みちのくの山野草

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千葉恭の生家探し

2019-03-01 16:00:00 | 賢治と一緒に暮らした男
《千葉恭》(昭和10年(28歳)頃、千葉滿夫氏提供)

 さてここまで、私が入手出来た【千葉恭関連文献】の全てに目を通してみて来たのだが、それは、恭という人物が下根子桜の別宅で賢治と一緒に暮らし始めた「日」、はたまたいつまで一緒であったかをという「期間」を確認しようと思ったからだ。そして初めは、そんなことはこんなに沢山の資料【千葉恭関連文献】が存在しているのだから直ぐに判るだろうとたかをくくっていた。ところが、どこにもそんなことは一言も明確には書かれていなかったので私はすっかり落胆してしまった。そこで、こうなれば資料から探ることは諦め、原点に戻って千葉恭の出生地を直接訪ねてみようと再度奮い立った。
千葉恭の古里盛町へ
 まずは、タウン誌『ふるさとケセン67号』に「千葉恭は明治39年生まれ、気仙郡盛町の出身…」と書かれていたので大船渡を訪ねた。この気仙郡盛町とは現大船渡市盛町のことだからである。そこへ行って千葉恭の生家や縁者を実際に訪ねて彼について教えてもらったり、近所の方に彼の人柄やエピソードなどを訊いてみたりしようとした。
 さりとて手がかりはこのタウン誌の情報しかなかったので、先ずは大船渡市立図書館を訪ねた。そして
 「盛町は千葉恭という人の出身地ということですが、その人の関連資料を見せていただけないでしょうか
とお願いしたところ、職員の方はとても親切に対応してくれ、資料の検索等もしてくれた。しかし残念ながら関連資料はほとんどなく、結局千葉恭の下根子桜の寄寓時期はもとより本籍地すらも判らなかった。因みに同館に所蔵されてあった関連資料は『宮澤賢治研究資料集成 第7巻』(続橋達雄編、日本図書センター)だけであった。
 とはいえ、ここはやはり千葉恭出身地なのだということも確信した。続橋編のこの本には『四次元』の「宮澤先生を追ひて」シリーズが全く同じ内容で載せてあったからである。おそらく千葉恭自身あるいは縁者が寄贈したのかも知れないななどと想像をめぐらしてみた。また、職員の方は千葉恭に関してはもっと調べてみますからと親切に請け負ってくれたので、その結果に期待した(なおこのことに関しては後日同館から電話連絡があり、残念ながら千葉恭に関してはあれ以上のことは解りませんというものであった)。
 さて図書館を後にして、次は地元の二、三の旧家を訪ねて千葉恭のことを訊いて廻った。が残念ながら、彼自身のことも含めて関連情報さえも全く得ることが出来なかった。大船渡一帯には千葉姓が多いのでなおさら判りにくいようである。
 ならばと次は地元の新聞社「東海新聞」社に訊いてみた。すると千葉恭本人のことは分からないがということだったが、〝盛町の生き字引といわれている〟古老を紹介してくれた。しかし、期待に胸ふくらませてその古老にお訊きしてみたのだがその古老でさえも彼のことは知らないということだった。
 結局は千葉恭の古里を訪ねては見たものの、生家どころか本籍地さえも分からずにしょぼくれて花巻の自宅に戻るしかなかった盛町探訪であった。それにしてもなぜかくも千葉恭のことが知られていないのだろうか(なお、それは凄く単純な理由であったことが後ほど明らかになる)。
水沢農学校ルート
 さあて、では千葉恭に近づくにはどんな方途が次にあるだろうか。そこで思いついたのがやはりまたタウン誌『ふるさとケセン67号』の情報であった。このタウン誌には、千葉恭は大正13年3月に水沢農学校(現水沢農業高等学校)を卒業したと書いてあったからだ。
(ア) 水沢農学校同窓会
 そこで先ずは水沢農業高校に電話をして、同窓会担当の先生にお願いしてみた。
 「大正13年卒の同窓生で千葉恭という人がおられるはずですが、その人の関連資料を見せて貰えないでしょうか
と。おそらく、宮澤賢治と約半年一緒に生活したという人だから同窓生の間では著名な人物の一人だと思ったからであった。ところが私の想像とは裏腹に、担当の先生からは逆に「千葉恭という人はどんな人ですか」と訊き返されるというものだった。そこで私は
 「千葉恭さんは宮澤賢治と約半年羅須地人協会で一緒に生活をした人で、賢治に関わる人物としてはかなり重要な人物だと思います。つきましては図書館等にある同窓会関連や千葉恭関連の資料を見せて貰えないでしょうか
と重ねてお願いした。すると検討してみますからということで色よい返事を期待したのだが、その回答は「残念ながらお見せ出来ません」というつれないものだった。
 つい先だってまでは岩手県の各公立高校ではそれぞれの図書室や図書館を開放し、蔵書を一般市民にも閲覧させてくれていたはずだったのだがいつの間にそれが叶わなくなったのだろうかと訝しく思った。これじゃ、まして千葉恭の写真を見せてもらうとか本籍地を教えてもらうとかはまず無理であろうと判断した。個人情報の保護ということで、お見せ出来ませんと断られるのは見え見えだったからである。
(イ)『水沢農業高校同窓会名簿』
 さて水沢農業高校の同窓会担当の方にこれ以上お願いすることを諦めてはみたものの、やはりこのルートは捨てがたい。そんな時思い出したのが私の叔父の中に水沢農業高校の卒業生がいるということだった。早速その叔父に電話して同窓会名簿を持っていませんかと訊ねたところ、持っているよとの返事。私は押っ取り刀で叔父の家を訪れ、『水沢農業高校同窓会名簿』(平成5年版)を見せて貰った、そこに千葉恭の本籍地が書いていないかと期待しながら。
 するとある頁に
     第21回(大正13年3月卒業)52名
というタイトルがあった。五十音順に並べてある氏名を指で順に辿って行くと確かにあるではないか
     千葉 恭
と。一瞬喜んだのも束の間、直ぐ落胆に変わった。千葉恭に関してはあるのはその氏名だけで、本籍地も職業も勤務先も一切載っていなかったのだ。まただめだったか、私は肩を落とすしかなかった。
 というわけで、水沢農学校ルートから千葉恭の本籍地等を知ろうとしたのだが、何一つ新しい情報は得ることが出来なかったのである。 

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

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      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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