みちのくの山野草

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賢治の農業実態はどうやらこうだった

2022-03-15 12:00:00 | 一から出直す
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。

 では今回は、佐々木多喜雄氏の論考「⑷ 農業関係者が見た賢治の農業」の最後の項「5)自立生活から見た賢治から」である。
 同氏は、賢治の自活生活についてこう論を展開していた。
 一般的意味で全くの自立に近い形のものは、大正10年上京時の7ヶ月に過ぎない。
と見なし、さらに「(佐藤1993)」を引例して、
 もともと、賢治には自活性が欠落している(佐藤1993)が故に、親べったりの生活を為したのであろう。
             〈『北農 第75巻第3号』(北農会2008.7)56p〉
と推察し、続けて次のように持論、 
 しかし、父親からの庇護が無かったならば、賢治の才能が開花しなかったのではないか。生活に縛られずに自由奔放に出来得たればこそ、心象文学的作品が書き上げられたのではないか。
             〈〃57p〉
を展開し、最終的には
 ……このようなことが、少なくとも国内では他に追随を許さぬ一流の心象文学を生む大きな要因になったと考えられる。
 然しながら、以上の自活生活の内容は、人の模範とされ、聖人と称されるような内容ではなかったと言えよう。
             〈〃58p〉
と結論していた。

 私もかつて、〝退職金520円の収得(賢治の金銭感覚)〟において、
 つまるところ、普通の金銭感覚を持っている人から見れば賢治のような生き方は恥ずべきことであり、賢治は社会人としては失格だったと指弾されるかもしれない。ただしそれは悲しむべきことでも何でもなく、それが天才の天才たる所以なのだろうが、賢治は普通の人とは乖離し過ぎたこのような金銭感覚を持つことに躊躇いがなかったからこそ、しかもそのような賢治を父政次郎が支え庇護したからこそあのような素晴らしい多くの作品が生み出されたとは言えないだろうか。だから私は、
    賢治の性向である不羈奔放さと優れた作品の創作は表裏一体だった。
という、ある意味では至極当たりまえのことがそこにあったと理解している。もちろん、賢治のような立場におかれたからといって誰でもがあのような素晴らしい作品を生み出せるという保証は一つもないが、賢治の場合でもそれが許されなかったならばその保証は危ういものであったのではなかろうか。
と主張したことなどがあったから、佐々木氏のこの論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-』を読み進めながら、私の主張も当たらずとも遠からずだったかなと、幾何か安堵した。 

 さて、佐々木多喜雄氏のこれらの論考、「文学関係者がみた賢治の農業」と「農業関係者が見た賢治の農業」とによって「賢治の農業実態」をほぼ知ることができた。つまり、
 中央文壇関係者の見た賢治の農業実態は、伝聞や賢治作品等をそのまま事実としたが故に生じた、本当の姿からは遠くかけ離れたものであり、しかも、そもそも農業関係者が賢治の農業実態に触れたものが殆どないということから、それは自ずから賢治の農業実態はそれ程のものはなかったということを意味するので、
   賢治の農業実態はそれ程のものではなかった。<*1>
と結論せざるを得ない
ということを知った。ひいては、
   賢治が羅須地人協会でやったことはそれ程のものでもなかった。
ということを私は受け容れねばならぬのだという覚悟もした。

