みちのくの山野草

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『土と戦ふ』 

2021-01-25 20:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『現代文学の底流』(南雲道雄著、オリジン出版)〉

 南雲氏は『現代文学の底流』の中で、甚次郞に引き続いて、先に前触れしておいた菅野正男を次のように取り上げていた。
 菅野正男『土と戦ふ』と、いきなり読まされると戸惑う人は少なくないだろう。この記録は〈満蒙開拓青少年義勇軍〉の義勇隊訓練生として昭和一三年(一九三八)四月、現在の中華人民共和国東北地区、この時代日本の植民地化されていたところの〈満州〉へ渡り、現地訓練所(嫩江)で訓練を受けていた一九歳の少年の、一年間にわたる訓練生活の記録である。…投稿者略…
 この『土と戦ふ』の巻頭に「満蒙開拓青少年義勇軍に就いて」という無署名の文章が掲げられている。その一節に「満州開拓という大事業は満州事変直後、幾多の困難と戦い乍ら一部の人の手に依って始められ、治安が漸次定まると共に着々と発展して来たもので、昭和一二年には遂に国策として、二十ヶ年百万戸入植計画が樹立されるに至った。然し乍ら時局の発展は到底此の計画の遂行のみを以っては満足するを許さず、ここに満蒙開拓青少年義勇軍の大量送出ということに廟議の決定を見るに至り、昭和一三年に於て先ず三万人を編成して北満に送ったのであった。かくて昭和一四年度に於てもつづいて同様三万人の青少年が送られ、昭和十五年もまた同様三万人の義勇軍編成が計画されている…投稿者略…」。
              〈『現代文学の底流』(南雲道雄著、オリジン出版)14p~〉
 たしかに、『土と戦ふ』の巻頭には「満蒙開拓青少年義勇軍に就いて」が載っていて、その出だしは下掲の通りだ。
 滿蒙開拓靑少年義勇軍とは何か。それは一言にして滿州建国の聖なる使徒である、と言つて良からう。それはどういう意味かといふと義勇軍が每日唱へてゐる彼等の綱領が最も確實に物語ってゐる。卽ち
 我等義勇軍ハ 天祖ノ宏謨ヲ奉ジ心ヲ一ニシテ追進シ身ヲ滿州建國ノ聖業ニ捧ゲ神明ニ誓ツテ 天皇陛下ノ大御心ニ副ヒ奉ランコトヲ期ス
 以上の綱領に依つて明らかのやうに、滿蒙開拓靑少年義勇軍は、大御心を體し、年若き身を挺身、大陸に渡つて滿州建國の重要なる要素を爲す開拓に身を捧げるもので、文字通り義勇軍そのものである。しかも異民族のなかにあつて之を指導しつゝ民族協和を實現して行かうといふ、わが肇國の理想である八紘一宇を實際に身を以て行つてゆくものであり、一方には大陸に定着して率先興亞の礎石となり、東亞新秩序の建設に、東洋永遠の平和の招來に先驅者としての役割を果さんとするもので 、その意義たるや、洵に宏く且つ深いものがある。
              〈『土と戦ふ』(菅野正男著、満州移住協会、昭和15年)1p~〉
 この「綱領」については私は今迄意識してこなかったのだが、改めて読んでみると、「八紘一宇を實際に身を以て行つてゆく」などという文言が顕わに登場しいてちょっとおぞましくなってくる。そしてそのことは私が言うまでもなく、南雲も『現代文学の底流』でこう述べていた。
 …投稿者略…ついに昭和六年九月の柳条溝事件(満州事変)を口火として本格的侵略を開始、翌七年には満州を中国本土から分離していわゆる〈満州国〉をつくり上げた。この満州に日本の支配階級や大資本はさまざまな投資を行って莫大な利益を吸い上げる一方、窮乏にあえいでいた農村・農民救済の方策として農民の移民をはじめ、やがて農村で土地も家も持てない農家の二、三男に的がしぼられ、青少年義勇軍創設へと発展する。この青少年移民を実際に実施したのが当時の「拓務省」の委託を受けた「満州移住協会」(理事長大蔵公望・理事京大教授橋本伝左衛門・東大教授那須晧、他)、つまり『土と戦ふ』の発行元である。また内地の訓練を担当したのが熱烈な農本主義者である日本国民高等学校長であった加藤完治であった。かれらはいずれも満州移民の直接の立案者であり推薦者でもあったのである。かれらを含む日本の支配階級のたくらみによって「狭い日本に住みあきた」無頼の大人たちとはまったく違った、農村の思想的にも肉体的にも抵抗力のできていない青少年が次々と送りこまれ、その数は義勇軍創設の昭和一三年から敗戦のあいだに十万人内外に達した。…投稿者略…
             〈『現代文学の底流』(南雲道雄著、オリジン出版)116p〉
 満州を植民地化して「日本の支配階級や大資本はさまざまな投資を行って莫大な利益」を得る一方で、農村の思想的にも肉体的にも抵抗力のできていない青少年が次々と送り」込まれていったという構図に、私も大いなる憤りを抱く。そしてこの度気付かされてその狡猾さを特に感じたのが、満蒙開拓青少年義勇軍の裏で蠢いていたのが「満州移住協会」であり、とりわけやはり加藤完治であったであろうことだ。そこで私は、このベストセラー『土と戦ふ』もその「満州移住会」が仕組んだものだったのかもしれない、とまで疑ってしまった。

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