静岡市と藤枝・焼津市の間を遮断している大崩山塊は、古来から東西交通の難所として知られています。
現在でも道は国道1号線、150号線、東名高速。そして鉄道は東海道新幹線、東海道本線と全てが大崩山塊の山腹に穴を開けたトンネルを走り抜けています。
これ以外にも奈良時代以前の最古の東海道といわれる日本坂峠越え、平安時代の蔦の細道、江戸時代の宇津の谷峠越え。明治トンネルや大正トンネルを抜ける歴史的な道が現在も残されています。
今日はその中の奈良時代から明治時代に利用された4本の峠越えの道を一度に歩いて、時代と共に変遷した街道の違いを感じてみたいと思います。
今日歩く道は単独では何度となく歩いているが、一挙に全てを歩くのは初めてだ。この猛暑の中果たして完歩出来るだろうか。
7:30発(0km)―用宗駅出発
JR東海道線用宗駅から海に出ると、西側に海に落ち込んでいる花沢山が見えます。花沢山は大崩山塊の一番南側にあり、海に落込んでいる所は大崩海岸と呼び断崖絶壁が続く名所として知られています。
最初の目的地はこの花沢山と次の山、満観峰の鞍部を通る日本坂峠です。
先ずは道を東にとり、JR東海道本線の踏切を渡り、次いで東海道新幹線の高架下を通ります。少し先には国道150号線と東名高速の高架もあり、その下も通り抜けます。歩き出したばかりなのに既に4本もの日本の動脈を通過したが、これらの道は全て花沢山の下に掘られたトンネルを通って焼津方面に抜けている。
この辺りは海から一番離れている東名高速でも1km程でしょうか、若し東海地震が発生したら------
東西に延びる奈良時代の東海道に出たら西の山に向かい道を進む。
早速「史跡 御所の前」の石碑があり説明には日本武尊が東征のおり、この地に館を建てた名残りとあった。
小坂集落の中を歩いているとき「日本坂の磐座鎮祭」書かれた看板を見つけた。今まで気が付かなかったが何だろう?と立寄ってみると
「日本坂の東口、路傍の山の端に磐座が鎮祭されていた。この霊石は平成元年の台風で崩壊したので、地主の庭に奉祭した」と説明されている。
磐座とされる岩は左程大きくなく、磐座の一部が崩壊したのだろう。それなら今日は残りの岩も確認しようと、屋敷に行ったが誰も居ないようだったので場所を確認できなかった。残念!
みかんと茶の産地の小坂集落を抜けると石仏のある御坂堂の辻に出る。
この辻を右折して駿河一国33観音の札所を通り峠を越せば東海道の丸子の宿に抜けれる道があった。しかし今は廃道となり踏み跡も定かではない。昔安倍川の水位が高い時は藁科川への抜け道として利用されていた道ではないかと勝手に想像している道だ。
更に辻を直進し段々畑になったみかんや茶の畑を見ながら峠に向かって進む。回りの山は傾斜がきつくなるばかりで、とても登頂意欲が湧くような山ではなかった。でも今日の行程は峠越えばかりなので、その点は救われる。
日本坂の磐座遺跡は峠の東口と書いてあったが、何所だろう。途中に庚申塚があったがその辺りだろうか?だが岩は無い。今日は先が長いので次回歩くときに探してみよう。
9:00(4.7km)―日本坂峠到着
日本坂峠には、日本武尊が賊に襲われて逃げ隠れたとされる小さな穴に、石仏が祀られている。そういえばこの峠や下を通っているトンネルは「にほんざか」トンネルと呼んでるが、語源は日本武尊から取ったようなので「やまとざか」峠が正しいような気もするが----
日本坂峠は四辻になっていて南に向かうと花沢山。北は満観峰を越して奈良時代後の東海道がある宇津の谷に通じてる。このコースは東海自然歩道のバイパスコースとして整備されていて、ハイカーに人気のコースでもある。今日は街道を歩くのが目的なので、そのまま西に直進して、焼津の「やきつべの道」に向かって杉林の中の急な坂道を下って行く。
9:25(5.3km)―法華寺到着
