みちのくの山野草

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賢治の言っていたとおりだったのだ

2018-11-02 10:00:00 | 「羅須地人協会時代」検証
 前回、「農民芸術」の分野においては、「羅須地人協会時代」の賢治は農事詩等の詩作についてはかなり頑張って取り組んだのだが、後に賢治自身が封印したものも少なくない<*1>から、賢治のその想いを尊重すれば逆に、詩作についてはそれほどの成果があったとは言えない。よって、同時代の成果として挙げられるものは「農民藝術概論綱要」の完成くらいであろうということになる。
 そこで、件の「百姓」としての「必要条件」については、
 賢治が言うところの「本統の百姓になる」の「百姓」としての必要条件には、
   一.「当時珍しかった花卉の園芸」や「当時珍しかった洋菜の栽培」
   二.農民芸術(主に農事詩の創作、「農民藝術概論綱要」の完成)
が少なくともある。
と多少修正すればよかろう。

 それでは、この必要条件には他にどんなものがあり得たのであろうか。それを知るために、例の「個条書」を見直してみよう。
(1) 現代の農村は経済的にも種々行きつまつてゐるやうに考へらる。
(2) そこで東京と仙台の大學あたりで自分の不足であった『農村経済』について少し研究したい。
(3) 半年ぐらゐは花巻で耕作にも従事し生活即ち藝術の生がいを送りたい。
(4) そこで幻燈會はまい週のやうに開さいする。
(5) レコードコンサートも月一囘位もよほしたい。
(6) 同志二十名ばかりいる。
(7) 自分がひたいにあせした努力でつくりあげた農作ぶつの物々交換をおこないたい。
(8) しづかな生活をつづけて行く。
(a) 花巻在住の青年三十餘名と共に羅須地人協會を組織しあらたなる農村文化の創造に努力する。
(b) 地人協會の趣旨は現代の悪弊と見るべき都會文化のに對抗し農民の一大復興運動を起こすのが主眼である。
(c) 同志をして田園生活の愉快を一層味はしめ原始人の自然生活にたち返らうとするものである。
(d) これがため毎年収穫時には彼等同志が場所と日時を定め耕作に依って得た収穫物を互ひに持ち寄り物々交換の制度を取り入れる。
(e) 農民劇農民音楽を創設して協会員は家族団らんの生活を続け行く。農民劇第一回の試演として今秋『ポランの廣場』六幕物を上演すべく夫々準備を進めてゐるが、これと同時に協会員全部でオーケストラーを組織し、毎月二三回づゝ慰安デーを催す計画である。

 では、これらの中に件の「百姓」としての必要条件は何が残っているかを考えてみたい。ただしその際に注意を払わねばならないことは、
   一.「当時珍しかった花卉の園芸」や「当時珍しかった洋菜の栽培」
   二.農民芸術(主に農事詩の創作、「農民芸術概論綱要」の完成)
をやりながら、併せて行うものでなければならないはずだ。
 さて、それでは当てはまるかもしれないと思われるものは何かというと、せいぜい、(2)、(8)、(c)ぐらいなものであろう。さりとて、賢治は(2)については行っていないから除外すべきだろう。となれば残った二つから言えることは、「原始人の自然生活にたち返らうとする」というようなことだけだ。しかし、このことに関しては、上掲の〝一と二〟をやりながらでは矛盾があって無理な話だから、必要条件たり得ない。結局、これらの中には必要条件となり得るものはもう残っていなかったということになる。

 それから、「羅須地人協会時代」の賢治がやったこととしては、
   (ア) 昭和2年の羅須地人協会講義
   (イ) 他人の水田等のための肥料設計
   (ウ) 労農党のシンパ活動
も挙げられるが、これらは賢治の言うところの「本統の百姓」としての「百姓」の必要条件とはなり得ないだろう。(ア)と(イ)は、「百姓」の指導者がやるべきことであり、「百姓」自身がやらなければならないことではないからである。また、(ウ)は「百姓」か否かには関係がないからである。
 
