みちのくの山野草

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「拓殖訓練をも授け」

2021-01-23 20:00:00 | 甚次郎と賢治
〈『現代文学の底流』(南雲道雄著、オリジン出版)〉

 南雲道雄氏が『現代文学の底流』の中で松田甚次郎に関して論じていた。それは、
 松田甚次郎『土に叫ぶ』は昭和一三年(一九三八)のはじめ、冬から春にかけての約二カ月のあいだに書かれ、その年の五月末に第一刷が刊行された。…投稿者略…農相有馬頼寧・貴族院議員田沢義鋪・農学博士小野武夫らの推薦を受けてベストセラーとなって版を重ねた。
             〈111p〉
と始まっていた。そうか、やはり小野武夫も推薦していたわけだ。
 それから、同氏は松田甚次郎の実践のあらましを、
 その最初の実践が……投稿者略……農村演劇活動で示される。それがやがて隣保館活動となり、最上共働村塾の農村青年の啓蒙活動へと発展、そして日本協働奉仕団の結成や、東北各県を中心とした農村啓蒙行脚と称する啓蒙活動へと連続してゆく。そして…投稿者略…「土に叫ぶ館」建設にまでいたる。「毎日純真な青少年と寝食労働を共にして修業」するという最上共働村塾が松田甚次郎の生涯の中心テーマとなるのだが、その「開塾趣意」の主題は「村塾は現在の学校教育の弊を徹底的に矯正した人格教育であり、勤労教育であり、生活訓練であります」…投稿者略…「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け…投稿者略…」と記されている。
             〈同112p~〉
と紹介し、やはり南雲氏も、「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け、強烈なる皇国精神の発動を以って、農村のどん底の立場や、不景気、失業苦のない明るい規範の社会を招来するまで務めねばなりません」を気にかけていたようだ。
 さらに同氏は、
 宮澤賢治を師と仰ぎ、その精神主義的な面を受けついだ活動的な知識青年の悲劇のごときものを右の趣意書にみることができるが、運動開始当初は警察にマークされ、刑事の尾行までついたこの啓蒙運動を、数年後には一挙に「強烈なる皇国精神の発動」まで急旋回させたのは何か。それは松田の農本主義精神が、天皇崇拝に直接結びつくものを最初からはらんでいたけれども、直接的には彼の運動と実践力を利用しようとし、「高松家」より出された「有栖川宮記念更生資金」という餌であった。…投稿者略…
 しかし、この松田甚次郎の運動または軌跡は、このまま戦争協力者のものとして捨て去るには惜しい幾つかの試みがあった。
             〈同113p〉
と評しつつも、惜しんでいた。しかし、はたして甚次郞だけが「戦争協力者」だけなのか。もしそう言いたいのであれば当時は殆どの人がそうだったと言えるはずだ。まして、甚次郞の運動または軌跡は当時は頗る評価されたのだし、彼の当時の稲作法はいいわゆる「持続可能な稲作」とも言えるのだから、少なからず再評価されてしかるべきだろう。

 一方、たしかに南雲氏が述べているように、甚次郎はその「趣旨書」の中で、
 更に次三男の靑年をば滿鮮の曠野に耕作出來る拓殖訓練をも授け、強烈なる皇國精神の發動を以つて、農村のどん底の立場や、不景氣、失業苦のない明るい規範の社會を招來するまで務めねばなりません。各々の立場を意識的に分擔し、お互に信じ、共働し、隣保し、以つて日本農村をして、全人類に先驅する正しい皇道日本たらしめねばなりません。
             〈『土に叫ぶ』(松田甚次郎著、羽田書店)226p〉
と述べている。しかし、これはあくまでも「趣旨」なのであって、実際に甚次郞は「次三男の靑年をば滿鮮の曠野に耕作出來る拓殖訓練をも授け」たとまではたして言い切れるのだろうか。
 そしてそもそも、よくよく注意してみると、南雲氏は「更に次三男の青年を満鮮の曠野に耕作できる拓殖訓練を授け」と書いているが、甚次郞は、つまり正しくは「更に次三男の靑年を滿鮮の曠野に耕作出來る拓殖訓練を授け」と書いているのである。自ずから意味合いが違ってくる。前者の場合の対象地域は「滿鮮にだけ」という意味合いになるが、後者の場合のそれは「滿鮮にも」という意味合いになるはずだからである。
 つまり、甚次郞は「滿鮮の曠野のためだけの拓殖訓練を授ける」とではなくて、「拓殖訓練一般を授けるが、それは滿鮮の曠野も耕作できるようなものを授ける」と謳っていたということになるだろう。となれば、甚次郞が「戦争協力者」であったとしても天皇制的農本主義者加藤完治に較べれば、その責任はそれほど重くはならないはずだ。「世間ずれしていない純粋無垢な少年」を数多満蒙に送り込んだ加藤完治と甚次郞とでは決定的に違うと、やはり言えそうだ。

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