山道が終り法華寺に出た所から「やきつべの道」が始まるが、今日はそちらには行かないで、鞍掛峠へのハイキングコースを歩く。途中何回か出合う林道を横断し、やっと林道の先が下り坂になった所が鞍掛峠だ。
鞍掛峠は東に行けば満観峰、西に進めば大崩山塊の盟主高草山への分岐点になっている。次の宇津の谷にはなだらかな下り坂の林道をのんびり北に行くのだが、この林道は車にも人にも全然会うことも無い自分一人の専用林道だった。ビッショリかいた汗も乾き、途中あった真黄色に熟した木苺を摘みながらの歩きになった。
集落を過ぎ更に行くと、行き先を塞ぐように茶畑が山の上に伸びていた。丁度二番茶の収獲なのか段々畑というより、斜面に直接お茶を植えたような不安定な場所で、お茶刈りをしているのが見える。昔の人は人力だけで、よくこんなに高い所まで開墾できたと感心してしまった。
茶畑を過ぎると急に自動車の騒音がしてきて、いよいよ宇津の谷の国道1号線が間近になる。
国1に合流したら右折して蔦の細道に向かいます。
11:10(11.3km)―蔦の細道公園到着
蔦の細道公園から更に川沿いに上っていくと右手に蔦の細道の石碑が、そこからいよいよ山道の蔦の細道が始まる。細道に入るとすぐ石の階段なのか石畳の跡なのか、それとも自然の状態なのか分らないような石がゴロゴロした場所に出る。登りは心配ないが雨の下りは滑りそうで注意が必要だ。そこを過ぎると古道の趣など感じさせない山道が続く。みかん畑の周りを猪除けの電線を張り巡らした所に出れば峠はすぐそこ、あっけない到着だった。
峠には在原業平の「駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に あわぬなりけり」の歌碑が立っています。今日は平日で、しかも真夏日。熱中症が心配される天気なのに4組のハイカーと出会いました。もうこの道では「人に会わぬなりけり」は夢のような話となってしまったようだ。
この峠も四辻になっていて南は満観峰、北は宇津の谷峠にと向かう道です。これらの道は利用者が少なく平日ならそれこそ「現にも 夢にも 人に会わぬなりけり」の心境を味わえる事でしょう。
12:00(13.0km)―道の駅到着
峠から植林された林の中の道を下ります。日本坂峠と比べ傾斜も緩く距離も短く15分ほどで国1の道の駅に到着。
実は峠で昼食の予定でしたが風が無かったので、道の駅冷房の効いた休憩室に変更したのだが、折からの節電運動のせいか冷房温度は高く設定されていて当てが外れてしまった。
昼食後は残り2ヶ所の峠越えだ。
道の駅から旧東海道に入り、綺麗に整備された宇津の谷宿を通り抜ける。集落が終り山道に入り少し歩くともう宇津の谷峠だった。日本坂や蔦の細道に比べ何とも楽な道だろう。峠道も時代と共に歩きやすくなってきたのが実感できた
下りの山道は30mもなく舗装道路にでてしまう。その道を5~6分も下れば明治トンネルだった。
13:00(16.4km)―明治トンネル到着
このトンネルは明治9年に完成した210m程の短いトンネルだが、短いにも係わらず突合位置がずれていて当初は「く」の字のトンネルだったそうです。その後手直しがされて今では直線のトンネルになっています。
現在は国の登録有形文化財に指定されている趣のあるトンネルで、正式名称は「明治宇津ノ谷随道」となっていました。
これで予定の4本の峠越えは終わりました。まだ時間も早いので大正トンネルにも寄ってみることに。大正トンネルは昭和34年までは国道1号として活躍をしていて、現在でも県道として地元民にる利用されています。
かまぼこ型のような形で背の高い車は上がどうでしょうか?少々心配にもなります。
大正トンネルを抜けて明治の道を下れば、昭和や平成の道に出ることが出来るが止めにした。大正トンネルはともかく現用の国道1号のトンネルは歩く気になれない。歩道は付いているようだが猛烈な排気ガスと車の騒音を創造しただけで遠慮したくなってしまう。
