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では、先の仮説「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」を少し検証してみたい。
今回はまず、松田甚次郎<*1>の証言を用いて検証してみたい。もちろん松田甚次郎とは『土に叫ぶ』の著者であり、その巻頭「一 恩師宮澤賢治先生 先生の訓へ」における次のような証言がある。
そこでこの記述(つまり松田甚次郎が証言した、賢治の「訓へ」)、
賢治は、小作人をあるべき「百姓(農民)」の姿であると認識していた。
と判断してもほぼ間違いないことになる。それは特に、「そんなことでは私の同志ではない」という一言が如実に物語っている。したがって、端的にいえば、
しかし実際は、松田甚次郎は賢治から言われたとおり小作人(松田甚次郎の実家は豪農であったのに)となったのだが、かくの如く「訓へ」た賢治はどういうわけか、あるいは、もちろん小作人にはならなかった(父政次郎もかなりの小作地を持っていた<*2>のに)。
したがって、松田甚次郎のこの証言は、「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」ということを強力に裏付けてくれる。
<*1:投稿者註> 松田甚次郎の著した大ベストセラー『土に叫ぶ』(昭和13年発行)のみならず、松田甚次郎が編集したロングセラー『賢治名作選』(昭和14年発行)によって、それまでは全国的には名が知られていなかった宮澤賢治の名を、初めて全国に知らしめたといってもよく、松田甚次郎の貢献は計り知れないはずだ。
<*2:投稿者註> 当時、賢治の実家では10町歩ほどの小作地があったという。ちなみに大正4年の「岩手紳士録」によれば、
宮沢政次郎 田五町七反、畑四町四反、山林原野十町
<『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著)272pより>
ということであり、かなりの田畑等を持っていた。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
今回はまず、松田甚次郎<*1>の証言を用いて検証してみたい。もちろん松田甚次郎とは『土に叫ぶ』の著者であり、その巻頭「一 恩師宮澤賢治先生 先生の訓へ」における次のような証言がある。
私は(松田甚次郎のこと)「学校で学んだ学術を、充分生かして合理的な農業をやり、一般農家の範になり度い」と答へたら、先生(宮澤賢治のこと)は足下に「そんなことでは私の同志ではない。これからの世の中は、君達を学校卒業だからとか、地主の息子だからとかで、優待してはくれなくなるし、又優待される者は大馬鹿だ。煎じ詰めて君達に贈る言葉はこの二つだ――
小作人たれ
農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。…(投稿者略)…
真人間として生きるのに農業を選ぶことは宜しいが、農民として真に生くるには、先づ真の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過労と更に加わる社会的経済的圧迫を経験することが出来たら、必ず人間の真面目が顕現される。黙って十年間、誰が何と言はうと、実行し続けてくれ。そして十年後に、宮澤が言った事が真理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、実行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覚の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
<『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)>小作人たれ
農村劇をやれ」
と、力強く言はれたのである。…(投稿者略)…
真人間として生きるのに農業を選ぶことは宜しいが、農民として真に生くるには、先づ真の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過労と更に加わる社会的経済的圧迫を経験することが出来たら、必ず人間の真面目が顕現される。黙って十年間、誰が何と言はうと、実行し続けてくれ。そして十年後に、宮澤が言った事が真理かどうかを批判してくれ。今はこの宮澤を信じて、実行してくれ」と、懇々と説諭して下さつた。私共は先覚の師、宮澤先生をたゞたゞ信じ切つた。
そこでこの記述(つまり松田甚次郎が証言した、賢治の「訓へ」)、
農民として真に生くるには、先づ真の小作人たることだ。小作人となって粗衣粗食、過労と更に加わる社会的経済的圧迫を経験することが出来たら、必ず人間の真面目が顕現される。
に従うならば、当然、賢治は、小作人をあるべき「百姓(農民)」の姿であると認識していた。
と判断してもほぼ間違いないことになる。それは特に、「そんなことでは私の同志ではない」という一言が如実に物語っている。したがって、端的にいえば、
論理的には、賢治の言うところの「百姓」とは、当時農家の6割前後を占めていた「小作+自小作」農家のような農民のことであるとならねばなない。
しかし実際は、松田甚次郎は賢治から言われたとおり小作人(松田甚次郎の実家は豪農であったのに)となったのだが、かくの如く「訓へ」た賢治はどういうわけか、あるいは、もちろん小作人にはならなかった(父政次郎もかなりの小作地を持っていた<*2>のに)。
したがって、松田甚次郎のこの証言は、「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」ということを強力に裏付けてくれる。
<*1:投稿者註> 松田甚次郎の著した大ベストセラー『土に叫ぶ』(昭和13年発行)のみならず、松田甚次郎が編集したロングセラー『賢治名作選』(昭和14年発行)によって、それまでは全国的には名が知られていなかった宮澤賢治の名を、初めて全国に知らしめたといってもよく、松田甚次郎の貢献は計り知れないはずだ。
<*2:投稿者註> 当時、賢治の実家では10町歩ほどの小作地があったという。ちなみに大正4年の「岩手紳士録」によれば、
宮沢政次郎 田五町七反、畑四町四反、山林原野十町
<『宮沢賢治とその周辺』(川原仁左エ門編著)272pより>
ということであり、かなりの田畑等を持っていた。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
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