はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

天城越え 天城トンネル

2012-06-11 16:00:29 | ウォーキング
天城越え2-5

昭和の森~天城峠
 昭和の森からの踊り子歩道への入口はすぐ分かった。標識もあったが入口の場所が進行方向にあると探しやすい。
踊り子歩道に入ると道の右側にはロープが張られ立入禁止になっていて、立札には「有料施設につき立入禁止」となっている。ロープの中は観光客がそぞろ歩きをしたり、ベンチで休んでいるのが見える。
民家のような建物が見えてきた。確かこの建物は井上靖の住んでいた家のはず(間違いかもしれません)だが、今日しろばんばの里を歩いて「上の家(井上本家)」を見てきているので少し腑に落ちない感じがした。何故なら井上靖が子供のころ住んでいたのは「倉の家」で、本家の上の家にはおぬい婆さんが死んだあとに少ししか住んでいないはずだ。気になって伊豆市のHPで調べてみると、このように説明されている。
「◎井上靖旧邸 実際に井上靖が住んでいた井上邸を移築して、当時の雰囲気を今に伝えてくれています。当時を伝える造りですが、大変保存状態が良いため、今でも十分住めるようになっています」
では上の家以外にも井上靖が成人してから湯ヶ島に居を構えて住んでいたのだろうか?

 環境庁の設置した「御礼杉」の案内板があった。「天城山を徳川幕府が所有していた頃、「天城七木制」といわれる禁伐制度がありました。山付きのに雑木や下草を利用させた際、その開けた跡地に杉を植えるという森林保護を目的とした政策造林を行っていました」とある。なるほどな、このような政策もあったから天城の山は守られ、現在に引き継がれているのだろう。徳川幕府というか伊豆代官江川太郎左衛門が偉かった証拠だ。

 昭和の森には石楠花があると聞いていたが、今まで歩いてきた道には見当たらなかった。有料施設の中にあるのだろうか? それともこの先にあるのだろうかと思っている間もなく、昭和の森の出口に来てしまった。そこは木の柵を砦の出入り口のように立ててあり、旧天城トンネルまでの距離等が表示されていた。
サーいよいよここから先は登山道になるのだろう。気を引き締めて歩こう。

  
  井上靖邸                           昭和の森の出口

 狭くなった川幅の狩野川を右に見ながら山道にしては太い道を進む。左に走る国道から逃れて休憩している車もある。
木の鳥居の神社というより祠があり、その説明板には「山神社」と書いてある。さらにその説明板にはこんな事も書いてあった。
「この神社付近には、江戸時代に伐採を禁止されていた「天城七木」があります。七木とはスギ、ヒノキ、サワラ、マツ、ケヤキ、クス、カシで、後にモミ、ツガも追加して九木としました」
これを読んで疑問に感じていた七木と九木の問題が解決した。最初からこのように書いてあれば悩まないで済んだのに、と思ったが、こんな事にこだわる人間は余りいないだろうなとも思った。

 「滑沢渓谷」の表示もあり「伊豆最大の一枚岩の間を白布の如く流れている」と書いてある。今日は水量が多く白布というより「阿修羅の流れ」に近そうだ。だがそんな流れを眺めている余裕は余りない、先を急ごう。
さらに進んで行くと左から水が登山道に流れ込んでいて、注意して歩かないと靴が濡れてしまいそうだ。一昨日の大雨の影響なのだろうか、余りいい気がしなかった。
そんな場所を通り過ぎ、道が車道と合流する。その車道を少し行くと橋があり案内板には「太郎杉方面」とある。当初は太郎杉を見てから二本杉峠に進む予定だったが、今の時間は1時15分。さてどうしよう。ここから太郎杉まで往復で約2.5kmとある。なら4,50分は掛かってしまいそうだ。
一方天城トンネルまでは4.5kとあるので1時間半は見ておきたい。あわせて2時間を越してしまう。さらに私の予定は天城トンネルではなく江戸時代の街道の二本杉峠だが、その案内は無い。だが天城トンネルよりは時間はかかりそうだ。
さて太郎杉はどうしようーーーー  結局安全策をとって太郎杉は行かない事に。

  
  山神社と鳥居                         太郎杉分岐

 車道と別れて登山道の階段を登って行く。今度は「天城街道」の案内板が建っていた。案内板の説明ばかりで恐縮だが、この案内板にも気になる事が書いてあった。
「明治38年に天城トンネルが開通するまでの86年間、歴史上の人物などが行き交いました」と書いてある。という事は島崎藤村や踊り子たちはこの道は歩いていないのだ。言うなれば馬車道は今歩いてきた道では無い事になる。それも当然だと思った。
大体昔の街道が川の畔にあるなど考えられない。川のそばでは雨のたびに道は水に覆われたり、酷い時は道が流出してしまう。現に天竜川沿いの塩の道も川底を避けて秋葉山の山頂や中腹についている。その点ここ天城だって同じことで、川のそばを川に平行に街道を付けたりはしなかったろう。
この案内板の建っている場所も狩野川の畔だが、先ほどの滑沢渓谷の道よりは高台にある。きっと江戸時代の街道は先程の太郎杉の分岐の手前で山の方に迂回していた気がする。