13:25(18.1km)―道の駅到着
大正トンネルからグルリ大回りの車道を通って昼食をした道の駅に。ここからは国道1号線の歩道を歩いて旧東海道を東に下ります。旧東海道とは言えこの辺りは見るべきものも無く、ただただ車の騒音と共に歩くだけだが、唯一の救いは道がなだらかな下りだったことでした。
14:10(22.0km)―丁子屋到着
松尾芭蕉の「梅若菜 鞠子の宿の とろろ汁」で有名な丁子屋の前を通ります。丁度定休日のようで雨戸が閉まっていました。残念だなーここでとろろ汁を食べる予定だったのに------
道は国1から離れ、旧東海道と丸子川の遊歩道に分かれている。さてどちらを歩こう。旧街道は狭いのに車の通行は多い。一方遊歩道は静かだが距離が長くなる。
結局車から逃れて丸子川の遊歩道を歩くことに。
15:10(25.6km)―JR安倍川駅到着
日本坂峠 御坂堂辻 ―(40分1.1km)― 峠 ―(17分0.6km)― 法華寺
蔦の細道 坂下地蔵 ―(25分1.1km)― 峠 ―(15分0.6km)― 道の駅
宇津の谷峠 集落下 ―( 8分0.5km)― 峠
明治トンネル トンネル ―(5分0.4km) ― 集落下
時間や距離を比較してみれば一目瞭然に街道が歴史と共に歩きやすい道に変遷している事が分る。
さらに現在の国道1号は明治トンネルより随分下に昭和と平成のトンネルが走っている。
こうして見ると通りやすい道とは標高が低い道なのかもしれないと思いながら帰途についた。
JR用宗駅―日本坂峠―法華寺―鞍掛峠―蔦の細道―宇津の谷集落―宇津の谷峠―明治トンネル―丁子屋―JR安倍川駅
現在でも道は国道1号線、150号線、東名高速。そして鉄道は東海道新幹線、東海道本線と全てが大崩山塊の山腹に穴を開けたトンネルを走り抜けています。
これ以外にも奈良時代以前の最古の東海道といわれる日本坂峠越え、平安時代の蔦の細道、江戸時代の宇津の谷峠越え。明治トンネルや大正トンネルを抜ける歴史的な道が現在も残されています。
今日はその中の奈良時代から明治時代に利用された4本の峠越えの道を一度に歩いて、時代と共に変遷した街道の違いを感じてみたいと思います。
今日歩く道は単独では何度となく歩いているが、一挙に全てを歩くのは初めてだ。この猛暑の中果たして完歩出来るだろうか。
7:30発(0km)―用宗駅出発
JR東海道線用宗駅から海に出ると、西側に海に落ち込んでいる花沢山が見えます。花沢山は大崩山塊の一番南側にあり、海に落込んでいる所は大崩海岸と呼び断崖絶壁が続く名所として知られています。
最初の目的地はこの花沢山と次の山、満観峰の鞍部を通る日本坂峠です。
先ずは道を東にとり、JR東海道本線の踏切を渡り、次いで東海道新幹線の高架下を通ります。少し先には国道150号線と東名高速の高架もあり、その下も通り抜けます。歩き出したばかりなのに既に4本もの日本の動脈を通過したが、これらの道は全て花沢山の下に掘られたトンネルを通って焼津方面に抜けている。
この辺りは海から一番離れている東名高速でも1km程でしょうか、若し東海地震が発生したら------
東西に延びる奈良時代の東海道に出たら西の山に向かい道を進む。
早速「史跡 御所の前」の石碑があり説明には日本武尊が東征のおり、この地に館を建てた名残りとあった。
小坂集落の中を歩いているとき「日本坂の磐座鎮祭」書かれた看板を見つけた。今まで気が付かなかったが何だろう?と立寄ってみると
「日本坂の東口、路傍の山の端に磐座が鎮祭されていた。この霊石は平成元年の台風で崩壊したので、地主の庭に奉祭した」と説明されている。
磐座とされる岩は左程大きくなく、磐座の一部が崩壊したのだろう。それなら今日は残りの岩も確認しようと、屋敷に行ったが誰も居ないようだったので場所を確認できなかった。残念!