 そしてこの結論は、これまた佐々木氏から示唆されてはっとしたことだが、同氏の『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-<承前⑤>』〈北農 第76巻第1号(北農会2009.1)所収〉中の、
 「農聖」と讃えられる程の人物であるなら、生前ないし没後に神社にまつられるとか、頌徳碑や顕彰碑などが建立されて、その事跡をしのび後世に伝えられることなどが、一般的に行われることが多いと考えられる。…(投稿者略)…
 一方賢治については、文学作品碑は各地に数多いが、農業の事跡を記念した神社や祠および頌徳碑などは一つもない。これは、すでにみた様に、後世に残し伝える程の農業上の事跡が無いことから当然のことと言えよう。
              <『北農』第76巻第1号(北農会、平成21年1月1日発行)98p~>
という指摘からも裏打ちされる。同氏はかつて北海道立上川農業試験場長も勤められた方で、農業の専門家でなおかつこの件に関しては詳らかに調べていることが容易に読み取れる論考であった。専門家の立場からすればこの指摘は当然のことなのかもしれないが、素人の私からすれば全く思いの及ばなかったことだったので、流石と感じ入った一つがこの指摘だった。私などはこのような視点が全くなかったことを恥じながら、やはり農業についての専門家の視点は鋭いものだと唯々感心するばかりだった。
 そしてその後、花巻周辺の農業関係者の頌徳碑や顕彰碑に注意していると、結構あちこちにそれは見つかる。たとえば、
   ・島 善鄰の顕彰碑
   ・田中縫次郎の顕彰碑
   ・平賀千代吉の顕彰碑
   ・平賀については別な場所にもこんな顕彰碑
   ・継枝弥平太
   ・菅木友次郎
などが花巻周辺にあるからだ。
 そしてこのような頌徳碑等に出会う度に、先の結論
   賢治の農業実態はそれ程のものではなかった。
は、その蓋然性がどんどん増してくる。逆に、
   賢治を聖農や農聖と褒め称えるのは流石に如何なものか。
と私はやはり訝ってしまう。なぜなら、松田甚次郞石川理紀之助であればこのような碑があるのでそう讃えられても不思議でないし、あるいはまた、菅野正男の場合は神社さえもある。が、賢治の場合には神社も頌徳碑も何一つも見つからないからだ。

 賢治の作品が素晴らしいことは、文学的感性が乏しい私でもわかるし、その分野における天賦の才がずば抜けていることには、ほぼ誰も異論がなかろう。さりとて、そのことと賢治が聖人や聖農であるということは同値ではない、ということは当たり前のことであろう。

<*1:投稿者註> 吉本隆明がある座談会で、
 日本の農本主義者というのは、あきらかにそれは、宮沢賢治が農民運動に手をふれかけてそしてへばって止めたという、そんなていどのものじゃなくて、もっと実践的にやったわけですし、また都会の思想的な知識人活動の面で言っても、宮沢賢治のやったことというのはいわば遊びごとみたいなものでしょう。「羅須地人協会」だって、やっては止めでおわってしまったし、彼の自給自足圏の構想というものはすぐアウトになってしまった。その点ではやはり単なる空想家の域を出ていないと言えますね。しかし、その思想圏は、どんな近代知識人よりもいいのです。
           〈『現代詩手帖 '63・6』(思潮社)18p〉
と語っているし、下根子桜の宮澤家別宅の隣人で、羅須地人協会員でもあった伊藤忠一も、
 協会で実際にやったことは、それほどのことでもなかったが、賢治さんのあの「構想」だけは全く大したもんだと思う。
           〈『私の賢治散歩 下巻』(菊池忠二著)35p〉
というように、吉本と同様なことを語っていたし、下根子桜の宮澤家別宅で一緒に暮らしていた千葉恭も、
   賢治は泥田に入ってやったというほどのことではなかった。
と語っていた、と恭の三男が私に教えてくれた(平成22年12月15日聞き取り)。
 しかも、賢治自身が、昭和5年3月10日付伊藤忠一宛書簡(258)において、
根子ではいろいろお世話になりました。
たびたび失礼なことも言ひましたが、殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので何とも済みませんでした。
           〈『校本宮澤賢治全集第十三巻』(筑摩書房)〉
というように、賢治は伊藤に詫びているという事実から、いみじくも「羅須地人協会時代」における賢治の農民に対しての献身の実態が容易に窺えるし、「根子」における賢治の営為がほぼ失敗だったことを賢治は正直に吐露して恥じ、それを悔いて謝っていたのであろうことも窺える。
 したがって、これらの人々の見方や証言等からは、賢治は聖人でも君子でも、はたまた農聖でも聖農でもなかったことが導かれる。

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