 それにしても歩きやすく気持ちがいい道だ。時折ベンチなどもあるので家族ずれのピクニックにも良いだろうし、道の駅に車を置いて散歩するのも良いだろう。
道はようやく天城トンネルと二本杉峠の分岐点の「天城ゆうゆうの森」に到着。
サーここからメインの道から離れ、荒廃していると言われる二本杉峠に向かうのだが、なんだか気分が乗ってこない。先ほどの道路に水が冠水していた辺りから少しずつ不安感が芽生えてきていた。そんな気持ちの表れで太郎杉に行くのは止めてしまったのだ。
ここでもその弱気といつもの強気が葛藤し初めてきて大いに迷ってしまった。結局私には珍しく弱気が勝ってしまい、二本杉峠は諦めて旧天城トンネルに行く事にした。
 天城ゆうゆうの森は大川端キャンプ場とも言うようで広々ととした広場もある。そこには昔森林鉄道で使用したトロッコも置かれていた。

  
  川のそばの山道                     天城ゆうゆうの森

 ゆうゆうの森からの道がまた良かった。ここを秋に歩けば紅葉も素晴らしいだろう。これならわざわざ奥入瀬渓谷まで行かなくても十分その雰囲気を味わえそうだ。そうだ今度は秋に歩いてみよう。今日は逃げてしまった二本松峠にリベンジするのも良さそうだ。
 今日は子供の日だというのにハイカーが少ない気がする。昭和の森からゆうゆうの森の間で太郎杉に向かう散歩がてらの観光客と、天城の方から下って来た2人組にしか会っていない。このコースは人気が無いのか、それとも一昨日の大雨の影響を恐れて来るのを止めたのだろうか。それにしてもこんなに気持ちの良いコースなのに惜しい気がする。
 対岸にワサビ田が続いている。そのワサビ田に向かうモノレールの橋が架けられているが、その入り口はバラ(薔薇)線が何重にも張り巡らされている。こんな山の中でも山葵を盗む奴がいると思うと腹が立ってきた。

  
  紅葉しそうな木々                    ワサビ田

 ゆうゆうの森から20分ほどで国道端にある水生地下に到着。ここで旧天城トンネルに向かう旧道と合流する。
この道は藤村の乗った馬車も通った道だろうが、水生地下からゆうゆうの森への道は川に近すぎ街道には不向きな道だ。きっと馬車は現在の国道と同じ道を走ってのだろう。
 それにしても先ほどの道と違いここを歩く観光客が多い。皆、水生地下の駐車場に車を置いて天城トンネルを目指しているようだ。時折車が通るが、この人たちは一歩も歩かず天城トンネルを見ようとする横着者だ。
その人気のある道だが先程の自然一杯の道を歩いてきた身としては今一、今二の道だった。デコボコした車道を横着者の乗った車を避けながら歩いていては楽しさも半減してしまう。

 左側に北アルプス上高地のウェストン碑のように人の顔のモニュメントをはめ込んだ記念碑があった。近づいて見るとその人物は川端康成で伊豆の踊子の文学碑だった。そこには天城峠に向かう一文が掲載されていた。
「道がつづらおりになって いよいよ天城峠に近づいたと思うころーーーー」 そうだ確かに伊豆の踊子の中にこんな一文があった事を思いだした。当時その本を読んだときは天城の道が馬車道とは思っていなかったので、電光形のように折れ曲がった道を想像していたのだが随分イメージが違う。
 今度は案内板が幾つかある氷室園地の広場に着いた。案内板には「氷室園地には、天然の氷を造った製氷池や貯蔵していた氷室があった。(中略)松本清張の推理小説「天城越え」の舞台にもなっています」とある。
また思い出してきた。あの小説では下田から家出してきた少年が、途中で不安になり下田に引返すとき娼婦と連れになった。淡い恋情を抱いた少年だったが、娼婦は行連れの土工と交渉を持ってしまった。それを盗み見した少年はその土工を殺してしまう。その場所が確かこの氷室辺りだったと思う。
 そんな事を考えながら歩いているとまた記念碑が見えてきた。きっと松本清張の文学碑だと思い近づくと、今度は半身像のモニュメントで帽子を被った近代的な格好だ。どうもで松本清張らしくない。近づいて見ると「江藤延男」と知らない人だった。このひとは「天城を守る会」の初代会長で、環境省の地域環境保全功労で大臣賞を受賞した人だそうです。それにしては立派な記念碑だ。

   
  川端康成文学碑                     江藤延男記念碑

 記念の先のカーブを曲がると遂に旧天城トンネルに到着。時間は14時35分で予定より少し早い。トンネルの手前には休憩所やトイレもあり車も何台か駐車している。トンネル横からは天城峠に続く道も延びていて、仁科峠まで15.1kmで345分と書いてある。
今回の下田街道を歩く前は、修善寺の達磨山から仁科峠そしてこの天城峠までの伊豆山稜線歩道と、天城峠から天城の主峰の万次郎と万三郎へ登り伊東に出る天城縦走路を歩く予定だった。だが仁科峠近くにある宿泊施設牧場の家が休業中だったため、この下田街道に変えた経緯がある。
その仁科峠までこの天城トンネルから6時間とすると、ここを10時に出ても4時にはなってしまう。そして仁科峠にはバス停は無く、麓の湯ヶ島まで歩かなければならない。そうなると仁科峠あたりで一泊しなければ伊豆山稜線歩道は完歩出来そうもない。
だが天城縦走路だけなら、ここから6,7時間でバス停まで行ける。それなら紅葉の頃歩いてみるのも面白いかもしれない、いや歩いてみよう。これで歩く目標が一つできた。

 旧天城トンネルは道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されているが、その風情は左程でもない。私には東海道の蔦の細道の近くにある明治トンネルの方が風情があるように感じるがどうだろう。さらによくないのが天城トンネルは車が走っていて、眩しいライトと耳を塞ぎたくなるようなクラクションがすることだった。

  
  旧天城トンネル                     天城山隧道

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