 よって、賢治が言うところの「本統の百姓になる」の「百姓」としての必要条件としては、その他にはもう私には見つけられないから、以上でその必要条件はほぼ出揃った。となれば、これまでの必要条件が揃えばそれらは逆に、ほぼ十分条件にもなるという論理で、
 賢治が言うところの「本統の百姓になる」の「百姓」としての必要十分条件は、
   一.「当時珍しかった花卉の園芸」や「当時珍しかった洋菜の栽培」
   二.農民芸術(主に農事詩の創作、「農民藝術概論綱要」の完成)
のほぼ二つである。
と結論できる(おのずから、やはり賢治は当時普通に使われていた「百姓」になることなど毛頭考えていなかったことがさらに明確になった)。
 そこで私は呆然としてしまう、〝一と二〟が賢治の言っていた「百姓」だったのかと。このような「百姓」では自活などできないし<*2>、自活できない「百姓」など、そもそも「百姓」たり得ないからである。そしてまた、賢治が言っていたところの「本統の百姓になる」の「百姓」とは、それほど用意周到に練られたものではなくて、成り行きでそう言っていたにすぎないのではなかろうかと言いたくもなる。

 だから当然のことだったのだ。賢治が伊藤忠一に宛てた書簡(258)中ので、
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。
            <『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡 本文篇』(筑摩書房)>
と、「羅須地人協会時代」のことを厳しく全否定して悔い、伊藤に詫びていたのは(そしてそれは、本心からのものであったということになる)。
 のみならず、その伊藤が、
 協会で実際にやったことは、それほどのことでもなかったが、賢治さんのあの「構想」だけは全くたいしたもんだと思う。
              <『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)35p >
と追想していたことも、だ。

 よって、私がここまで考察してきて辿り着いたのは、
 賢治が「羅須地人協会時代」にやったことはそれほどのものではなく、やったことにしても、吉本隆明も言うように、「遊びごとみたいなもの」だった。
という現時点での結論だ。なんのことはない、
    「羅須地人協会時代」の評価は、賢治が言っていたとおりだったのだ。
ということだ(だ~れもこんなことを主張する人はいなさそうだけれども。ただ私は、この結論に大いに満足している。実証的かつ論理的に迫ったつもりだし、オリジナリティもあるはずだから)。


 言い方を換えれば、賢治の魅力や凄さは心象スケッチ『春と修羅 第一集』などや「なめとこ山の熊」を始めとする童話作品の創作活動にはありあまるほどあるのだが、少なくとも「羅須地人協会時代」の営為についてはそれほどあったとは言えない、ということだ。

 そして、ここで私はやっと我に返る、思い入れで賢治を語る前に、まずは賢治が語っていたことを大切にせねばならないのだ、まして、軽視は慎むべきだし、無視はあり得ないのだと。
 また皆さんにも訴えたい、もっと賢治が言っていたことを信ずるべきだと、自分の想いを一方的に賢治に託してはいませんかと。

 以上で、今回のシリーズ〝「賢治は百姓になるつもりは元々なかった」の検証〟の一切を終えたい。

<*1:投稿者註> あの3篇、〔あすこの田はねえ〕「 野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」でさえも、賢治は『この篇みな/疲労時及病中の心ここになき手記なり/発表すべからず』と記して封印していた
 なお、この封印の理由についての論文としては、木村東吉氏の論文、「宮沢賢治・封印された「慢」の思想 -遺稿整理時番号10の詩稿を中心に-」(『国文学攷』第一七六・一七七号合併号(広島大学国語国文学会編2003年)所収)があり、教わる点が多々あった。
<*2:投稿者註> 「当時珍しかった花卉の園芸」や「当時珍しかった洋菜の栽培」によって、賢治の手許にお金が入ったことはなかった、ということは周知のとおりである。「羅須地人協会時代」の賢治が自身の力で手に入れた主なお金は、農学校時代の遺産とも言える、退職金の520円だけである。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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