みちのくの山野草

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谷川徹三「今日の心がまえ」(昭和19年9月)(「前夜の面談」)

2022-02-04 14:00:00 | 一から出直す
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。

 では今回も、引き続いて谷川徹三の講演「今日の心がまえ」からである
 谷川は、賢治の終焉に関して、
 これは佐藤隆房という賢治の主治医であった人が、賢治の家の人から聞いたところを記しているものに拠っているのでありますが、二十日に愈々容態が悪くなった。…投稿者略…その夕方七時頃、近くの村の人が一人、賢治を訪ねて来ました。肥料のことでお聞きしたいことがあると言うのであります。重態の病人でありますから歌人は躊躇しましたが、とにかく、その旨を賢治に伝えますと、そういう人ならばどうしても自分は会わなければならないと、直ぐ床から起きて、着物を着替えて玄関に出て、そうとは知らぬ村の人とゆっくりと話を、少しも厭な顔をしないで聞いて、そうして肥料の設計に就いてのくわしい指示を与えてかえした。
            〈『宮沢賢治の世界』(谷川徹三著、法政大学出版局、昭和45年)15p~〉
というように、賢治が亡くなる前日(昭和8年9月20日)の面談について述べていた。ちなみに、佐藤隆房は、その著書『宮澤賢治』の中の「九九 終焉」という項で、「前夜の面談」についてこんなことを述べている。
 お母さんが心配して、
 「賢さん。お前は引つこまつて寢んだらいゝんぢやないか。大丈夫なのか。」
 と注意すると、
 「えゝ大丈夫です。」と答へて、たうとうその御神輿の御歸りを拜してから寢ました。
 次の朝(昭和8年9月20日の朝:投稿者註)も普通に起床して、丁度尋ねて來た田舎の人に何か說明してをりました。
 お母さんは、用があつたので何氣なしに外出しましたが、途中から呼び返されました。歸つて來てみると賢治さんの呼吸がすつかり苦しさうになつてゐるのです。
…投稿者略…
 處が夜の七時頃の事でしたが、又農村の人が訪ねて來ました。家の人には姓名も分からぬ人なのです。
「實は肥料の事でお聞きしたい事があるのです。……宮澤先生に是非御目にかゝりたいんですが。」
 取次をうけて賢治さんは疲勞した身も顧ず、
「そのことなれば是非會はねばならないのだ。」
 といひ、すぐに床から起き出し、衣服をつけてその人に會ひました。玄關に座つて農村の人のそのゆつくりした質問に嫌な顏もせず答へてをります。賢治さんの容體を思へば、隣室ではらはらしてゐる人々にも秋冷の夜氣がひしひしと身に迫つて來ます。お父さんは餘りの事に、さすがに、憤懣の色を見せてをります。一時間程の時間だつたのですが、お母さんの身には何年もの長い時のやうに思はれ、その人の辭去が待たれました。
 賢治さんは疲れた身を病間の二階に横たへながら淸六さんにいひました。
「……。今夜の電燈はどうも暗いやうだなあ。…………」
             〈『宮澤賢治』(佐藤隆房、冨山房、昭和17年)231p~〉
 よって、谷川の引用は基本的には矛盾しておらず、そこには問題はないのだが、それ以前に、谷川はこの出典の内容が事実だとそのまま受け止めているようで、自分自身ではその裏付けを取ったとも、検証をしたとも言っていないことが問題である。それは、前回最後に言及したことだが、石井洋二郎氏のあの憂慮、「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること」がどうやらなされていないからである。もっと精確に言えば、「あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思いますという危惧がまさに当て嵌まるのである。要は、谷川はこの佐藤の記述内容を毫も疑っておらず事実と思い込み、自分自身でその真偽を確認していたとは言えないのではなかろうか、まして検証をしたとはとても言えなさそうだ。つまり、谷川には「健全な批判精神」がどうやらこの場合は欠けていたのではなかろうかということだ。

 逆の言い方をすれば、私の場合は今回の〝「一から出直す」シリーズ〟を通じて知ったのだが、例えば『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版、昭和14年9月)所収の、関豊太郎の「宮澤賢治氏に対する追想」の記述、
 私は一昨年の晩秋に東北地方へ旅行した。花巻温泉から、宮澤氏の宅へ訪問したいが差支はないかと電話で問合せた處、健康が優れないから逢つて下さらない方が、といふ返事に接し足を運ぶのを止めたのである。
             〈『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋版)309p〉
を谷川徹三が目を通しておれば、あるいは、『イーハトーヴォ』(宮澤賢治の会)の第三号((昭和15年1月21日)における一ノ倉則文の「關さんと宮澤さん」の記述、
 宮澤さんが病床にあつた頃、もう一度先生が花巻温泉に來られて温泉で關先生にお會した時、「宮澤君も病氣なそうだ。一度見舞つてやりたいが、今度は行けぬから君から宜しく傳えて呉。」とのお話であつた。そして先生は東京に歸られた。
 宮澤さんのなくなられたのは其後幾日も經たない日である。
に目を通しておれば、この「前夜(昭和8年9月20日)の面談」をこのまま事実として扱えないということに谷川は気づいたはずだからだ。実際この「前夜の面談」については、菊池忠二氏も、佐々木多喜雄氏も同様の疑問を呈しているし、私も同様だ。常識的に考えただけでも、このような「前夜(昭和8年9月20日)の面談」はあり得ないのだから、そのまま鵜呑みすることは危険であり、慎重であらねばならぬ。
 それは、東京に住んでいるかつての恩師関が久しぶりに花巻を訪れ、暫くぶりに会いたがっているというのにその申し出を断り、一方で、「其後幾日も經たない日」に、この年、昭和8年の岩手は大豊作だったというのに、どこの人か家の者がわからぬ人が、この時期に肥料の相談に来たので上掲のような接し方をしていることは普通はあり得ないからだ。もしこのような対応をしたというのであれば、それは前掲の恩師への対応と比べてみる、恩師に対して余りにも失礼な接遇だということからも示唆されるからだ。

 そこでここは、一度この「賢治終焉の前日の相談」ついては、少しく調べ直してみる必要がある。それは、このような面談は常識的にはほぼあり得ないはずだからだ。

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