はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

富士山静岡空港(オオキンケイギク)

2018-05-29 09:25:36 | ウォーキング
歩行記録                                                           H30-5-25(金)
歩行時間:5時間55分   休憩時間:1時間15分   延時間:7時間10分
出発時刻:7時40分     到着時刻:14時50分
歩  数: 34、913歩(推定距離24.09km)    GPS距離
行程表
 自宅 1:15> 島田大橋 0:20> 中條像 0:45> 養勝寺 0:40> 静岡空港 0:40> 坂口展望台 0:40> 東展望台
 1:15> はばたき橋 0:20> 自宅

  週末には富士山にもう一つあるパノラマ台の明神山に行く予定をたてていたが、野暮用が出来て急遽中止。
仕方なく金曜日に家から歩いて行ける静岡空港一周ウォークに行ってきました。


                              牧之原台地概略図

  牧之原台地上にある静岡空港には当然台地に上がらなければならないが、一度台地に上がれば良いと云うものでもない。
今回のコースは北東の大井川から歩いたので、先ずは中條像のある台地に上がり、一度台地を下って空港のある次の台地に
登らなければならなかった。
  概略図で説明すると牧之原台地は古代の大井川の扇状地が隆起したものと云われ、東は大井川、西は菊川に挟まれている。
台地は南北に広く延びているが、川の浸食により台地の南側は幾条かの支脈に分かれ海に向かっている。
そのため牧之原台地を東西に横断しようとすれば何回となく台地への上り下りを繰り返さなければならないが、台地の元となる
諏訪原城付近では、菊川と大井川間は一度の上り下りで済んでしまう。そこに東海道があるのだから昔の人は大したものです。

 
            大井川マラソンコース「リバティ」                      新幹線下のゲートボール場

  家を出て700mも歩けば大井川マラソンコース 「リバティ」 に出ます。この平坦な道を脚力維持のため毎日のように歩いて
いるのですが、その為か山の上りも下りも最近は苦手になってきています。
  コースの右半分が赤茶色は膝に優しいウレタン舗装らしいのですが、どうでしょう? 私にはその感触は分かりません。

  ウレタン舗装の赤茶が終る6kポスト先でと藤枝市に入ります。前方には新幹線の鉄橋が見えてきて、その手前にまだ8時前
だというのに車が沢山止めてあります。ここは藤枝市営のグランドゴルフ場で半日200円と安いせいか連日賑わっています。

  手前に見える空地は平成27年度に藤枝市防災広場として作られたが、その後一切使われていない空地です。
当時の藤枝市のHPには
 「都市防災総合推進事業と一体となって防災関係機関集結地として大井川河川敷防災広場を整備し、集積された物資を
防災備蓄倉庫に円滑に供給し安全安心な生活の実現を。
大井川河川敷防災広場の整備5,300万円 物資の供給や人的救助活動の拠点として整備」
となっていた。
大雨が予想されるときは河川軸にある四阿やトイレは一々対策を取る場所なのに、防災広場や防災倉庫を作って大丈夫なのか
疑問を感じた。その不安が的中したのか完成後3年経っても何も使われていません。 当時のブログです

 
                東海道53次「日本橋」                          「三島宿」と島田大橋

  全長18.9kmのマラソンコースのうち焼津市が6km強、藤枝市は2km強、残りの10km余りは島田市に入ります。
その為かコースに力を入れるのは島田市が一番で、島田市に入る8.5km付近からは東海道53次の宿場のモニュメントが
設置されています。勿論最初は日本橋ですが何とも中途半端な場所に建っています。
しかもコースの左側に設置されている石碑は、最終地点に行っても京には着かず、終点から折り返して右側に変わります。
マラソンコースに東海道53次の石碑を設置するなら、0kポストを日本橋にして終点を京の三条大橋にすれば納まりがいいし、
更に宿場間の距離の割合で石碑を建てれば、昔の東海道の距離感も湧くのではないか。なんて考えるのは私だけだろうか。

  10.5kポスト先にある三島宿の石碑の先に見える島田大橋を渡って牧之原台地に向かいます。、

 
                島田大橋                                  中條像から

  橋の先に見える高台が最初の牧之原台地です。この辺りの台地は台地の初め(終わり)なのか標高は低く容易に登ることが
できます。また台地は左の海側に向かって少し傾斜しています。
  台地の上には牧之原の開拓を始動した中條金之助の像があり、そこから眺める茶畑、大井川、富士山の眺めは好きですが
生憎今日は黄砂が舞っているのか、霞んでいて景色は良くありませんでした。

