みちのくの山野草

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松田甚次郎の証言に従えば(検証1)

2018-10-14 10:00:00 | 「羅須地人協会時代」検証
 では、先の仮説「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」を少し検証してみたい。

 今回はまず、松田甚次郎<*1>の証言を用いて検証してみたい。もちろん松田甚次郎とは『土に叫ぶ』の著者であり、その巻頭「一 恩師宮澤賢治先生 先生の訓へ」における次のような証言がある。
 私は(松田甚次郎のこと)「学校で学んだ学術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生(宮澤賢治のこと)は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を学校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
   小作人たれ
   農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。…(投稿者略)…
 真人間として生きるのに農業を選ぶことは宜しいが、農民として真に生くるには、先づ真の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過労と更に加わる社会的経済的圧迫を経験することが出来たら、必ず人間の真面目が顕現される。黙って十年間、誰が何と言はうと、実行し続けてくれ。そして十年後に、宮澤が言った事が真理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、実行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覚の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
              <『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)>
 そこでこの記述(つまり松田甚次郎が証言した、賢治の「訓へ」)、
 農民として真に生くるには、先づ真の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過労と更に加わる社会的経済的圧迫を経験することが出来たら、必ず人間の真面目が顕現される。
に従うならば、当然、
    賢治は、小作人をあるべき「百姓(農民)」の姿であると認識していた。
と判断してもほぼ間違いないことになる。それは特に、「そんなことでは私の同志ではない」という一言が如実に物語っている。したがって、端的にいえば、
 論理的には、賢治の言うところの「百姓」とは、当時農家の6割前後を占めていた「小作+自小作」農家のような農民のことであるとならねばなない。

 しかし実際は、松田甚次郎は賢治から言われたとおり小作人(松田甚次郎の実家は豪農であったのに)となったのだが、かくの如く「訓へ」た賢治はどういうわけか、あるいは、もちろん小作人にはならなかった(父政次郎もかなりの小作地を持っていた<*2>のに)。
 したがって、松田甚次郎のこの証言は、「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」ということを強力に裏付けてくれる。

<*1:投稿者註> 松田甚次郎の著した大ベストセラー『土に叫ぶ』(昭和13年発行)のみならず、松田甚次郎が編集したロングセラー『賢治名作選』(昭和14年発行)によって、それまでは全国的には名が知られていなかった宮澤賢治の名を、初めて全国に知らしめたといってもよく、松田甚次郎の貢献は計り知れないはずだ。
<*2:投稿者註> 当時、賢治の実家では10町歩ほどの小作地があったという。ちなみに大正4年の「岩手紳士録」によれば、
    宮沢政次郎 田五町七反、畑四町四反、山林原野十町
     <『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著)272pより>
ということであり、かなりの田畑等を持っていた。

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