みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

盛岡 西川大作 

2020-09-03 12:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)、吉田矩彦氏所蔵〉

 では今回も、岩手から寄せられた次の「追悼」についてである。
   盛岡 西川 大作
昭和十六年三月私と同志三名が最上共働村塾を訪ね、前よりひそかに敬仰してやまなかつた松田先生の聲咳に接することを得ました。一夜を御厄介になり御高説を拝聽することの出来た御縁を有りがたく思つてをりますが、その後再びお訪ね致し度く思ひつゝ遂にその機を得ず今となつては甚だ残念に思つてをります。

私達が塾に着いたのは朝食前の作業が終わつて丁度、日本体操が始められてゐた時だつた。
松田先生はにこやかな顔で私たちを迎へて下さつた。そして物しづかに初對面の挨拶をされた。塾の前の山の果樹園も、後ろの田もまだ一尺以上の雪が残つてゐて、もう彼岸に入つてやはらかくなつて明るくなつた太陽の光を反射してまぶしかつた。その光の溢れた大地の上に素朴で清浄な塾舎がしづかにて建つてゐる。そこにゐる十余名の塾生たちの顔も生々として希望に輝いてゐる様に思はれた。雪解の水の音が聞こえてくる塾舎の前を時々橇に積んだ材木を山から下ろしてくる人が通る。私たちはその日午前は栄養の講義をみんなと共に聽き午後は間もなくここを巣立つてゆく塾生が記念樹を先生の本宅の庭から掘ってきて塾舎前に植えるのを先生と共に夕方まで手傳はせて貰ひ、翌日は五時に起きて禊をしてから雪の果樹園に堆肥を運びをなした。今も尚あの塾舎の前の葡萄の山へ堆肥を積んで橇を推してゆかれる先生の姿が眼に浮かんでくる。またお訪ね致しますといったまゝ、私は遂にお訪ねするするころと出来なくなつてしまつたことをここで先生にお詫びし、そして又、私が今からたどって行こうとする道を謹んで先生にお誓ひする。
             〈『追悼 義農松田甚次郎先生』(吉田六太郎編)41p〉

 これを読んでまず感じたことは、やはり松田甚次郎は当時多くの人たちから敬慕されていたであろうということである。それはもちろん、「前よりひそかに敬仰してやまなかつた松田先生の聲咳に接することを得ました」とあるように、「ひそかに敬仰してやまなかつた」や「聲咳に接することを得ました」という表現から容易に窺えるからである。
 それから、後段の記述「私たちが塾に着いたのは……先生の姿が眼に浮かんでくる」からは、松田甚次郎の塾生に対する指導の仕方が私の眼にもありありと浮かんでくる。例えば、塾生たちと一緒に堆肥を黙々と運んでいる姿がである。
 するとこの時に思い出すのは、ある人が詠んだ次の詩だ。
    街の百姓㈠

俺たちが庭の隅っこに堆肥の山築きあげると
それは悪意ある隣人の抗議にふれる
おれたちがギシギシ天秤きしませダラ桶かついて行くとき
さかしげに鼻をつまむ女がゐる

街の百姓
けれどもおれたちはやめない
一塊の土があればたがやし
成長する種を播くことを
おれたちはやめない
豚を飼ひ 堆肥を積み 人間の糞尿を汲むのを
高い金肥が買えないからだ
土のふところに播いて育てる天の理法しか知らないからだ
             〈「第1部 山形近代文学小史」128p~〉
つまり、甚次郎は黙々と堆肥を運ぶが、「ある人」は堆肥等に関わって周りに不満をぶちまけているのである。言い換えれば、甚次郎は農民(小作人)であることに誇りを持っていたが、この「ある人」は「農民詩人」とは呼ばれてはいるものの自分が農民であることにあまり誇りを持てなかったのではなかろうか。
 そこで私は残念に思う、「高い金肥が買えないからだ」というのであれば、松田甚次郎の稲作法はそのような場合にまさにふさわしいものものだったのだから、しかもこのある人と甚次郎は共に「山形賢治の会」の発足時からのメンバーだったのだから、論理的には、二人は分かり合えて、協力し合えたはずなのに、村塾の経営とその自給自足主義や農民劇は賢治の教えの実践とみられるが、しかし時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した。これは賢治には全く見られぬものであった」と痛烈に甚次郎のことを揶揄したことをだ。
 だからそろそろ明らかになりつつあることは、このように痛烈に甚次郎を批判したのは「あの人」の感情が、もしかするとそれこそ「悪意」がなさしめたものだ、ということが否定できないということがだ。それは、「これは賢治には全く見られぬものであった」と言っていることからも裏付けられそうだ。なんとなれば、賢治は「農村劇をやれ」とか「黙って十年間、誰が何と言はうと、実行し続けてくれ」と甚次郎に強く「訓へ」たが、そう「訓へ」た賢治本人は小作人にもならなかったし、農村劇もやっていないといういわば「ダブルスタンダード」について、この「あの人」は一言も言及していないからである。つまり、「あの人」は二人のことを公平に見ていなかったのであった、とそろそろ結論するしかなさそうだ。

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