  
            中條金之助像                              蓬莱橋

  中條金之助の像にあった略歴によれば、
 「金之助は15代将軍慶喜の護衛のために精鋭隊を編成して隊長に就任。慶喜に随行して駿府(静岡)に移住する。
その後、勝海舟らの勧めにより牧之原開拓頭取に就任して隊員を引き連れて開拓に従事する。
明治4年廃藩置県の際に神奈川県令を拝命したが固辞し、終生官職には就かず牧之原開拓と士族殖産のために身を捧げた。」

素晴らしい人生ですよね。
牧之原開拓に携わった人の中に 「今井信郎(のぶお)」 と云う人がいます。今井は地元初倉村の村長を務めているが、
これだけではどうと云った事は無いが 「坂本龍馬を切った男」 と云ったらどうでしょう。興味を覚えた方は以前の記事ににどうぞ

  本来なら島田大橋の上流にある蓬莱橋を渡って中條像まで来たかったが、賃取橋を渡るのが勿体なく感じるケチな男です。

 
                 三角点                                太陽発電と茶畑

  茶畑の中にある三角点は三等三角点で点名は地獄沢となっています。何とも恐ろしい名前だが何処から付いた名前だろう。
周りは台地の茶畑ばかりで当然沢などは見当たらない。強いて言うなら中條像からここに来る途中に大井川に向けて急な斜面が
見えていたがそこの事だろうか? 三角点の設置場所は “沼伏原” となっていたが、これも意味不明です。

  本来なら隙間なく設置される太陽光パネルが、ここでは間隔を取っで設置されパネルの下には茶の苗木が植えてある。
これなら茶畑に寒冷紗を敷く事なく高級茶が収穫できそうです。おまけに茶の上では発電が行われていて一挙両得のように感じ
ます。でもこの方式は他でも見た事がるが余り広がらないところをみると虻蜂取らずなのでしょうか。

 
                 大茶園                                     大茶園

  台地の上から見る茶畑は高低差が無いため平面的で好きではありません。
まして茶摘みが終った今の時期は、茶畑の荒刈が行われているので更に見る影もありません。
お茶は一般的に1年に2・3回収穫をするが、新茶のあと2番茶を収穫しない茶畑は、緑の葉が残らないくらい深く刈込ます。
こうして茶の木の樹形を整えながら大きさも押さえるのだとか。こんなに深く刈っても2番茶は採れないものの秋番茶の収穫は
出来るそうです。尤も秋番茶は収穫しない茶畑が殆どですが。

 
                オオキンケイギク                                養勝寺

  最初の台地を湯日川の流れる低地に向かって下ります。途中の林の中にはドクダミの白い花が、日向にはオオキンケイギクが
咲いています。このオオキンケイギクは特定外来生物に指定され、栽培、運搬、販売、野外に放つことなどが禁止されています。
栽培が禁止される理由は “強靱な性質のため在来生態系に被害を与える” かららしく、個体に毒が含まれていて危険であるなどの
報告は現在のところはないそうです。

  オオキンケイギクについては以前にも取り上げたが、今回は各市の対策を市のHPで調べてみました。
しかし島田市も藤枝市は市役所のHPのカスタム検索でオオキンケイギクを検索してもヒットするものはなく、焼津市は市議会の
議事録等とても見る気も湧かない文章が出てきました。
それではHPとは別に “〇〇市 オオキンケイギク” で検索すると、藤枝市HPの中のオオキンケイギクの防除の対策のファイルが
開きました。何故HPからこのファイルに行きつかないのかは不明ですが、兎も角藤枝市は対策を取っているようです。

  試しに静岡市を調べてみると、静岡市はオオキンケイギクの駆除には積極的に取り組んでいるようで幾つもの記事がありました。
中には単に駆除するだけではなく、駆除した根を使った紙を作っていました。
また、HP上に “オオキンケイギクを見かけた方は、ぜひ静岡市まで発見情報をお寄せください。” ともありました。

  今日歩いた河川敷のマラソンコースでは、島田市で数本のオオキンケイギクを見かけただけだが、河川敷上の堤防道路には
蓬莱橋を中心として、まるで植えこんだように群落を作って咲いています。
これを放置していてカワラナデシコなどの在来植物に影響はないのでしょうか。