みかんと茶の産地の小坂集落を抜けると石仏のある御坂堂の辻に出る。
この辻を右折して駿河一国33観音の札所を通り峠を越せば東海道の丸子の宿に抜けれる道があった。しかし今は廃道となり踏み跡も定かではない。昔安倍川の水位が高い時は藁科川への抜け道として利用されていた道ではないかと勝手に想像している道だ。
更に辻を直進し段々畑になったみかんや茶の畑を見ながら峠に向かって進む。回りの山は傾斜がきつくなるばかりで、とても登頂意欲が湧くような山ではなかった。でも今日の行程は峠越えばかりなので、その点は救われる。
日本坂の磐座遺跡は峠の東口と書いてあったが、何所だろう。途中に庚申塚があったがその辺りだろうか?だが岩は無い。今日は先が長いので次回歩くときに探してみよう。
9:00(4.7km)―日本坂峠到着
日本坂峠には、日本武尊が賊に襲われて逃げ隠れたとされる小さな穴に、石仏が祀られている。そういえばこの峠や下を通っているトンネルは「にほんざか」トンネルと呼んでるが、語源は日本武尊から取ったようなので「やまとざか」峠が正しいような気もするが----
日本坂峠は四辻になっていて南に向かうと花沢山。北は満観峰を越して奈良時代後の東海道がある宇津の谷に通じてる。このコースは東海自然歩道のバイパスコースとして整備されていて、ハイカーに人気のコースでもある。今日は街道を歩くのが目的なので、そのまま西に直進して、焼津の「やきつべの道」に向かって杉林の中の急な坂道を下って行く。
9:25(5.3km)―法華寺到着
山道が終り法華寺に出た所から「やきつべの道」が始まるが、今日はそちらには行かないで、鞍掛峠へのハイキングコースを歩く。途中何回か出合う林道を横断し、やっと林道の先が下り坂になった所が鞍掛峠だ。
鞍掛峠は東に行けば満観峰、西に進めば大崩山塊の盟主高草山への分岐点になっている。次の宇津の谷にはなだらかな下り坂の林道をのんびり北に行くのだが、この林道は車にも人にも全然会うことも無い自分一人の専用林道だった。ビッショリかいた汗も乾き、途中あった真黄色に熟した木苺を摘みながらの歩きになった。
集落を過ぎ更に行くと、行き先を塞ぐように茶畑が山の上に伸びていた。丁度二番茶の収獲なのか段々畑というより、斜面に直接お茶を植えたような不安定な場所で、お茶刈りをしているのが見える。昔の人は人力だけで、よくこんなに高い所まで開墾できたと感心してしまった。
茶畑を過ぎると急に自動車の騒音がしてきて、いよいよ宇津の谷の国道1号線が間近になる。
国1に合流したら右折して蔦の細道に向かいます。
11:10(11.3km)―蔦の細道公園到着
蔦の細道公園から更に川沿いに上っていくと右手に蔦の細道の石碑が、そこからいよいよ山道の蔦の細道が始まる。細道に入るとすぐ石の階段なのか石畳の跡なのか、それとも自然の状態なのか分らないような石がゴロゴロした場所に出る。登りは心配ないが雨の下りは滑りそうで注意が必要だ。そこを過ぎると古道の趣など感じさせない山道が続く。みかん畑の周りを猪除けの電線を張り巡らした所に出れば峠はすぐそこ、あっけない到着だった。
峠には在原業平の「駿河なる 宇津の山辺の うつつにも 夢にも人に あわぬなりけり」の歌碑が立っています。今日は平日で、しかも真夏日。熱中症が心配される天気なのに4組のハイカーと出会いました。もうこの道では「人に会わぬなりけり」は夢のような話となってしまったようだ。
この峠も四辻になっていて南は満観峰、北は宇津の谷峠にと向かう道です。これらの道は利用者が少なく平日ならそれこそ「現にも 夢にも 人に会わぬなりけり」の心境を味わえる事でしょう。
12:00(13.0km)―道の駅到着
