

  半世紀以上前に一夏富士山の馬方家業を経験した私は、毎日御殿場口太郎坊(バスの終点より下)から、七合八勺の避難小屋
までを往復をしていた。
それなのにこんな低い場所で馬を返す理由が分からなかったが、ここに来てアッそうかと何となく納得できた。
ここ中宮八幡堂には、今川氏輝(義元の子)が創建した八幡大菩薩が祀られている。要は寺社仏閣です。
昔は寺社の境内に入るときは、貴人と言えども馬から下りたという。それならばここも・・・・・・・・・
いえ違います。八幡堂もさる事ながら、富士山の聖域がここから始まるとして、乗っていた馬から下りて、馬は麓に返したのでは
ないのでしょうか。果たして今日の妄想的歴史観は合っているのかな?
いかし今川氏輝が、何故浅間神社の御祭神の木花咲耶姫でなく、八幡大菩薩を祀ったのか疑問ですが。

          
               地蔵尊                                  八幡堂境内

  祠の横に苔むした地蔵が安置されている。神社に石仏? 妙な取り合わせだが、八幡宮ではなく八幡堂とされているこの
場所ではあり得る事なのだろう。廃仏毀釈ではなく神仏混交の名残なのでしょうか。

  村山古道は祠から一旦戻り、写真左にある2本目の木の村山道の貼紙に従って下ります。

 
                  渡 渉                                     水無川

  境内から道は急に下り水の枯れた沢を渡る。
若しかしてこの沢があったので、その手前が馬返しになったのかと、さっきの説に自信が無くなってしまった。
今日は水が無いことに感謝です。

          
                           苔の道                                  苔ワールド

  沢を渡ると辺りの様相は一変して苔ワ-ルドの世界に突入です。
隣にある須山口にも苔を見ることができるが、そこよりも桁違いの規模です。

 
                 苔ワールド                                  ギンリョウソウ

  土や岩だけでなく倒木や立ち枯れの木も苔に覆われています。
ウッ! ギンリョウソウか? 4月ごろから咲いているギンリョウソウだが、標高が高いこの辺りはまだ残っていた。
草の中のギンリョウソウより、苔の中のギンリョウソウの方が似合っている感じです。

 
               スカイライン横断                                古道入口

  苔ワールドにドップリ浸かり、瞬く間に1本目の富士山スカイラインの横断カ所に着いてしまった。
このような場所は次の入口が分かり難い場所があると心配していたが、スカイラインの先には標識と貼紙が見ていた。
タイムをメモしていると車道を登ってくる登山者がいた。何処に行くのだろうと見ていると、その人を私を同じように見ている。
 「何処に行くのですか?」 と聞いてみると
 「海から歩いてきて今日は六合目に泊まって、明日は山頂に行く予定です。」 と言う。
海から富士山? それなら何故村山古道を歩かないのだろう。道が分からないのかな。
 「村山古道を歩かないのですか」
 「本当は村山古道を歩きたかったのですが、富士市役所に聞いたら、村山古道は歩く人が少なく道も明確でないと聞いたので
車道を五合目まで行くことにしました。」

マー役所に聞けば正規の道でない村山古道を案内できるわけも無いだろう。そこで一応私も今回初めて村山古道を歩く事と、
足が遅いことを告げて、良ければ村山古道を一緒に歩きませんかと聞くと
 「是非お願いします。今日は六合目までなのでユックリ歩きたいと思っていました。」 という事で六合目までの仲間ができました。

  スカイラインを越してからの道も苔はあり、同行した人は 「凄い!凄い! 良かった!良かった!」 の連発でした。
これでさっきの苔ワ-ルドを見たら何と言っただろう。それにしても喜んでくれてよかった。

          
                    2本目スカイライン横断                             マムシグサ

  2本目のスカイラインを通過。低山に多いマムシグサの実が半分赤く色づいていた。
すこしガスってきたが、たいした事はないでしょう。

          
                     陽が射してきた                                オタカラコウ?

  陽が射してきて天子の梯子が現れても良い条件になったが、樹幹が開き過ぎていて梯子状にはならなかった。
  黄色の花は石蕗の花茎を長く伸ばしたようで、調べてみるとオタカラコウのようだった。初めはオタカラソウ(お宝草)と勘違いし
して、黄色が小判と同じ山吹色から名前が付いたのかと思った。
しかしよく見ればオタカラコウ(雄宝香)で、名前は 「根の匂いが、樟脳の香りに似た “竜脳香” と同じような香りがするため。」
あるが、何故それが雄宝香になったのかわからない。

 
                 白キノコ                                      黒キノコ

  キノコはソコソコ目についたが、同行の人曰く 「苔の多い場所はキノコには水分が多すぎて少ない。」 とか。
道々話を聞くと、吉原駅から海の見える公園で海を見てからここまでテントで2泊したそうだ。2泊も驚いたがテント泊にはもっと驚いた。
それに富士塚にも村山浅間神社にも寄っていないと言う。道は富士市役所で聞いた道を歩いたが何だか随分遠回りをしたようだ。
家は岩手県の宮古市で、今年65歳で退職してから行きたかった山を歩き、北海道の旭岳からトムラウシの縦走を皮切りに、槍・穂高
縦走、剱岳、南アルプス北岳・赤石縦走をやったという。中でも南アは6泊のうち小屋に泊まったのは2泊で、しかも素泊まりとか。
とんでもない山の猛者と同行したものだとビビってしまいました。

 
          立ち枯れしている笹                                陽矢(高鉢遊歩道出合)

  先程から道の両側に立ち枯れになった笹が目立つようになった。
竹や笹は発芽してから長い年月、地下茎によって繁殖を続けるが、ある一定の時期に達すると、一度に花を咲かせ、種子を実らせて
枯れるという説がある。その周期は60年とも120年と云われているが、これだけの範囲の笹が枯れているのを見ると信じたくなる。
更に一斉に花を付け竹に実がなると、それを餌にした野ネズミが大繁殖をするが、翌年は竹は枯れ実が無いため、餌不足に陥った
鼠は半狂乱になり、死の大行進が始まると言った話も読んだことがある。

  以前西村寿行の小説 「滅びの笛」 には、大量発生した鼠が人や家畜を襲い、更に数を増していく恐ろしい小説があった。
鼠が大発生した理由は忘れたが、若しかして竹の実が原因だったかもしれない。
そんな事を想像すると “ガサッ” という音にもビックとする。

  陽矢なんて言葉はないだろうが、これでは天子の梯子のような柔らかさはないし、正式な “薄明光線” ではもっと雰囲気が出ない。
その陽矢の中に建っているのは 「富士山自然体験歩道」 の標識。左に行けばスカイラインの高鉢駐車場で、右は今日の帰りに歩く
予定の須山口の御殿庭下からの道です。しかし標識には村山古道の表示はありません。
宮古の人に 「村山古道は正規の道になっていないので標識は無く、役所も案内しない」 と言うと納得してくれた。
尤も村山古道の案内は標識左の木の幹にしっかり貼ってありました。

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