みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

賢治は「百姓」になろうとしたこともなかった

2018-10-27 08:00:00 | 「羅須地人協会時代」検証
 さて、ここまでの一連の考察によって、仮説「賢治は百姓<*1>になるつもりは元々なかった」に対しての反例は何一つ見つからなかったから、この仮説は検証できたということになる。したがって、今後この仮説に対する反例が見つからない限りという限定付きの、
    賢治は百姓になるつもりは元々なかった。
は真実となった。

 そして、ここまでの検証を通じて「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」ということだけでなく、少なくとも「羅須地人協会時代」の「賢治は百姓になろうとしたことも、なったこともなかった」ということもおのずから明らかになった。そして、「羅須地人協会時代」以外の「賢治は百姓になることもなかった」ことは言わずもがなだから、
    結局、賢治は「百姓」になろうとしたことも、なったこともまたなかった。
ということにもなる。

 端的に言えば、小作農のような「百姓」になることを当時の賢治はもともと考えていたわけでもなければ、なろうとしたわけでもなく、またならなかったということでもある。
 それは、小作人になれと賢治から「訓へ」られた松田甚次郎は小作人になったが、当の「訓へ」た賢治は小作人にならなかったこと知った私は、残念なことではあるが自信を持って断言できる。そして、大正15年の赤石村を始めとする紫波郡の大旱害の際に、困っている「百姓」を支援しなかった賢治であったということを知ってしまった私には、このことが駄目押しとなってしまう。

 その挙げ句、賢治は大正15年4月1日付『岩手日報』の記事が、
   新しい農村の建設に努力する
         花巻農學校を辞した宮澤先生
 花巻川口町宮澤政治(ママ)郎氏長男賢治(二八(ママ))氏は今囘縣立花巻農学校の教諭を辞職し花巻川口町下根子に同志二十餘名と新しき農村の建設に努力することになつたきのふ宮澤氏を訪ねると

現代の農村はたしかに経済的にも種々行きつまつてゐるやうに考へられます、そこで少し東京と仙台の大學あたりで自分の不足であった『農村経済』について少し研究したいと思ってゐます そして半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです、そこで幻燈會の如きはまい週のやうに開さいするし、レコードコンサートも月一囘位もよほしたいとおもつてゐます幸同志の方が二十名ばかりありますので自分がひたいにあせした努力でつくりあげた農作ぶつの物々交換をおこないしづかな生活をつづけて行く考えです

と語つてゐた、氏は盛中卒業後盛岡高等農林學校に入学し同校を優等で卒業したまじめな人格者である
              <『岩手日報』(大正15年4月1日付)の三面より>
ということだから、この記事内容が事実であったとすれば、賢治は「半年ぐらゐはこの花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたいものです」といたって暢気なものであり、こんな生活は「百姓」の生活ではないことは誰の目からも明らか。だから、「百姓」のことを一体何だと思っているのか、馬鹿にするのもほどほどにしろと厳しい非難をそれこそ当時の百姓から浴びざるを得ない。もはや、なにおか言わんやだ。

 いずれにせよ、賢治の言っていた「本統の百姓になる」の「百姓」とは、当時日常的に使われていた「百姓」とは異なるものである、ということもまた同時に明らかとなったとも言える。

 ついては、賢治の言っていた「本統の百姓になる」の「百姓」とはどのような百姓であったのかというおとを、次に考えねばならない。

<*1:投稿者註> ここでいう「百姓」とは、賢治が下根子桜に住んでいた当時の人たちが日常的に使っていた意味での「百姓」のことであり、端的に言えば、当時農家の6割前後を占めていた「自小作+小作」農家の農民のことである。

 続きへ
前へ 
 ”〝「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証〟の目次”のトップに戻る。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「宇宙意志」と〔露宛書簡252c... | トップ | 分銅惇作のある賢治評より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「羅須地人協会時代」検証」カテゴリの最新記事