  空港のある二つ目の台地に登るには “空港入口島田” の信号から車道を行くか、養勝寺の墓地を通って行く方法があります。
日陰の無い車道より、当然日陰の多い墓地経由がお進めですが、何しろ墓地の中を歩くのだから大人数では気が引けます。
でも一人なら余り気にせず通ることができるので、今日は養勝寺を参拝しながら墓地経由で行く事にします。

  養勝寺の境内の小さな祠の中に、三体の石仏と共に 「新四国八十八ヶ所一番札所」 と書かれた札が掲げられていた。
 「今から凡そ百年前信心堅固な尼僧が弘法大師像八十八軆を造り恭敬供養に努めた。尼僧と養勝寺住職が対談したおり、
地域の住民の安全と繁栄を祈念して、地域の高閑清絶の地に大師像をお祀りした。」

  どうもこのような話には弱く、すぐその気になってしまいます。確か去年仲間と行った榛原の高根山で同じような祠を見ている。
ならばこの八十八ヶ所を探しながら歩くのも面白そうだと、直ぐ新しい宿題を作ろうとする。
マ~この辺りなら家からも近いし、後期高齢者になったら考えてみるのも良いでしょう。とは云えそれは来年の事だが。

 
              静岡空港太陽光発電所                            空港メイン道路

  養勝寺の墓地の上はすぐ太陽光発電なので大分近道になった気がする。日向の車道を歩くよりズート楽に感じます。

  信号 “富士山静岡空港” を左折すれば空港へのメイン通路になるのだが何とも淋しい限りです。
車も余り走っていず空港をイメージする物もない。左側には桜が植えられているが見頃になるには後数年はかかりそうです。
一昨年は左の斜面には除草用の羊が放たれていたが今はいない。どうしたのでしょう?管理が大変だったのかな。

 
              原子力防災センター標識                          原子力防災センター

  新しい標識に 「⇚原子力防災センター」 とあり、左を見ると窓の見えないサティアンのような建物が建っていた。
これが原子力防災センターなのだろうが一体何をする建物だろうとネットで検索をした。
 「平成24年9月、国はオフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)の要件について、原子力発電所から5~30km
圏内に立地することなどの見直しを行った。
これにより、旧オフサイトセンター(御前崎市)は、浜岡原子力発電所から2.3kmの地点に立地しており、立地場所の要件に
抵触するため移転が必要となった。
また、環境放射線監視センターは、原子力発電所から2kmの位置にあり、原子力災害時の活動拠点として適当ではないこと、
施設の老朽化から大規模な修繕が必要であること等から、オフサイトセンターと環境放射線監視センターを一体的に整備する
こととし、原子力発電所から19.6kmにある富士山静岡空港隣接地に新庁舎を建設した。」

  成程、放射能を監視する施設と放射能漏れの対策を取る施設を合体させた施設なのか、それはそれで必要な事だと思う。
だが、この施設は浜岡原発が無ければ不要な施設なのに何故静岡県の税金を使って建てる必要があるのだろう。
確かに原発がある以上このような対策は必要なので防災センターも建てなけれなならない。
しかしこのような施設は放射能漏れによって、災害を発生させる可能性のある浜岡原子力発電所、即ち中部電力が負担すべき
ではないだろうか。一歩譲って原子力発電を国策として推進してきた国にも責任はあると思う。
だが県はそのような瑕疵は無いのだから、この施設を県民税を使い建設するのは筋が通らないと思います。

 
                  静岡空港                             石雲院展望台(以前写したもの)

  静岡空港正面玄関に10時40分に到着。昼飯には少し早いがここで昼飯にします。
静岡空港では最近国内線ターミナルを増設したと報道されていたが余り興味は湧かないので、そのまま石雲院デッキに向かい
そこで昼飯にする。
今日はここからデッキの展望写真を参考に、山の名前を確認しようと双眼鏡を持ってきたが生憎の黄砂で景色がハッキリしない。
次回仲間ウォークで歩く予定の竜爪横にある高山を確認したくてもハッキリしなかった。
わざわざ双眼鏡を持ってくればこんなもんです。

  デッキで昼飯を食べ休憩をした30分間に1機の飛行機も発着しなかった。これもこんなもんです。

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