久し振りに下根子桜の八景を訪ねた。
《1 》(平成30年10月13日撮影)
《2 》(平成30年10月13日撮影)
《3 》(平成30年10月13日撮影)
《4 》(平成30年10月13日撮影)
《5 》(平成30年10月13日撮影)
そして私は、この詩碑を前にして賢治に伝えた、
それは、今しがた
《6 「饗宴」の詩碑》(平成30年10月13日撮影)
を読み終えた時に閃いたのだった。そして、頭の中でざっと検証してみた限りでは反例は見つからなかった。
そこでほぼ確信した、この仮説に対しての反例はおそらくないだろうと。そこで、もう一度読み直してみた。
うん、この仮説にはおそらく今後も反例は見つからないないだろう、と私は楽観した。
たしかに、賢治は「本統の百姓になる」というようなことを何人かに語っているが、それは「本物の百姓になる」ことではなかったのだ。普通の表現をすれば、「百姓になる」ことではなかったのだ。あるいは常識的感覚で言えば、「当時賢治の周りにいた普通の百姓<*1>になる」ことでもなかったのだ。言い換えれば、賢治が言うところの「本統の百姓」とは、もっと違ったものだったのだ、おそらく。
つきましては、もし反例がございましたならばご教示賜りたく存じます。
<*1:投稿者註> 賢治が下根子桜の宮澤家別宅に住んでいた頃の「自小作+小作」農家の割合は6割前後であった。
続きへ。
前へ 。
”〝「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証〟の目次”のトップに戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月213日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
《1 》(平成30年10月13日撮影)
《2 》(平成30年10月13日撮影)
《3 》(平成30年10月13日撮影)
《4 》(平成30年10月13日撮影)
《5 》(平成30年10月13日撮影)
そして私は、この詩碑を前にして賢治に伝えた、
私は今さっき、
仮説:宮澤賢治は百姓になるつもりは元々なかった。
を定立することを決意しました。
と。仮説:宮澤賢治は百姓になるつもりは元々なかった。
を定立することを決意しました。
それは、今しがた
《6 「饗宴」の詩碑》(平成30年10月13日撮影)
を読み終えた時に閃いたのだった。そして、頭の中でざっと検証してみた限りでは反例は見つからなかった。
そこでほぼ確信した、この仮説に対しての反例はおそらくないだろうと。そこで、もう一度読み直してみた。
饗宴
酸っぱい胡瓜をぽくぽく噛んで
みんなは酒を飲んでゐる
……土橋は曇りの午前にできて
いまうら青い榾のけむりは
稲いちめんに這ひかゝり
そのせきぶちの杉や楢には
雨がどしゃどしゃ注いでゐる……
みんなは地主や賦役に出ない人たちから
集めた酒を飲んでゐる
……われにもあらず
ぼんやり稲の種類を云ふ
こゝは天山北路であるか……
さっき十ぺん
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱さうな子が
みんなのうしろの板の間で
座って素麺をたべてゐる
(紫雲英植れば米とれるてが
藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)
こどもはむぎを食ふのをやめて
ちらっとこっちをぬすみみる
酸っぱい胡瓜をぽくぽく噛んで
みんなは酒を飲んでゐる
……土橋は曇りの午前にできて
いまうら青い榾のけむりは
稲いちめんに這ひかゝり
そのせきぶちの杉や楢には
雨がどしゃどしゃ注いでゐる……
みんなは地主や賦役に出ない人たちから
集めた酒を飲んでゐる
……われにもあらず
ぼんやり稲の種類を云ふ
こゝは天山北路であるか……
さっき十ぺん
あの赤砂利をかつがせられた
顔のむくんだ弱さうな子が
みんなのうしろの板の間で
座って素麺をたべてゐる
(紫雲英植れば米とれるてが
藁ばりとったて間に合ぁなじゃ)
こどもはむぎを食ふのをやめて
ちらっとこっちをぬすみみる
うん、この仮説にはおそらく今後も反例は見つからないないだろう、と私は楽観した。
たしかに、賢治は「本統の百姓になる」というようなことを何人かに語っているが、それは「本物の百姓になる」ことではなかったのだ。普通の表現をすれば、「百姓になる」ことではなかったのだ。あるいは常識的感覚で言えば、「当時賢治の周りにいた普通の百姓<*1>になる」ことでもなかったのだ。言い換えれば、賢治が言うところの「本統の百姓」とは、もっと違ったものだったのだ、おそらく。
つきましては、もし反例がございましたならばご教示賜りたく存じます。
<*1:投稿者註> 賢治が下根子桜の宮澤家別宅に住んでいた頃の「自小作+小作」農家の割合は6割前後であった。
続きへ。
前へ 。
”〝「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証〟の目次”のトップに戻る。
”みちのくの山野草”のトップに戻る。
賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月213日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
そう、私など「つもり」で成り立っていることが何と多いのでしょう。
賢治の存在を「雨ニモマケズ」で知ったこ時代は簡単に書物も手に入らず
情報は皆無、僅かな書物を読みの時代でしたか「知ったつもり」でいたことの何とおおいことでしょう。
「つもり」は1人の人間を尊敬し,生き神様のごとく崇拝に至るのです。
「つもり」がどれほど曖昧であるかも認知せずに。
若しかしてその中の1人に賢治が居たのかも知れません。
「純粋に信じることは美徳」であり、善人の象徴でもあるかのように
視られがちですが、果たして対象も純粋であるかが問題なのでしょう。
純粋な対象を純粋な心と眼で見た場合は良いのですが
そうでないものをどんなに、純粋な心且つ眼で見ても純粋とは言えません。
ゴメンナサイ、文章力が無いものですから、私の思う事が鈴木様に果たして伝わると良いのですが。
お早うございます。
コメントありがとうございます。
いろいろと悩み、迷うこともあるのですが、一度すべてをリセットして、自分の目で見直して、自分の頭の中で考え直して、あとは論理的に自分の手で結論を導き出したいと最近の私は思っております。
そうしますと拙論は往々にして独善的なものに陥るかもしれませんが、Web上に発表しておりますので皆様からご批判を賜ることによって、拙論を修正して行きたいと考えております。
つきましては、今回の仮説を少しく検証してみようと思って、先程その一回目
「松田甚次郎の証言に従えば(検証1)」
https://blog.goo.ne.jp/suzukishuhoku/e/f8b57c1758244609a9d9dea963e8c61e
をアップしてみました。
これからもどうぞご指導下さい。 鈴木 守