みちのくの山野草

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「文学関係者がみた賢治の農業」

2022-03-13 12:00:00 | 一から出直す
《三輪の白い片栗(種山高原、令和3年4月27日撮影)》
 白い片栗はまるで、賢治、露、そして岩田純蔵先生の三人に見えた。
 そして、「曲学阿世の徒にだけはなるな」と檄を飛ばされた気がした。


 さて、『宮沢賢治を創った男たち』(米村みゆき著、青弓社)により、賢治に関して以下の人たちは、おおよそ、
中島健蔵:一生を殆ど東北地方の農業のために尽くした彼は、世の所謂文士とは全く類を異にする一生を送ったのです」と実践者の賢治を強調する。
伊藤信吉:「私は彼が詩人としてすぐれているばかりでなく、ひたむきに生活を支えて熱意していたこと」と評価する。
谷川徹三:「実践人として――土性調査や設計肥料(ママ)に堪能な、農民の相談相手や慰め手としての彼に関するものは特に美しく好ましい」 と評価する。
真壁仁:さらに救済者としてのレッテルを与える。
という見方をしているということを教わった。しかも、賢治の農業に関する中島や伊藤、そして谷川や真壁等のこのような認識では、「賢治への想像ばかりが先行し」ていて心許ないということを示唆してくれているし、私もおぼつかなくなる。そこでここは、佐々木多喜雄氏の論考をもう一度見てみたい。それは、同氏は、かつて北海道立上川農業試験場長も勤められた方で、農業の専門家でなおかつ賢治についても知悉しておられる方だからである。

 では今回は、同氏の論考『「宮沢賢治小私考-賢治「農聖伝説」考-<承前②>』の中の項
   ⑶ 文学関係者みた賢治の農業
からである。この項で同氏は、
 賢治の没後10年頃の戦前までの、主に中央文壇関係者は、賢治の農業をどのように見ていたのだろうか。それらの人々の発表文から拾ってみよう。
と前置きして、関係者のそれぞれの次のような言及、
・百姓の父宮澤賢治さん
・社会人としての自覚に新しく、実践の確かな足どりは労働と性欲に日夜を消耗して居る昔ながらの農民達をどんなに啓発し、向上させたか知れないのである。…。羅須地人協会の仕事は農村社会学者の理論を遥かに凌いで、直接農民をうるおした。
・一生を殆ど東北地方の農業のために尽くした彼は、世の所謂文士とは全く類を異にする一生を送ったのです。
・もともと宮沢賢治という詩人が、農民の土の生活と環境を一つにして生活し、そこに農業経営の化学を注ごうと献身したのであったから、その文字(ママ)の生活性への定着はきわめて自然の順序だったのである。
・活眼を以て農村の現実に身を潜め、声明を都心に運んで喝采を博すの道を避けて、…。同時により多くの時間を、詩作と変わらない情熱を以て農民たちの不幸を現ずる為に、胸詰まらせながら東田西田の水加減、肥料の案配などに捧げていたのである。…(投稿者略)…
・彼が農民の生活を高め上げることに一身を挺していたということは明瞭な事実である。
・宮沢賢治の大きな価値は、何よりも実践と表現の渾然たる一致にある。…、水稲品種の改良、実質的な肥料設計は、いわば明確な精神を以て行われたのである。…。特に稲熱病との格闘に終始した実践家。…。農に殉じて早死した人間。
・賢治は、何よりも先に、新しい農民指導者の先駆であった。
             〈『北農 第75巻第2号』(北農会2008.4)77p~〉
を紹介している(私も、かつてであればこれらの言及をことごとく素直に信じていたものだ。そして今では、よくぞこんなことが躊躇いも戸惑いもなく多くの人々によって語られてきたものだと驚く)。

 そして次に、同氏は以前の自身の論考や今回のこの論考で明らかにしているのだが、これらの言及は事実に会わない内容が多いことが分かるとして、
・賢治は百姓の父でもなかったし、
・近郊の一部農民への肥料設計にしても、成功、失敗相半ばし、喜ばれることもあったし、ひんしゅくを買うこともあった。
・賢治は思想家ではなかった。
・農村社会学者の理論を遥かに凌ぐものもなかった。
・総じて直接農民をうるおしたのもごくわずかの例であった。
・賢治が農業に関心を持ったのは10年程であり、農耕生活は3年弱であって、一生の殆どではない。
・農民の生活向上に一身を挺したことでもなかった。
・水稲の品種改良を実際に行ったこともなし、
・「雨ニモマケズ」に書かれた内容を実現したことでもない、
・新しい農民指導の先駆といえるものは無かった。
・etc
             〈〃78p〉
と断じていた(かつてとは違って、今の私はその通りであったということを知っている)。そして同氏は、
 ここで示した文学関係者(投稿者註:主に中央文壇関係者)の賢治の農業実態への認識は事実に基づくものではないと考えられるのである。
とまとめている。
 さらに同氏は、
 戦後からかなり時を経て、賢治研究が盛んになった近代から現代に至っても、それ以前のものに拠っているのか、事実から遙かに遠い認識が示されている例も少なくないのである。
             〈〃79p〉
と評し、続けてその実例をいくつか挙げていた。そして佐々木氏は最後に、
 以上から、中央文壇関係者による賢治の農業実態についての見方や認識は、前述した賢治の農業実態からすると、他からの伝聞や賢治作品のメモをそのまま事実とした故に生じた、本当の姿からは遠くかけ離れた、架空の虚像であると言っても過言ではないであろう。
             〈〃80p〉
と締め括っていた。

 いわば、いまの〈賢治〉は創られすぎたものである、と言えるのだろう。そして、私もここ十数年の検証作業を通じて痛感したことはこのことだった。例えば、先行の発表資料等を引例するのはいいとしても、その典拠を明示していない場合があまりにも多かった。あるいは、自身が現地に足を運んで直接確かめたりすることなどもあまりしていないのではなかろうかと私には思えるもの、裏付けを取ることもなく、まして検証したとはとても思えないものもなども多々あった。あるいはまた、作品の内容を安易に還元してそれを「そのまま事実とし」ているものも少なくなかった。どうやら、現時点でも、「文学関係者がみた賢治の農業」については慎重に取り扱わねばならないということのようだ。
 言い方を換えれば、石井洋二郎氏のあの警鐘
 あらゆることを疑い、あらゆる情報の真偽を自分の目で確認してみること、必ず一次情報に立ち返って自分の頭と足で検証してみること、この健全な批判精神こそが、文系・理系を問わず、「教養学部」という同じ一つの名前の学部を卒業する皆さんに共通して求められる「教養」というものの本質なのだと、私は思います。
             〈「東京大学大学院総合文化研究科・教養学部」HP総合情報平成26年度教養学部学位記伝達式式辞(東京大学教養学部長石井洋二郎)より〉
を私たちは肝に銘じなければならないのではなかろうか。

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            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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 岩手県内の書店やアマゾン等でネット販売がなされおります。
 あるいは、葉書か電話にて、入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金として当該金額分の切手を送って下さい(送料は無料)。
            〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守  ☎ 0198-24-9813
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