峠から植林された林の中の道を下ります。日本坂峠と比べ傾斜も緩く距離も短く15分ほどで国1の道の駅に到着。
実は峠で昼食の予定でしたが風が無かったので、道の駅冷房の効いた休憩室に変更したのだが、折からの節電運動のせいか冷房温度は高く設定されていて当てが外れてしまった。
昼食後は残り2ヶ所の峠越えだ。
道の駅から旧東海道に入り、綺麗に整備された宇津の谷宿を通り抜ける。集落が終り山道に入り少し歩くともう宇津の谷峠だった。日本坂や蔦の細道に比べ何とも楽な道だろう。峠道も時代と共に歩きやすくなってきたのが実感できた
下りの山道は30mもなく舗装道路にでてしまう。その道を5~6分も下れば明治トンネルだった。
13:00(16.4km)―明治トンネル到着
このトンネルは明治9年に完成した210m程の短いトンネルだが、短いにも係わらず突合位置がずれていて当初は「く」の字のトンネルだったそうです。その後手直しがされて今では直線のトンネルになっています。
現在は国の登録有形文化財に指定されている趣のあるトンネルで、正式名称は「明治宇津ノ谷随道」となっていました。
これで予定の4本の峠越えは終わりました。まだ時間も早いので大正トンネルにも寄ってみることに。大正トンネルは昭和34年までは国道1号として活躍をしていて、現在でも県道として地元民にる利用されています。
かまぼこ型のような形で背の高い車は上がどうでしょうか?少々心配にもなります。
大正トンネルを抜けて明治の道を下れば、昭和や平成の道に出ることが出来るが止めにした。大正トンネルはともかく現用の国道1号のトンネルは歩く気になれない。歩道は付いているようだが猛烈な排気ガスと車の騒音を創造しただけで遠慮したくなってしまう。
13:25(18.1km)―道の駅到着
大正トンネルからグルリ大回りの車道を通って昼食をした道の駅に。ここからは国道1号線の歩道を歩いて旧東海道を東に下ります。旧東海道とは言えこの辺りは見るべきものも無く、ただただ車の騒音と共に歩くだけだが、唯一の救いは道がなだらかな下りだったことでした。
14:10(22.0km)―丁子屋到着
松尾芭蕉の「梅若菜 鞠子の宿の とろろ汁」で有名な丁子屋の前を通ります。丁度定休日のようで雨戸が閉まっていました。残念だなーここでとろろ汁を食べる予定だったのに------
道は国1から離れ、旧東海道と丸子川の遊歩道に分かれている。さてどちらを歩こう。旧街道は狭いのに車の通行は多い。一方遊歩道は静かだが距離が長くなる。
結局車から逃れて丸子川の遊歩道を歩くことに。
15:10(25.6km)―JR安倍川駅到着
日本坂峠 御坂堂辻 ―(40分1.1km)― 峠 ―(17分0.6km)― 法華寺
蔦の細道 坂下地蔵 ―(25分1.1km)― 峠 ―(15分0.6km)― 道の駅
宇津の谷峠 集落下 ―( 8分0.5km)― 峠
明治トンネル トンネル ―(5分0.4km) ― 集落下
時間や距離を比較してみれば一目瞭然に街道が歴史と共に歩きやすい道に変遷している事が分る。
さらに現在の国道1号は明治トンネルより随分下に昭和と平成のトンネルが走っている。
こうして見ると通りやすい道とは標高が低い道なのかもしれないと思いながら帰途についた。
JR用宗駅―日本坂峠―法華寺―鞍掛峠―蔦の細道―宇津の谷集落―宇津の谷峠―明治トンネル―丁子屋―JR安倍川駅
日本坂の磐座遺跡は、はじめて知りました。
とても気になります。
私も何回も小坂地区は歩いていたのに気がつきませんでした。
あんなしっかりした看板があるのに何故でしょう?
きっと先を急ぎすぎだったのですね
以後気をつけなければ。
日本坂の磐座遺跡。
Kさんと私、果たしてどちらが先に現地に立てるでしょうか。楽しみです!