不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

1248 新庄ふるさと歴史センター

2009-11-18 08:00:04 | その他地域
 <月刊『素晴らしい山形』H1991,12月号より>

 今回新庄を訪れた大きな理由は松田甚次郎の足跡そのものを訪ねたかったことが先ずあったのだが、もう一つの理由があった。

 実は、『「賢治精神」の実践』の中に
 『土に叫ぶ』の評価をめぐって
 著書の出版によって一躍有名になった松田に対して、地元の一部の人の中には、松田はジャーナリズムにのった有名人となり、もはやや地域には遊離する存在となってしまった。と批判的な人もいた。
 また松田とともに「山形賢治の会」の創立や運営をともにした同志的な人々の中にも、彼松田を、思いあがりとか、時流にのり、国策におもね虚名を流したなどという人もいた。

  <『「賢治精神」の実践』(安藤 玉治著、農文協)より>
という部分があり、このことがず~っと気に掛かっていた。

 さらには、『修羅の渚』の中に次のような真壁 仁の文章があることを最近知った。
 昭和十三年か十四年に、盛岡の菊池暁輝と鳥越(現新庄市)最上共働村塾の松田甚次郎がやって来て、山形市に賢治研究会をつくる相談をした。相談にのってくれたのは当時山形師範学校教授で日蓮の研究者である相葉伸(現群馬大学教育学部長)と、小学校教師の新関三良(現福島県史編纂委員)らであった。松田君は毎月出て来て研究会に協力してくれたが、賢治の作品はあまり勉強していると思えなかった。村塾の経営とその自給自足主義や農民劇は賢治の教えの実践とみられるが、しかし時流に乗り、国策におもね、そのことで虚名を流した。これは賢治には全く見られぬものであった。
   <『修羅の渚』(真壁仁著、法政大学出版局より>
 ああそういことだったのかと得心した。たしか、真壁と甚次郎は一緒に「山形賢治の会」をつくった間柄なはずなのに、この文章からは、真壁は甚次郎のことを”賢治の作品はあまり勉強していると思えなかった”と嘲弄気味に突き放し、一方では”虚名を流した”と蔑んでいるように私には思えた。

 ところが、同著の「あとがき」で川田信夫は次のように述べている。
 松田の呼びかけによって、戦前の山形に二つの「賢治の会」ができた。一つは「山形賢治の会」で、もうひとつは「荘内賢治の会」である。「山形賢治の会」の中心になったのが真壁で、一九三九年二月から九月まで、月一回の例会を持っている。賢治の外郭的紹介や芸術の概念的展開は終えたとして、翌年一月に純粋な研究をめざして再興賢治の会を発足させた。その時「宮澤賢治とユートピア思想」と題する研究発表を行っているが、翌二月に治安維持法違反の嫌疑で彼が検挙された後、会は再び開かれたことはなかった。しかし半ば時流に乗せられて賢治の実像から離れていった松田と、(マルキシズムからの転向があったにせよ)本格的に賢治の実像を学ぼうとした真壁らとの決別といった要素を含みながらも、賢治の精神を継承する灯がともしつづけられていたことは、現在の時点で賢治を読む私たちにとっては大きな励ましである。
   <『修羅の渚』(真壁 仁著、法政大学出版局)
 したがって川田氏のこの文章からは、真壁は昭和15(1940)年に検挙されてその後転向、甚次郎は時流に乗せられて賢治の実像から離れてしまい二人は決別していった、ということになろうか。そして真壁は昭和59年に癌と戦いながら、甚次郎は昭和18年疲労困憊の果てに亡くなったということになろう。

 そこで、かくの如き松田甚次郎への評価などが記してある原資料が新庄ならばあるのではなかろうか、それらを見てみたいというのが今回の新庄行きのもう一つの理由であったのだ。

 そこで、新庄ではまず「新庄ふるさと歴史センター」に行ってみた。そこには松田甚次郎に関する資料などの展示があるだろうと思ったからである。
 たしかに、その建物の2階が『新庄市民俗資料館』になっていてそのフロアーに「郷土人物館」というコーナーがあり、そこに松田甚次郎に関する展示(このブログの先頭の写真参照)があった。ガラスケースの中には松田甚次郎の日誌の展示もあって興味深かった(もちろん閲覧は出来なかった)のだが、正直言って思ったよりはその展示資料の量・内容はあまり豊富でなかった。甚次郎は戦意昂揚に協力したと見なされてあまり評価されていないせいなのだろうか。はたまた、(ここ新庄においてさえも)松田甚次郎に関する評価が未だ定まっていないせいなのだろうか。
 そしてこのセンターには期待していた資料は見つからなかったので、次は新庄市立図書館を訪ねてみた。その図書館は、このセンターの近くにあったからでもある。

 続きの
 ”新庄市立図書館”へ移る。
 前の
 ”松田甚次郎の墓など”に戻る。

 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1247 トップオブヨーロッパ | トップ | 1249 アイガーグレッチャー駅... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

その他地域」カテゴリの最新記事